マイア故郷に帰る②
村は朝日を浴び、惨状をくっきりと際立たせていた。
多くの家が傾き、潰れ、ツタに飲み込まれていた。
残った家も、壁がはがされ、骨組みがむきだしになっていた。
痩せた子どもが、土の上に横たわっている。
マイアは水の入った革袋と白パンを子どもにさしだした。
子どもがうっすらと微笑み、細い腕を伸ばした。
「何をするの!」
金切声が響いた。
子供を抱き上げ、マイアを睨む女もまた、ひどく痩せている。
「…シエナ…」
ゆたかな巻き髪と、歳に見合わぬ大きな胸をいつも自慢していた女の子。
ブーランドとつるんで、マイアを畑のてっぺんから蹴り落としたり、石をぶつけたり――
マイアは首を横に振って、追想を打ち切った。
ぱさついた金髪にも、しぼんでしまった胸にも、往時の面影はない。
「アンタ、蜘蛛女のミスランドでしょ? なんで戻ってきたのよ。ウチの子を蜘蛛にしようたって……」
と、シエナの視線が、革袋と白パンに注がれる。
ごくり、と、唾を飲み込む音が聞こえた。
「…食べて…」
パンと革袋をシエナに押し付け、応答を待たずにマイアは歩き出した。
シエーナの口の周りに白く吹いた粉を、マイアは見ていた。
それで、人家の壁がはがされている理由を理解した。
餓えた村人は、壁の珪藻土までむさぼって、命をつないでいる。
「アアアアア悪霊!」
フリーケがマイアの前に飛び出した。
「アアア! アアアアア!」
しきりに指差す先は、段々畑だ。
「…おばあちゃん…もう…帰るから…」
フリーケは、残ったわずかな髪を振り乱した。
そして懇願するように、額を地面にすりつけた。
強引に横をすり抜けようとすると、意外にもすばやい動きで前に回る。
そして奇声を上げ、段々畑を指さす。
「…わかった…」
フリーケとの“盟約”を思い出したのだ。
七歳の夏、マイアは森の中の炭焼き小屋に一人で向かった。
醜い蜘蛛の胴を、窯で焼き切ろうと考えていた。
炭焼き小屋には、フリーケがいた。
マイアを一目見るなり、茶目っ気あふれる笑顔を浮かべた。
――んまァ、生意気にも蜘蛛の体なんぞぶらさげて。ババアが欲しいぐらいだよ。
生まれてはじめて、マイアは自らのからだを肯定された。
それからマイアは、フリーケと親しんだ。
マイアに収納魔法を教えたのは、他ならぬフリーケだったのだ。
――いいかい、魔女への頼みごとってのは“盟約”なんだよ。アンタはこのババアと盟約を結ぶのさ、マイア。
――…めい…やく…
――そう。アンタはババアに魔法を教わる。その代わり、ババアはアンタに一つだけ、なんでも頼みごとをできる。それが魔女との盟約さ。できるかい、マイア。
――…盟約…する…
収納魔法で蜘蛛胴を隠せるようになってからも、村人の態度は何一つ変わらなかった。
森の魔女と親しんでいるということで、罪状がひとつ増えたようなものだった。
「アアアアア! アアアアア!」
奇声を上げるフリーケが、魔女の盟約について覚えているとは思えない。
だが、この義理さえ果たせば、今度こそ村のことを忘れられるだろう。
マイアとフリーケは、段々畑に向かった。
◇
村が丸ごと死にかけている理由は、明らかだった。
今の時期であれば紫色の花をつけているはずのじゃがいもが、畑にほとんど残っていないのだ。
「…甘い…香り…」
段々畑にはそぐわない、どこか蠱惑的な臭気が漂っている。
「…悪霊…?」
「アアアア……」
フリーケは委縮しきって体を丸めている。
「おい……おい、てめえら! はっ畑に、何の用が……!」
肩で息をしながら、ブーランドが段々畑を駆けあがってきた。
「ああ、ちくしょうっ、ちゃんと食ってれば、てめえらなんかに」
「…ブー…」
「だから、その名、前、で……」
マイアを見上げたブーランドは、言葉を失った。
「…少し…黙って…」
杖を掲げたマイアの相貌に、殺気が浮かんでいる。
S級冒険者の凄味に、ブーランドは圧倒されたのだ。
「……キキッ」
マイアの視線を追えば、一匹のネズミがよたよたと這っている。
口に咥えているのは、見慣れぬ植物の肉厚の葉だった。
「キッ……」
ネズミが、ぱたりと倒れた。
ぴくぴくと痙攣し、手足をびんと伸ばし、動かなくなった。
「アアアアア! アアアアアア! ア、ア、あ、悪霊!」
土が跳ね上がり、ネズミの死体を飲み込んだ。
「……え?」
「…ブー…!」
マイアは体ごとぶつかって、ブーランドの体を押しのけた。
直後、土の中から飛び出した何者かが、有り得ぬ速度で三人を襲撃した。
土を巻き上げながら畑の上を滑走したそれが、ゆっくりと振り向いた。
「…アルラウネ…!」
身の丈は、三メートルほど。
血のように赤い花から、緑色の膚を持つ女性の上半身が生えている。
花から生えた女性は、口に獲物を咥えていた。
死んだネズミと、杖を握ったままの右手。
血の噴き出す傷口を、マイアは左手で強引に握り込んだ。
魔法を無造作に放ち、焼き潰す。
煙が上がり、肉の焦げる臭いがする。
「お、オマエ……」
「…ブー…逃げて…」
周囲の植物を枯らし、甘い香りや肉厚の葉で獲物を引き込み、喰らう。
それが、アルラウネというモンスターだ。
油断していい相手ではないが、強敵というわけでもない。
足手まといが二人いて、杖と右手を奪われているのでなければ。
「フフフ……フフフフフ……」
杖と右手とネズミを丸のみにしたアルラウネは、笑い声らしき音を立てた。
花の中から数本の蔦が伸び、力をためるようにたわんだ。
「…来る…!」
マイアは蜘蛛の胴を解き放った。
飛来した蔦を鋏角で絡め取り、力任せに引っ張る。
「フフフフフ……」
力が拮抗し、蔦が引きちぎれた。
勢い任せに、マイアはアルラウネめがけて突進した。
アルラウネは花弁を閉じ、ドリルのような姿となって地面に潜行した。
「…乗って…!」
「え? ア……」
「…はやく…!」
我に返ったブーランドが、フリーケを担いでマイアに飛び乗った。
マイアは瞳を閉じ、八本の脚に意識を集中させた。
わずかな震動。
「…しっかり…つかまって…!」
マイアが横っ飛びに飛んだ直後、アルラウネが地面を突き破って飛び出した。
太い根と繋がれた姿は、乗馬鞭のようだ。
アルラウネと土を結ぶ根をめがけ、左手で魔法を放つ。
杖も詠唱もないまま寄せ集めた魔力の塊。
アルラウネは空中で回転しながら花弁を開き、魔法を弾き飛ばした。
「フフフ……フフフフフ……」
アルラウネは着地し、笑い声をあげた。
蠱惑的な香りはいっそう強くなり、今や吐き気を催すほど濃密だ。
イースがいれば、杖を奪われるようなことにはならなかっただろう。
ルールーがいれば、一撃で根を寸断してくれたことだろう。
アルセーがいれば、五体が引きちぎられるのを覚悟して戦えただろう。
だがここには、満足に食べていない男が一人と、頭のいかれた魔女が一人。
マイアは静かに死を覚悟する。