スライムサケ④
大イスタリ宮、一層。
石造りのシンプルなフロア。
ところどころにたいまつが掲げられている。
定期的にモンスター防除の業者が入り、厄介なデバフ――猛毒、石化、発狂など――持ちのモンスターを駆除している。
商人や無料休憩所、フロア全域にかけられたオートマッピングの魔法など、ホスピタリティ溢れる階層だ。
一発当てようと大イスタリ宮にやってきたヌーブの冒険者は、一層で
『あれ? なんか楽勝じゃん?』
と思い、調子に乗ってどんどん進み、八層あたりでしかばねとなる。
どうしてこんなに手厚いのかと言えば、一層で
『あれ? なんか楽勝じゃん?』
と思わせなければ、大イスタリ宮にアタックする冒険者は減っていく一方だからだ。
「まーでも、これはちょっと業者さんの手には余るよねえ」
ルールーの視線の先、たいまつ周辺。
スライムが凝集している。
うぞうぞぷるぷるしている。
壁が無数の目を開き、冒険者を睨んでいるようだ。
「一層の生物相が完全に崩壊してます。イスタリオオネズミも、イスタリシガミホコリも全滅ですよ」
「冒険者の卵もね。はっはっは、実に危険な状況だ! しかし、ボクたちは勝ってみせる!」
イースが抜刀した。
「…新人…たくさん…やられた…」
マイアがイースの肩をつかみ、止めた。
大量発生したスライムの駆除は、リンヴァース領主からの緊急クエストとして発布された。
緊急クエストは、冒険者ギルドに所属する全ての冒険者に受注義務がある。
しかし、緊急クエストはたいてい、間にいくつも挟まれた中間業者の悪辣な中抜きがある。
クエストボードに掲示されるころには、濾過されたわずかな水滴のような報酬が提示されることになる。
押し付け合いになった緊急クエストは、新人だったり、無能な上に社交力も低い冒険者だったりの仕事になりがちだ。
結果として死人が増え、蘇生費用がばかにならない。
緊急クエスト従事中に死者が出た場合、蘇生費用はリンヴァース持ちだ。
民の血税が垂れ流される。
構造的欠陥である。
「…ベテランも…さじを…投げた…」
新人や無能があらかた諦めたところで、やおらベテラン冒険者が立ち上がる。
たいていの場合、彼らは緊急クエストを問題なくこなす。
そして少ない報酬に文句を言ったり、中抜きした中間業者を暗殺したりする。
リンヴァース冒険者ギルドにおけるトップ中のトップ、S級冒険者パーティ【メイズイーター】にまでお鉢が回ってくるのは、珍しい事態だと言えた。
「しかし、ボクたちなら斬り拓けるさ!」
「でもこれ、斬っても斬っても無駄なんじゃないかにゃー。一層ごと吹き飛ばす?」
「るふ…破壊…し尽くす…」
「やめてください。マイアも、杖を掲げない」
アルセーは仲間をいさめながら、迫ってきたスライムをモーニングスターで叩きつぶした。
「放っておくべきだとは思いますけどね。一層の気温があと二度下がらないと、生物相はもとに戻りませんから」
「してみると、迷宮の循環装置に問題がありそうだね」
イースが納刀した。
「百十七層でマグマが噴き出してますから。迷宮内を走るパイプの水が温められて、そのせいで一層の温度が上昇しているんです」
「そのせいで、三層にグレイトドラゴンがポップしたんだよねえ。あれはびっくりしたにゃー」
「しかし、まずは目先のスライムを処理しなければね。このままでは百十七層に到達できるのがボクたちだけになってしまう。保守作業の業者も呼べないよ」
「まったく……気は進みませんけど」
「お、アルちゃんせんせ、作戦ある感じ?」
アルセーはモーニングスターの柄で、空中に図を描いた。
「一層をまるごと、結界で養生します。結界の内側で、水蒸気爆発を起こしましょう。高圧の水蒸気で一気にスライムを煮殺すんです。名付けて、マジカル・スライム・マッサカー作戦です」
「はっはっは! 派手でいいね!」
「…吹き飛ばさなくて…すむ…」
「よーし、やろーう!」
メイズイーターの四人は、手分けして、一層の各所に聖別魔力石を配置した。
「さて、それでははじめましょうか」
アルセーが、足元の魔力石をモーニングスターで打つ。
真っ黒だった聖別魔力石が燐光を放つ。
地面に輝線が走り、聖別魔力石同士が接続する。
プリーストのアルセーだからこそ為せる、大規模結界の奇跡だ。
「マイ、頼んだよ」
「るふ…」
マイアがイスタリヤドリギの蔓で編んだ杖を、体の前に突き出す。
「…膨らむ思念…閉ざされる祈り…駆ける夕立…」
詠唱。
「…薄藍の煙…焼ける水…水! 水! 熱狂する水! フレアティック!」
結界の内側で、過熱した水が水蒸気と化した。
膨張した水蒸気は結界によって圧力を高められ、摂氏百度をはるかに越える熱となって一層を駆け抜けた。
「うにゃ! なんか飛んできた!」
熱波に吹き飛ばされたスライムが、メイズイーターめがけて飛んできた。
結界は魔力を通さないが、単なる物体に関しては素通りだ。
「はっはっは! 上等だ! ボクが喰らってやろう!」
煮え立った水の塊に、イースが剣を叩きつける。
スライムの死骸は無抵抗に剣を通り抜け、そのままイースを包み込んだ。
「ぼごが! ぼごが!」
煮えたスライムが次々に飛んできて、イースを包む。
イースはその場に倒れ伏した。
「わー! 死んでます! わー!」
「ばかだねえ、バフ焚き忘れてるよこの子」
ルールーは、煮え死んだイースに辛辣な言葉を投げかけた。
「…守護する氷! アイギス!」
マイアが短詠唱の呪文を唱える。
凍り付いた空気の壁が、メイズイーターを守るように立ち上がる。
煮えスライムは冷たい空気の層を潜り抜け、人肌ぐらいの温度で三人を襲った。
「わー! ぬるくて気持ち悪いです! わー!」
「にゃごぶ! にゃっ! にゃっ!」
ルールーがやみくもにカタナを振り回す。
しかし、飛んでくるスライム相手に、たいした効果を発揮できていない。
「にゃー! 怒った! 邀龍の型っ!」
カタナを大上段に構える。
「東風解凍ッ!」
それは斬撃の“壁”。
無数の太刀筋を浴びたスライムは、小さな雫となって雨のように地面に降る。
数秒で、横殴りのスライムは止んだ。
「ふー、けっこう大変な仕事になっちゃったねえ」
スライムでどろどろのルールーが、ため息をついた。
「はっはっは! しかし今回もボクたちの勝ちだ!」
蘇生したイースも、同じくどろどろだ。
「…かぴかぴ…してきた…」
マイアの黒髪の先端は、乾いたスライムでかぴかぴになっていた。
「まったく……割に合わない仕事でしたね。報酬、聖別魔力石の代金で相殺ですよ」
アルセーもかぴかぴだった。
「よーし、ひとっぷろ浴びてストロングゼロとしゃれ込もうじゃないか!」
「はっはっは、名案だね! そうと決まれば!」
「るふ…るふ…あつい…お風呂…」
「ううう、ごめんなさいご主人……でも、かぴかぴが嫌すぎるんです……」
こうしてメイズイーターは、ふれんどしっぷ町田に向かった。




