異世界オブザデッド②
「どした?」
トリアが病人に声をかける。
「あー……うー……」
「トリア! 下がって!」
「うっ!」
病人が手を伸ばし、トリアの首を掴んだ。
「あっかっ……あっ?」
「うっ! うっ!」
大口を開け、トリアの豊かな胸にかぶりつこうとする。
「っざけンな!」
トリアは錫杖の柄で病人の腹をついた。
「うっ!」
柄を跳ね上げ、顎を撃ち抜く。
病人はトリアから手を離し、よたよたと後ろに下がった。
「あー……うー……」
見る間に病人の肌が青く変色していく。
瞳から光が消えた。
開いた口から、よだれがぼたぼた垂れた。
「グール! どうして!?」
アルセーが叫んだ。
グールは大イスタリ宮の深い層における、非常に厄介な感染症だ。
この病に陥った者は理性を失い、肉と見ればヒトであれケモノであれところ構わず襲いかかる。
何よりもおぞましいのは、この病が血液感染することだった。
「ゲホッゲホッ……ぐ、グール? なンだってグールが?」
グールは、大イスタリ宮の深部でしか感染しないとされている。
モンスターの嫌うミアズマは、浅い層や地上にもわずかながら含まれる。
わずかなミアズマでも、グール化を促進する微小モンスター程度なら殺せるはずだ。
「分かりません! でも!」
「とにかくソッコー潰すンだろ!」
トリアは錫杖を振りかぶり、グールの顎を打ち抜いた。
首が三百六十度回転したグールは、その場に膝をついて倒れた。
「ヒッ……ヒイッ! ゴホッゴホッ!」
「ラーズさん、落ち着いてください。死者は後で蘇生します」
ひとたびグールとなってしまえば、基本的には一度殺す他ない。
パンデミックを防ぐため、迅速かつ果断な行動が求められる。
「とにかく……レーザック大司教への報告が必要ですね。急ぎましょう」
「あいよ」
「すみませんが、ラーズさん」
「あ、ああ、分かっている。ついていくよ。そちらの方が安全そうだ」
三人は聖堂の奧、居住区に向かって駆けだした。
「あー……うー……」
しかし、彼女たちの前に立ちふさがる者があった。
バケツヘルムを被り、鎖帷子の上に法衣を纏い、ハルバードを担いでいる。
「チッ……武装法解釈員じゃンか」
トリアが鋭く舌打ちした。
◇
武装法解釈員。
法解釈の際に起きるもめ事を、武力にて解決するための人員である。
当然、腕に覚えがある者が選ばれる。
「あー……うー……」
バケツヘルムの奧に秘された、品定めするような目線をアルセーは感じる。
グールと化した武装法解釈員は、三人をごちそうだと考えているのだ。
「参りましたね」
休暇中のアルセーに、武装はない。
まったくの素手であり、奇跡の行使もままならない。
「うっ!」
武装法解釈員グールがハルバードを振り下ろした。
「このっ!」
アルセーは手近にあった椅子を引き寄せ、背もたれでハルバードの柄を受け止めた。
「うっ! うっ!」
「ハイ! ハイ!」
横薙ぎの一撃を椅子の脚で弾き、袈裟切りの一撃をクッションで止める。
「ハイッ!」
椅子の脚でハルバードの柄を絡め取る。
手の中で椅子を回転させ、ハルバードをはじき飛ばす。
「あー……うー……」
「ハイー!」
背もたれの横殴りを喰らった武装法解釈員グールが一回転し、アルセーに背を向ける。
アルセーは椅子を着地させ、背もたれを全力で蹴り飛ばした。
「うっ!」
武装法解釈員グールは膝を折り、椅子に着座。
そのまま椅子ごと滑っていき、壁に激突した。
「トリア!」
「あいよッ!」
トリアが跳ね、錫杖で武装法解釈員グールの延髄を撃ち抜く。
頸椎を折られた武装法解釈員グールは絶命した。
「やるじゃンね、アルセー」
「ふう……STRばかり上がることに、生まれてはじめて感謝しました」
装備はなくとも、アルセーはS級冒険者だ。
「あー……うー……」
「うっ! うっ!」
「あー……うー……」
居住区に続く扉の奥から、大量のグールが出現する。
武装法解釈員に混じって、知り合いの助祭やメイドの姿が見られた。
「そんな……」
アルセーは言葉を失った
グール化の病は、聖堂の奥にも広がっているのだ。
「ゴホッゴホッ、あ、アルセーさん! 後ろにも!」
ラーズの声に振り返る。
休憩所から、大量のグールが湧きだしていた。
「やば……やばすぎじゃンね」
トリアもまた、絶句する。
「うっ!」
メイドグールがおたまを手に先陣を切る。
「ンなろッ!」
トリアは錫杖を真っ直ぐ突き出し、メイドグールの腹を突いた。
メイドグールが腹を押さえて体を畳み、無防備なうなじを晒す。
「ハイー!」
アルセーは渾身の手刀でメイドグールの延髄を破壊した。
「うっ!」
そこに襲い掛かる武装法解釈員グールのハルバード。
アルセーは身を低くして横一文字の斬撃を避け、水面蹴りで相手の脚を払った。
武装法解釈員グールはゆっくりと倒れた。
「あー……うー……」
「アルセー! 使って!」
トリアが放り投げたのは、先ほど殺した武装法解釈員グールのハルバードである。
「助かります!」
ジャンプしてハルバードを受け取ったアルセーは、そのまま武装法解釈員グールの首筋にハルバードを叩き込んだ。
「ヒイイイ! ゴホッ! ゴホーッ!」
休憩所から湧き出たグールが、ラーズに襲い掛かる。
「ラーズさん! うわっ!」
助祭グールが錫杖をめちゃくちゃに振り廻し、アルセーに迫る。
アルセーは慣れぬハルバードを捨て、後退しながら錫杖を殴り弾いた。
「トリア!」
「こッちもまずいンだって!」
数体のメイドグールが、トリアに群がっている。
防戦一方で、ラーズを助ける余裕はない。
「あー……うー……」
ついに一体のグールが、ラーズの腕を掴んだ。
「ラーズさん!」
助祭グールの頭を掴んで百八十度回転させ殺す。
ラーズに向かって走り出す。
「だめ……間に合わない……!」
絶望がアルセーの脳裏をよぎった、その時である。
りん――
涼やかに、凛として、鈴の音が響いた。
「エアーによる福音書第三章六節より、天地がはじめて別たれたこと」
厳かな詠唱。
居住区に続く扉の奥から、まばゆい光が同心円状に広がった。
光の円周に触れたグールたちが、次々に吹き飛ばされていく。
ラーズに集っていたグールもまた、壁まで吹き飛ばされて即死した。
「君たち、大丈夫か?」
長身の男が、扉から出てきた。
「おー! デルトンじゃン! ういーっす、元気ィ?」
トリアが、男に向かって手を振る。
男はメガネを持ち上げ、わずかに微笑んだ。
「フッ……君はいつでも変わらんな。この状況では頼もしく思える」
「だしょー?」
デルトンは周囲を警戒しながらアルセーたちに近づいた。
「ありがとうございます。アルセー・ナイデスです」
「では、あなたがメイズイーターの。お噂はかねがね」
デルトンは膝をつき、アルセーの手を取って、その手の甲に額を軽く当てた。
「ろくな噂じゃないでしょうけど」
「とんでもない。二百層での“フローズン・ゴーレム・マッサカー”は、僕の教区でも知らぬ住民はいないほどだ」
デルトンは立ち上がり、うずくまるラーズに目を向けた。
「ご安心を。もうグールは滅しましたよ」
ラーズはおずおずと顔を上げた。
デルトンとラーズは、ともに目をむいた。
「と、父さん?」
「デルトン?」




