第七十七話
第七十七話
「二度目の渋谷に、到着!」
「……舞歌。頼むから静かにしてくれ」
地下から地上に上がり、再び太陽の光と街の喧噪を耳にした舞歌はそう叫んだ。
何事かと集まる視線に顔をしかめ、舞歌が抱き着いていない方の手を額へと運ぶ。
何かにつけて声を上げたがるのは、彼女の癖なのだろうか、と俺がそんな彼女の一面について考えている時だった。政樹が口を開いたのは。
「真希。恥ずかしい二人はほっといて、飯食いに行かないか?」
「あら。それは名案ね」
政樹のその言葉に、真希はあっさりと頷く。
その言葉に、行動に、俺が突っ込みを入れようとする前に、舞歌が声を上げた。
「ちょっと二人とも!駄目だよ!ご飯は皆で食べなきゃ!和を乱す行動は禁止!」
『和を乱す?』
俺から手を離し、両腰に手をあてそう言った舞歌の言葉に、政樹と真希はそう声を重ねた。
不機嫌そうなその声色。そして眼差しに、舞歌は顔を引き攣らせて、一歩、身を引く。
そんな彼女へ、政樹が呆れた表情を貼付けて言う。
「勝手に騒いで和を乱してるのは、舞歌だと思うけど?」
うっ、と言葉を詰まらせている舞歌に、真希が苛立たしそうに髪をかき上げ、言う。
「さっきも言ったけど、私はあんた達とは違って、人の目を気にする一般人なの。一々騒いで、それに巻き込まないでほしいのよ」
「うぅ……」
更に一歩後ずさる舞歌。そんな彼女に政樹と真希はとどめを刺す。
『何か反論は?』
「紡ー!まきまきコンビがいじめるー!」
「……なんだその呼び名は……?」
正面から俺に抱き着き、俺の胸に顔を埋める舞歌を適当に宥めながら、俺は気になったことを舞歌に問いただす。
俺の言葉に舞歌は顔を上げ、口を開く。
……その時の表情が可愛いと思った俺は、多分、重症。
「何、って、真希と政樹君のコンビ名。ほら、政樹君の“さ”の字を取ったら二人とも“まき”でしょ?だからまきまきコンビ」
「……安直」
俺達三人の気持ちを代弁した、真希の言葉だった。
三人そろってのため息。とりあえずこの話題はこれまでにして、俺は話しの方向を変えるべく、口を開く。
「とりあえず、予定通りに昼飯にしよう。二人とも、何かリクエストあるか?」
予定通り、というのは他でもない。
俺達四人は昼食を食べる為に再びここ、渋谷へとやって来たのだ。
政樹が真希と共に俺と舞歌を叱ってから、俺達四人の距離は急速に縮まった。
どういう心境の変化があったのかはわからないが、政樹は変わった。俺が東京にいた頃、政樹は人目を気にし、公共の場で騒げるような人間ではなかった。
公共の場で騒ぐことがいいこととは決して思わないが、自分の思ったことをそのまま行動に移している政樹の姿が、瞳が、俺は好きだった。
そう感じたのは俺だけではなかったのだろう。だから舞歌も真希も、距離を作らず政樹と接しているのだ。
そうして四人になった俺達は、この後の時間、舞歌が入院するまでの時間を一緒に過ごすことにした。
とりあえずどうする、と意見を求めたところ、舞歌が
「お腹空いた」と誰よりも早く口にした。
調度昼時ということもあり反対意見は出ず、満場一致で今後の予定はあっさりと決まり、
「食事のあとにいろいろと見て回るなら、最初から渋谷に移動して食事にした方が無駄がない」という真希の効率を考えた正論に従い、俺達は渋谷へとその歩を向けたのだ。
俺の言葉に舞歌は瞳を輝かせる。
「私、美味しいデザートが食べたい!」
「……メインはどうでもいいのかよ……」
呆れた視線を舞歌に向けるも、全く効果が見られないので、俺は真希へと視線を向ける。
俺の視線を受けた彼女は、小さくため息をつき、目をつぶり、髪をかき上げながら言う。
「……舞歌が言ってるデザートっていうのは、多分洋菓子のことだから、イタリアンかフレンチね。けど舞歌は間違いなく騒ぐから、フレンチは却下。パスタハウスかトラットリア、カフェあたりが妥当なんじゃない?私はお店は知らないから、そこら辺はあんた達に任せるわ」
「……流石は真希。無駄がないな」
俺の称賛に、真希は
「当然よ」と満更でもなさそうに微笑む。
「じゃあ政樹。どうす……」
「ねえ。紡」
政樹に店の相談をしようと口を開くと、舞歌がそれを遮る。
「何?」
顔を下に向け、舞歌に問うと、彼女は不思議そうな顔で言った。
「トラットリア、って何?」
「は?……ああ」
舞歌の問いに俺は疑問の声もあげるも、すぐにそれに納得した。
俺達が今住んでいる所には、トラットリア、ましてやリストランテなんて存在しない。イタリアンと聞いてまず思い浮かべるのはパスタハウスのことだ。
だから舞歌が知らなくても仕方のないことなんだ。
「トラットリアっていうのはイタリア語で“定食屋”って意味。パスタハウスとは違って、パスタ以外のいろいろなイタリア料理も食べれる店のことだよ」
「へー。そうなんだぁ」
感心したように頷く舞歌。
生きることを諦め、自分の好きに生きていた舞歌。
しかし、彼女は、自分の生まれ育った場所から他の場所へと行こうとはしなかった。
詳しく聞いたことはなかったが、おそらく、嫌だったのだろう。
他の、例えば東京などに来て、自分の知らなかったものに、興味のあるものに出会ってしまい、それが原因で“生きたい”と思ってしまうことが嫌だったのだろう。
けど、生きると決めた彼女は、これから先、いろいろなものを見て、いろいろなことを知っていくだろう。
……その時、出来ることなら、俺は彼女の隣にいたい。
俺の知っているものも、知らないものも、いろいろなものを、いろいろなことを二人で見て、知っていきたい。
俺はそんなことを考えながら、舞歌の柔らかい髪を撫でる。
舞歌はきょとんとしていたが、すぐに目を細め、心地良さそうな笑顔を浮かべた。
「……なあ、真希。この二人はいつもこうなのか?」
「ええ。人目を気にせず、どこででもいちゃつく、バカップルよ」
政樹の問いに、真希の辛辣な言葉。
それで二人の世界から抜け出した俺は、わざとらしい咳ばらいをしてから口を開く。
「政樹。それでどこに……」
「紡……?」
政樹への相談は再度遮られた。
しかし、今度は舞歌ではない。
そして、真希でも、ない。
聞き覚えのあるその声。
しかし、二度と聞くことはないだろうと思っていた、懐かしい、声。
俺は息をのみ、記憶をフラッシュバックさせながら、ゆっくりと、ゆっくりと……その声がした方へと顔を向けた。
「……知子」
「やっぱり紡だ!なんでここにいるの?引っ越したんじゃなかったの?」
俺がプレゼントしたヴィトンのバックを肩にかけ、馴れ馴れしくそう話し掛けてくる彼女は、俺が東京にいた時の彼女、“松島知子”だった……