マイア故郷に帰る①
パプリカをまるごと一個、網の上で真っ黒焦げになるまで焼く。
こげた皮をはがし、かっこよく切ったら白だしにひたし、冷めたらパプリカのおひたし。
刻んだ納豆、ゆがいて適当に切ったニラ、うずらの卵、和からし、砂糖をがちゃがちゃーっと混ぜて、ニラ納豆。
ワタを抜いて干したデスワームをぶつ切りにして、魚焼きグリルで炙った棒デスワーム。
大根おろしを添えてやる。
ああ、日常のつまみをモンスターが浸食していく。
「かんぱーい!」
ストロングゼロの缶をぺこぺこぶつけ合うのは、S級冒険者パーティ、メイズイーターの連中だ。
「いにゃー、染みてるねえ。パプリカいいねえ。くにゃくにゃしてて楽しいねえ」
おひたしをぱくぱくいくのは、けも耳ざむらい、ルールー・ルーガルー。
「ニラ! これはいいものだね、明日の活力になるものだ!」
やたら声でかいのは、金髪エルフのルーンナイト、イース・フェオー。
「わっ! デスワーム、すごいですね! 皮がぱりぱりで、脂すっごい乗ってます!」
まっさきに迷わず棒デスワームを食べて、桃髪ニンフのプリースト、アルセー・ナイデスはご満悦。
「あれ?」
なんか一人足りないな。
「マイアは?」
黒髪アラクネのメイジ、マイア・ミスランドがいない。
いつもいつも、四人がかりで俺の平穏をめちゃくちゃにしてくるのに。
「里帰りだってさ。ご両親が亡くなっちゃったらしいよ」
ルールーがからっと答えた。
「あ、それは……なんていうか」
「はっはっは、フロアルーラーが気にすることはないさ! もともとマイアは地元と疎遠だったからね。ここ百年は帰っていないはずだよ」
「スパンが長い」
「イース、エルフの尺度でものを言わないでください。でもリンヴァースに来てから、ずっと実家には帰っていないですよ」
「にゃー、そうだねえ。マイアはほら、売られっ子だから」
「られっ子の中でいちばん重たいやつだ」
「なに、よくあることさ。ボクの友人も八人ぐらい売られたよ」
「あるあるが全く笑えない」
ファンタジー世界の闇に不意打ちされてしまった。
「マイアの場合、ご両親はヒトですし、まわりにアラクネがいないみたいですから。そういうのもあって、地元では辛い目を見ていたみたいですよ」
「え、そんななんか、ヒトから生まれたりするんだアラクネ」
「わたしはヒトとドリアードの混血ですから。よくあることです」
「多様性がすごい」
しかし、こいつらにも人生ってあるんだよな。
酒呑ませてつまみ食わせてる今でも、ちょっと架空の存在っぽく思えていた。
「実家ね。俺もぜんぜん帰ってないな」
俺の両親は田舎でチャチな飲み屋をやっている。
別に、反目して飛び出したわけではない。
ただ単に継ぐつもりがないだけで、親は親で、どう思ってるのか知らんが表面上は何にも言ってこない。
「ま、うまいもん作って帰りを待つかね」
「ありがとう、フロアルーラー。マイも喜ぶよ」
「いーえ」
◇
谷間の寒村は、なにもかもがぐったりしていた。
山向こうに消えていく夕暮れまでもが、よろこびに溢れた人生を諦めているかのように。
両親の遺体は、ミスランド家の前の空き地に、無造作に埋められていた。
おまけに野猪の類が掘り起こしたらしく、二人分の人骨がむきだしになっていた。
わずかに残った肉は噛み痕だらけで、腐敗の緑色を帯びている。
マイアは杖を人骨に向けた。
「…慈しむ土…セプルクルム」
魔法は、周囲の土を背の高さほどに寄せ集め、焼き固めた。
それは無銘の墓碑となった。
すでに辺りは暗い。
一泊したら、帰るつもりだった。
故郷には、義理も思い入れもない。
今となっては、憎しみさえも。
「…悲しくも…ない…」
涙ひとつ流さない自分は、酷薄なのだろうか?
自問したが、悼むほどの記憶さえなかった。
「おい、てめえ……蜘蛛女か?」
懐かしい顔の若者。
ブーランド・バル。
村長の息子だ。
「…ブー…」
「その名前で呼ぶんじゃねえ」
ブーランドは、肩にかついでいたスコップを地面に突き立てた。
「何しに来やがった」
問いかけには、憎悪が込められている。
かつてブーランドは、村長の息子であるのをいつも鼻にかけていた。
そして、自分が正義であることを疑いもせず、マイアをいじめていた。
「…父さんと…母さんの…お墓を…」
マイアは淡々と答えた。
「ああ、そうかよ」
ブーランドは、両親の墓碑にスコップを叩きつけ、
「ってえ……!」
はじき返され、尻餅をついた。
この墓碑は、リンヴァースに比類無きメイジの魔法がこもっているのだ。
寒村の村人が砕ける道理などない。
「今すぐこいつを壊しやがれ、マイア。村長命令だ」
「…村長…」
「ああ、そうだよ。親父はおととし逝っちまった。今じゃおれが村長だ」
マイアは笑みを浮かべた。
この鼻持ちならないうすのろが、村長なのだ。
生まれ故郷は何も変わっていない。
それが、滑稽だった。
「てめえ! なにがおかしい!」
「るふ…るふ…」
「あああ、その笑い方だ。覚えてるぜ。てめえはいつも、殴られる度にそういう笑い方をしたな。媚びるようで、おれたちを丸ごとばかにするような笑い方だった」
「…猪に…掘り返されていた…」
マイアはただ事実を告げた。
「ア? はあ? ……ああ、そういうことかよ。だからこのおれが、埋め戻しに来たんだろうが。余計なことをしやがって」
「…明日には…出て行く…」
ブーランドに背を向け、マイアは両親の家に入った。
「おい、てめえ! 待て、蜘蛛女が! 話は終わってねえぞ」
扉越しの怒鳴り声は、無視しているうち、聞こえなくなった。
◇
翌朝。
「アアアアー! アアー! アー!」
奇声でマイアは目を覚ました。
陽ざしの中で、両親の家をあらためて見る。
壁の珪藻土は剥がされ、竹の骨組みがむきだしになっている。
家財道具は一切合切持ち去られ、床板も半分ほど失われている。
この寒村に、盗人や食い詰めた騎士団がやってくるはずなどない。
わずかなじゃがいもを段々畑で育て、やっと食いつないでいるような土地なのだ。
とすれば、壁や床板をはがしたのは村人だろう。
「アアー! アー! アー! アアアアア!」
奇声が止まない。
マイアは外に出た。
老婆が、両親の墓碑の前で膝をつき、両手を広げていた。
泣いている。
どう見てもまともな精神状態ではない。
「…フリーケ…おばあちゃん…」
横顔に、見覚えがあった。
魔女フリーケ。
森に住み、ささやかな魔法や本草学の知識によって、村人の敬意と恐怖を集めていた。
「アアアア……」
だがフリーケは、とんがり帽子もローブも、魔法を使ったあとの茶目っ気あふれる笑顔も、どこかに落としてしまったらしい。
豊かな銀髪は抜け落ち、ボロ布をまとった体は枝きれのようだった。
フリーケがマイアを見た。
白内障で濁った瞳が、ゆっくりと焦点を結んでいった。
「ア、アアア……」
ぽってりとした下唇、長くカールしたまつ毛、ふくよかな四肢。
あの魅惑的な肉体は魔法によって保たれていたのだと、マイアは思い知った。
目の前にいるのは、みじめな老婆だった。
「…おばあちゃん…」
マイアが近寄ると、フリーケは全身を震わせ、飛び退いた。
「アアアアア! アアアア!」
奇声に威嚇の色がまじった。
村に来てはじめて、マイアの胸がちくりと痛んだ。
居場所のないマイアに魔法を教えたのは、他ならぬフリーケだった。
「まだいやがったのか、蜘蛛女」
ブーランドが、スコップ片手にやってくるなり悪態をついた。
「…ブー…」
「だから、その名前で呼ぶんじゃねえよ!」
「…おばあちゃん…どうして…」
「ア? それ、てめえに関係ねえだろ? さっさとこのくだらねえ墓をぶっ壊して帰りやがれ」
「…そう…」
マイアはまつげを伏せて呟いた。
ブーランドはややたじろいだ。
「……いきなりおかしくなっちまったんだよ。じゃがいも畑に悪霊が住み着いたとか言い出しやがって、魔法で丸ごと焼き払おうとしたんだ」
「…悪霊…?」
「知らねえよ! だから、このクソババアがどうかしちまったんだよ!」
「クソババア!?」
フリーケが立ち上がった。
突如として我に返ったようだった。
「やべえ」
ブーランドが青ざめる。
昔からフリーケは、『クソババア』という言葉に激烈な反応を示したのだ。
「クソババアだって!? あたしゃねえ、アンタが親父の金玉袋を泳いでた頃からババアなんだよ! 敬意ってもんを持ちな!」
フリーケはブーランドに掴みかかった。
「やめろって! いい加減にしろ、ババア!」
ブーランドに突き飛ばされたフリーケは地面に横たわると、
「アアア……アアアアア!」
ふたたび奇声を上げはじめた。
見下ろすブーランドの瞳には、怒りだけではなく、後悔がある。
「俺たちはフリーケを止めたんだ。だってのに、てめえの親父とおふくろが、畑を見に行って……」
ブーランドが言いよどむ。
「…死体で…帰ってきた…」
「二人は死んで、一人は狂っちまった」
「…なにが…あったの…」
「分かりゃ苦労しねえよ!」
ブーランドは怒鳴り、スコップを地面に叩きつけた。
驚いたフリーケが這って逃げた。
「……とにかく、どの道てめえには関係のねえ話だろうが」
ブーランドは吐き捨てるように言った。
「村長命令だ。これ以上ろくでもねえことを起こすまえに、さっさといなくなりやがれ、蜘蛛女」
マイアはうなずいた。
自分を売った父と母の末路など、どうでもいい。
この村がどうなろうと、興味はない。
ただ、墓を見に来ただけだ。
マイアはブーランドの横を通り過ぎ、村の出口に向かった。