マイア故郷に帰る④
往時の姿を取り戻したフリーケが、ふわりと着地する。
「フフフ……フフフフフ……!」
アルラウネが手を振り上げ、指令を下すように振り下ろした。
無数の編み上げ蔓が、一斉にフリーケを襲った。
「流れ去る時。翳る陽ざし。崩れ落ちる山塊」
フリーケは動じず、呪文を詠唱する。
「枯れる木々。漂う病――病! 病! 侵し尽くす病! ペスティレンス!」
木靴の踵を打ち鳴らし、魔法を放つ。
蔓は一瞬でぐずぐずに腐り落ち、異臭を放つ赤茶色の液体と化した。
「マイア! ぼさっとしてンじゃないよ!」
「…お、おばあちゃん…」
「ババアの手には余る相手だ! アンタが戦うんだよ!」
フリーケは跳躍し、マイアの背に乗った。
「…でも…杖も…右手も…」
「このババアを杖にしな」
驚くべき提案だった。
杖とは即ち、魔力を効率よく集め、望むがままに変化させるための触媒である。
森の魔女たるフリーケは、触媒として申し分ない。
「フフフフフ!」
怒り狂ったアルラウネが、蔦を振り回す。
横っ飛びし、歩脚でいなし、高く跳ね、かわしきれぬ一撃が――
「過熱する閃光! ラディウス!」
フリーケの短詠唱魔法が炸裂し、光線が蔦を焼き切った。
マイアが目を見張るほどの精度であった。
「…分かった…」
「いい返事だ、マイア! ババアの弟子なだけあるよ!」
フリーケはマイアの肩に両手を乗せ、マイアの頭におっぱいを乗せた。
「いいかい、アルラウネってのは地中に深く根を張るんだ。あんたの魔法で、丸ごと引きずり出してやんな。お日様のもとに、ぶざまな姿を晒してやるんだよ!」
「…るふ…るふ…!」
「そうさマイア、笑うのさ! さあ、やってやんな!」
フリーケに背中を強く張られ、マイアは好戦的な笑みを浮かべた。
「…這いずる朽縄…怯える木々…見下ろす夢…」
絶え間なく襲う蔦を回避しながら、詠唱は淀みない。
「…行き詰まる水…支配する腕…腕! 腕! 暴き立てる腕! ラプチャー!」
ずん、と、大地が揺れた。
「うわああああ!」
ブーランドがその場に伏せ、土をつかんだ。
動揺したアルラウネが、花弁を閉じて潜行した。
段々畑そのものが、激しく震えた。
石積みの法面にひびが入り、水が噴き出した。
ビキッ――ミシッ――
地の底から、不穏な音が響く。
潜行したアルラウネが土中からはじき出され、花弁を閉じたままのたうった。
段々畑を崩壊せしめながら、それが宙に浮いた。
横倒しにした巨木のような、ばかげて大きいアルラウネの主根であった。
主根の周囲には、アルラウネがぶら下がっている。
これまで戦っていた個体だけではなく、未成熟のものも見られた。
「マイア!」
「…おばあちゃん…!」
マイアは、跳んだ。
主根に歩脚を突き立てた。
「ババアが最初に教えた魔法だよ。覚えているかい?」
「…うん…!」
ローブの下に秘された暗黒空間を、めいっぱい広げる。
日食のように空が翳った。
泥まみれのブーランドは、茫然とその様を見上げていた。
空に広がる闇がアルラウネの主根を平らげる、その様を。
「フー……いささか、応えたね……」
「…つか…れた…」
師匠と弟子は目を閉じ、頭を下にして落ちるに任せた。
「う、わ、お、落ちてやがる! ババア! マイア!」
ブーランドは慌てて走り出した。
あの高さから落ちれば、墜死は免れない。
「くそおおお! 間に合ええええ!」
ブーランドは両手を伸ばし、地面を蹴った。
頭から大地につっこみ、数メートルほど滑走する。
だが、受け止める手応えは得られなかった。
「…ブー…?」
突っ伏したところに声をかけられて、ブーランドは自らの失敗を悟った。
魔法使いが、魔法も使わず落下死するはずがない。
「……その名前で呼ぶんじゃねえ」
ブーランドにできるのは、強がることだけだった。
◇
「……悪霊ってのは、間違いじゃなかったんだな」
崩れ落ちた段々畑を前に、ブーランドはぼそりと呟いた。
「魔女の本草学にゃあ、アルラウネのことがちゃーんと書いてあるのさ。やつらは畑荒らしの悪霊さね。勝てると踏んだが、ババアの予想より育っていてね」
「…強かった…」
「ハッ、呑み込んどいてよく言うよ。強くなったじゃないか、マイア」
「…うん…ありがとう…」
マイアと目が合ったブーランドは、気まずそうに顔を背けた。
「…じゃあ…帰る…」
「ア? え、あ、お、おう……」
マイアの言葉に、ブーランドは曖昧な返事をした。
「いや、マイア……」
意を決して顔をあげたとき、もうマイアはずいぶん先を歩いていた。
「今更、何を言えるでもないだろ」
フリーケが、ブーランドの肩に手を置く。
「アンタらは、寄ってたかってマイアをいじめ抜いた。ババアは、マイアを守ってやれなかった。今になって許されようたって、そうはいかないさね」
「……そう、だな。そうだよな。おれたちは、マイアを」
「やることがあるだろ、村長。畑はめちゃくちゃになっちまったんだ。どうやって村人を食わせる?」
ブーランドは伸ばしかけた手をひっこめ、体の脇で硬く拳を握った。
「わかんねえよ。助けてくれ、ババア」
フリーケはからからと笑った。
「いいかい、魔女への頼みごとってのは“盟約”なんだよ。アンタはこのババアと盟約を結ぶのさ、ブー」
「なんでもいいから、その名前で呼ぶんじゃねえ」