異世界オブザデッド①
「かんぱーい!」
ストロングゼロの缶をぺこぺこぶつけ合う。
「んくっんくっんくっ……んふー。いにゃー、今日は仕事したねえ」
「はっはっは! 今日もボクたちの勝ちだったね!」
「るふ…るふ…一掃…した…」
「あー……うー……」
「はいお待たせ、牛タン低温調理したやつ。君らほんとちょうどいいタイミングで来たね」
楽天ポイント余ってたから買った、ブラックアンガスの牛タン一キロ。
そいつを塊のまま低温調理して、ばーっとバーナーで炙って、厚さ三センチぐらいにぶった切ってやる。
味付けは塩だけ。
厚さ三センチの牛タンなんて、とてもじゃないけどかみ切れないって思った?
ルールーがなんの疑問も持たず、牛タンを口に放り込む。
「にゃっ……にゃっ……? な、なんか、さくって……」
異常な歯切れのよさに、混乱してる。
低温調理した牛タンは、どれだけ厚くても前歯でさくっとかみ切れる。
噛めば噛むほど、生っぽいなめらかな食感が出てくる。
ものすごい強烈で濃厚な肉の味。
こんがり炙った表面から、焼けた肉の強烈な香り。
炙ったところから流れ出した、とろっとろの肉汁と塩、味なんてそれだけでいい。
「はっはっは! これは……はっはっは!」
イースが爆笑した。
「んすっ! んすーっ! んすーっ!」
なんかルールーから、聞いたことのない音がした。
鼻息だ。
目も血走っている。
血の味に、野生を取り戻してしまったらしい。
「で、ここにだね、ゆずと山椒を利かせたビールを用意するわけだ」
キリンのクラフトビールブランド、スプリングバレーブルワリーより、Daydream。
小麦メインのホワイトビールだ。
こいつは、冷蔵庫から出して二十分後がジャストで飲み頃。
ふちの広い厚手のグラスに注いで、ぐいーっといく。
「んふー……これだねえ」
ぶどう山椒とホップとゆず、柑橘っぽい香りがワルツで攻めてくる。
後味は、しびれがわずかにぴりっと効く感じ。
この、イヤミにならない山椒の仕事ぶりが最高だ。
きんきんに冷えてると、香りとしびれを楽しめないんだね。
すかさず低温調理のタン。
さくっ。
くみゅくみゅ。
肉!
ちょっと黒こしょう挽いてもいいな。
がりがり。
さくっ。
くみゅっ。
ビールぐいーっ。
「おほー……にゃー……」
ルールーが天を仰いだ。
「あー……うー……」
アルセーがうめいた。
「るふ…るふ…ぴりぴり…好き…」
マイアがうっとりした。
「あー……うー……」
アルセーがうめいた。
そろそろ言及していこうか。
「ええと、なんかアルセー、普段と感じ違わない?」
まず、なんか肌が青くなっている。
次に、目の焦点が合ってない。
「あー……うー……」
うめいてるし。
手足を縛られてエビフライみたいになっている。
さるぐつわ噛まされてる。
ダイニングキッチンの床に無造作に転がっている。
「いにゃー、実はそうなんだよねえ。どうしよっかなーって思ってる最中」
「一旦ここ経由する必要あった?」
「るふ…おなか…すいた…」
「なるほどね」
「あー……うー……うっ! うっ!」
エビフライがびたんびたん跳ねた。
「え、なにごと」
「ある…おなか…すいてる…」
「うっ! うっ!」
びたんびたん。
「……食べさせてあげれば?」
「今のアルセーには、ボクたちが食べ物に見えているはずだよ」
俺はとっさに椅子ごと身を引いた。
「はっはっは! おそらくフロアルーラーは大丈夫さ! 臓腑のひとかけらに到るまで、ミアズマに満ちているからね!」
「だからその環境破壊する人類を啓発するみたいな物言い」
「にゃー、こっちに連れてくればミアズマでなんとかなると思ったんだけどねえ。そうもいかないみたい」
「るふ…燃やす…?」
「え、正気?」
「実はそれなりに有効な方法なんだよ、フロアルーラー。この手のデバフは、一度死ねば解除されるからね」
「死が軽すぎる」
「でもにゃー、あるちゃんレベル高すぎるから、よそで頼むと蘇生にめっちゃお金かかるんだよねえ」
「失敗…すれば…灰になる…」
「隣り合わせの灰と青春だ」
「リンヴァース広しといえど、アルほどの術者もそうはいないからね。気軽に蘇生も頼めない。困ったものさ」
冒険話を聞いてると、こいつら気軽にぽんぽん死んでるもんな。
アルセーがいるからこそ、ってところがあるのかもしれない。
「君らアレだね、アルセーがいないとたちまちガバガバだね」
「あるちゃん先生だからね」
ルールーが、にゃっはっはと笑った。
いや、どうすんのこれ本当に。
「でさ、これ、何があれでこうなってんの?」
「うっ! うっ!」
びたんびたん。
◇
その日、リンヴァース正教聖堂内では大きな市が立っていた。
屋根のステンドグラスから色とりどりの光が差し込む、巨大な吹き抜けのアトリウム。
柱廊の合間合間に、食料品、愚にも付かないがらくた、迷宮産のアーティファクトが雑然と並ぶ。
大陸中からさまざまな人々が集まるリンヴァース・マルシェは、今日も数千人の群衆でごったがえしていた。
「ゴホッ、ゴホッ! グブッ!」
目を血走らせた壮年の男が、女神イスタリの像にもたれかかり、激しく咳き込んでいた。
「ゴホッ、ゴホーッ!」
広場を行き交う人々は、気にも留めない。
多くの国籍、多くの言葉、多くの人種が行き交うリンヴァースにおいて、他者への無関心は当たり前の態度と言えた。
「ウウウウ……」
男はしりもちをついた。
喉の奧で、ぜろぜろという音が鳴る。
「大丈夫ですか?」
声をかけられた男が顔を上げる。
そこにいるのは、桃髪ニンフのプリースト、アルセー・ナイデス。
「ああ、いや……ありがとう」
差しのべられた手を掴み、男は立ち上がった。
「ラーズ・ニーソン。息子に会いに来たんだが……慣れない都会で、風邪をもらってしまったようでね」
「アルセー・ナイデスです。少しお休みになったらいかがですか? よければご案内しますよ」
「すまないね、アルセーさん。助かる」
道すがらアルセーは、ラーズの身の上話に付き合った。
「十年前に村を出て行った息子から手紙が来てね。リンヴァースで、教区を一つ任されることになったらしいんだ」
「すごいです。さぞ勉強のできる息子さんなんでしょうね」
リンヴァースの教区司祭であれば、地方の領主と変わらぬほどの権威だ。
「なに、私にとっては、いつまで経っても生意気盛りな……ゴホッ、ゴホッ!」
ラーズは背を丸め、激しくせきこんだ。
「フウ……参ったね」
「無理なさらないでください」
アルセーはラーズの背中をさすった。
「せっかくだから、息子に会う前にと……リンヴァース・マルシェを見に来たんだ。これでも田舎では技師をしているんだ。魔法銃だよ」
ラーズは親指と人差し指を立てて銃に見立て、手首を軽くひねった。
「ばん」
子どものような笑顔だ。
根っからの職人なのだろうとアルセーは思った。
「リンヴァースは魔法銃の本場ですからね。マルシェにも、すごいものがたくさんあったでしょう」
「ああ、そうなんだ。それでつい、興奮してしまって……昔から、息子にもよく言われたものだ。父さんは魔法銃のこととなると、他のものが目に入らなくなるって」
「でも、体を壊しては元も子もないですよ」
「いやまったく……すまないね。君にも予定があるだろうに」
「いいんです。いつもは冒険者をやってるんですけど、ギルドに長期休暇をいただいていて。今日はプリーストとして、聖堂で働いているんですよ。つまり、仕事なんです」
「はは、そう言ってもらえると助かるよ」
S級冒険者パーティ【メイズイーター】は、時に休暇を取って自己研鑽に励む。
とはいえ、アルセー以外のメンバーは三百層前後でのハックアンドスラッシュとトレジャーハントに明け暮れている。
地上でまじめにやっているのはアルセーだけだった。
「さあ、着きましたよ。休憩所です」
聖堂の一画にある休憩所の前には、助祭が一人。
アルセーと顔見知りの、若い女性だ。
奇跡の触媒たる錫杖に体重を預け、ぐったりした表情だった。
「アルセーじゃン。どした?」
「お疲れ様です、トリア。この方、少し休ませてくれませんか?」
「あー……またか」
トリアは、休憩所の扉を開いた。
広間には無数のシーツが敷かれ、うめき声を上げる病人が寝かされていた。
「今日はちょっと、病人が多すぎンのよ。詰めりゃ入れるけど、どうする?」
アルセーは中を覗き込み、首を横に振った。
「悪化しちゃいそうですね」
「マルシェのときってさ、大陸中から人が来ンじゃん? リンヴァース人ならかかンないような病気も、田舎モノならなっちゃうってワケ。逆もあるけどさ。にしても、今日はちょっとおかしいけどね」
トリアはため息をついた。
「ゴホッ、ゴホーッ!」
激しくむせるラーズに、トリアは同情的な瞳を向けた。
「しゃーなしじゃンね。ウチらの部屋、使お。案内すっから」
「ありがとうございます!」
トリアが後ろ手に閉じようとした扉に、何者かが手をかけた。
「あー……うー……」
「あン? なに?」
ギッ、ギギイ――
不吉な音を立てて、扉がゆっくりと開く。
そこに立っているのは、ひとりの病人だ。




