第八話
第八話
「へー。紡君ってこのシャンプー使ってるんだ」
「そうだけど…。何?」
「ん?なんとなく納得しただけ」
「なんだそりゃ…」
シャンプー等の消耗品を求め、無駄に広いフロアを舞歌と共に歩く。
舞歌はもう何度もここに来ていて、だいたいの物の場所は覚えているらしく、スムーズに買い物をすることが出来てかなり助かっている。
「ほら、紡君ってセンス良いし、いつも清潔にしてるじゃん?だから、いつもどういうの使ってるのか気になってたんだよね」
「…そうすか」
けなし言葉を面と言われても嫌だが、褒め言葉を面と言われても反応に困る。
「ち・な・み・に!私も同じの使ってるんだよ!お揃い、お揃い」
「ほー。つまりは自分もセンスが良いと、そう言いたい訳か」
「いやー、そんな、センスが良いなんて言われると照れちゃうよ〜」
「さて、次は洗濯洗剤か」
にやけながら自分の頭を撫でている舞歌に、冷たい視線も“向けることなく”足速にその場を去ろうとする。と――
「ちょ!?ちょっと紡君!!なんで突っ込んでくれないの!?今突っ込むところだよね!?」
――案の定、舞歌が慌てて俺の腕を掴んだ。
「ははは。何、訳のわからないことを言うんだ舞歌。それよりも、洗濯洗剤の場所がわからないんだ。案内してくれないか?」
そうされるのがわかっていたから、そして、こんな所に来てまで突っ込みをしたくないから(駐車場ではしてしまったけど)俺は慌てる事なく、スルーし続けた。
「…あくまで突っ込み入れないつもり?」
「ははは。だから何訳のわからないことを…」
「…ふぅん」
俺の台詞の途中で、舞歌はそう、呟いた。そして、同時に嫌な予感が体中を走り回る。
―やばい。
そう、予感じみた直感に動かされ俺が口を挟むより早く――
「そうやって、私のこと捨てるんだ!」
「なっ!?」
――舞歌がとんでもない台詞を言ってくれた。それも大声で。
当然ここには、学校の連中みたいに俺達のやり取りを知っている人間はいない。
仮にいたとしても、大半の人間は知らない。
そんなところで、こんなことを大声で言われたらどうなるか。答えは火を見るよりも明らかだった。
「うわ、サイテー」
「あの娘可哀相」
中傷の言葉。非難の視線。その全てが俺に向けられている。
「あ、あのな舞歌!お前何こんなところでそんなふざけたことを…」
「ふざけてないよ!そうやって私のこと裏切って…。酷いよ…」
俺達を遠目に見ている取り巻き達から受ける視線が、舞歌のその言葉で更に強くなる。
なんとか舞歌をなだめ、この場を取り繕わなくては。
そう思い行動に移す…前に、舞歌にとどめを刺された。
「いつもは……くれるのに、こういう時ばかり……くれなくて…。私……にはあなた……が必要なのに…」
「―っ!!?」
俺には聞こえた。舞歌の言葉の“全て”が。
舞歌はこう言ったんだ。
『いつもは“突っ込んで”くれるのに、こういう時ばかり“突っ込んで”くれなくて…。私“のボケ”にはあなた“の突っ込み”が必要なのに…』と。
舞歌は確かにそう言った。
肝心の部分を“近くにいる俺にしか”聞こえないように、涙ぐんでごまかしながら。
当然、俺達から少し離れて見ている取り巻き達に聞こえる訳がなく、非難の視線がより一層強くなる。
刺さるような視線、とはよく言うが、それは事実なんだと、本当に痛いものなんだと、俺は今、身を持って学んだ。
「それに…」
「―っ!」
舞歌がそれ以上口を開く前に、これ以上中傷の言葉と刺さる視線が強くなる前に、俺は舞歌の手を取り走り出した。
取り囲んでいた取り巻きの一部を掻き分けて、その場を後にする。
「お前な!なんであの場であんなこと言うんだよっ!?」
走りながら、逃げながら。俺は舞歌に問いただす。
「あんなこと、って、私嘘は言ってないよ?きちんとみんなが誤解するように、考えて要点はぼかしたけど」
「この小悪魔がーーっ!!」
先程まで浮かべていた悲痛の表情はどこへやら。舞歌はとても楽しそうな笑顔を浮かべていた。
舞歌のぼけにスルーは厳禁。そのことを俺は深く、とても深く、思い知らされた。
・・・・・・・・・・・・
「はあ、はあ、はあ…」
5分後、俺達は肩で息をしていた。
どこをどう走ったのか全く覚えてはいないのだけれど、それでもなんとか別の階の(この店は二階建てで、一階は主に生活用品、二階は主に雑貨等を扱っている。俺達が先程までいたのは、一階)人気のあまりない片隅まで移動し、ようやく俺達は足を止めたんだ。
「はあ…。ったく、酷い目にあった」
先に呼吸を整えたのは俺だった。膝に手をあて前屈みになっていた体勢から、腰に両手を添え、背筋を伸ばし顔を上に向ける。
そこで一度深呼吸して、俺は舞歌に愚痴をぶつけようと思った。
「あのなあ、舞歌。お前…」
そう言いながら視線を舞歌に向けたところで、俺は言葉に詰まった。
舞歌が、俺と同じ、膝に手をあて前屈みになった体勢で、荒い息を繰り返しながら、片手を俺の方に向け、待った、のサインを出したからだ。
「ん…お前大丈夫か?ベンチ座るか?」
心配になった。呼吸が完全に戻った俺に対し、舞歌はいまだに、ゼイゼイ、と落ち着く気配がなかったから。
俺の提案に舞歌はその体勢のまま微かに頷いたので、俺は舞歌の手を引き、近くのベンチに座らせる。
「大丈夫か?」
背中を摩りながら声をかける。だが、舞歌は肩で荒い息を繰り返すばかりで、返事は返ってこなかった。
「……紡、君…ひどいよ…」
そうやってどれくらい荒い息を繰り返していただろう?
ようやく呼吸を整えた舞歌が、非難を込めた視線を俺に向けてきた。
「酷い、って…。俺が何かしたか?」
まあ、確かに突っ込みを放置はしたが、“酷い”という言葉を使うなら、その後の舞歌の行動だと思うのだが?
「あんなに…長時間……走らせ……ないでよね……」
「長時間、って…」
舞歌を連れて走ったのは約5分。それを長時間と言うのだろうか?
「私は…体力、ないの!」
訝しげにしていた俺の視線に気付いたのか、舞歌はそう言った。
イメージとは全く違うのだが、どうやら舞歌は体力がかなりないらしい。
「それは、悪かった。知らなかったんだ。だけど、その理由を作ったのは…」
「言い訳は聞きません!」
息を吹き返した舞歌は理不尽だった。いつものことではあるが。
「と言う訳で、この後の買い物は、私と手を繋いでしようね」
「なんでそうなる!?」
「んと…罰ゲーム?」
「それを俺に聞くな!」
「うー…」
「唸りたいのは俺なんだが…」
頭痛を覚えるやり取りを繰り返す俺達。あの手この手で俺を頷かせようとする舞歌。理屈で切り返し、抵抗する俺。
そんな、不毛だが均衡の取れたやり取りに楔を打ったのは舞歌だった。
「うー。そんなにうだうだ抵抗してると、また大声で泣きまねするよ?」
「なっ!?」
それはお願いする手段としては最強のカードだった。
脅迫じみた、いや、間違いなく脅迫だ。
「言っとくけど、私は本気だよ?」
舞歌の言葉に偽りはないだろう。こいつはやると言ったら必ずやる女だ。
「……なんでそんなに手を繋ぎたがるんだよ?」
今の言葉は抵抗のつもりではない。もう諦めていたから。
ただ、単純に気になったから。だから聞いてみたんだ。
「んー。楽しかったから、かな」
それが舞歌はわかったのだろう。だから俺の質問に、素直に答えてくれた。
「楽しかった?」
「うん。紡君と手を繋いで走った時ね、すぐに息が切れて苦しかったんだけど、でも楽しかったんだ。だから、また手を繋ぎたいな、って」
そう言って笑う舞歌は本当に楽しそうで。その笑顔を不覚にも俺は、可愛い、って思ってしまったんだ。
「…そんな理由で手を繋いで、誰かに誤解されても知らないからな」
「構わないよ。紡君となら」
「……ほら」
見とれたことを隠したくて、舞歌の言葉が嬉しかったことを隠したくて、俺はぶっきらぼうに右手を差し出す。
舞歌は、やはりそんな俺の心境をわかっているのだろう。優しい、それでいて嬉しそうな笑顔で、俺の手を握ったんだ。