第七十五話(前半)
第七十五話
「おおー!人がいっぱい!すごーい!」
「ま、舞歌……少し落ち着こう……」
「あー!ハチ公だ!ハチ公!紡!忠犬ハチ公だよ!」
「……ダメだこりゃ」
JR渋谷駅のハチ公前口。冬の、高く澄んだ青空の下には、平日にも関わらず多くの人がいた。学生達は既に冬休みに突入している時期のため、そんな若者達で渋谷の街は休日並に多くの人で賑わっている。
そんな懐かしい人混みの中で、俺は向けられる奇異の視線との格闘をしていた。
その視線は、直接俺へ向けられている訳ではなく、改札を出るなり、瞳をキラキラと輝かせながらはしゃぐ舞歌へと向けられているのだが、彼女は俺の右手を抱きしめながら騒いでいるため、俺にも彼女に向けられるものと同様の視線を向けられていた。
「……そこで他人のふりしてんな。真希」
「……はぁ」
そんな俺達から少し距離をとり、他人のように俺達の後をついて来ていた真希を、俺は遠慮なく巻き込む。
俺に名を呼ばれ、視線を固定され、逃げられないと悟った彼女は、大きなため息をつき、俺達との距離を縮めた。
彼女は俺の左側にくると、俺を睨みながら言う。
「あんた達とは違って、私は人の目を気にする一般人なの。巻き込まないでほしいんだけど」
「……俺を舞歌と同一視したことに疑問は残るけど、まあ、諦めろ」
「……はぁ」
俺の言葉にもう一度大きなため息をつき、真希はウェーブのかかった髪を苛立たしそうにかきあげた。
そんな仕種をした真希の横を通った男が、振り返って彼女を見、そして俺を見て苛立たしそう去って行く。
それを横目で見ていた真希は、小さい笑顔を浮かべた。
「一人で来てた時はナンパがうざかったけど、やっぱり男がいると楽でいいわね」
「えっ!?真希東京に来たことあるの!?」
俺が聞こうとしていたことを、代わりに舞歌が代弁する。
以心伝心、と言いたいところだが、大声をあげるのはやめてほしい。目立つし、うるさいから。
「ええ。月に一回は来てるわよ。代官山には顔なじみになったショップもあるもの」
「へぇ。そうなんだ」
今真希が着ている黒いピーコート。素材もデザインもかなり良く、そこらへんの店で売っているようなものとは違うと思っていたが、なるほど。高級街のショップのものだったのか。
そうやって俺が服を観察していることに気づいたのか、真希は歩みを止め(渡ろうとしていたスクランブル交差点の信号が赤くなったからだ。常識人な彼女がそんなはた迷惑な愚行をするわけがない、と俺は信じている)体を俺の方に向け、腰に手を当てモデルのようなポーズを取った。
濃い紺のタイトなジーンズも、ヒールの高い黒のニーハイブーツも。そして、俺がプレゼントしたストールも、全てセンス良く着こなしていて、悔しいがかっこよかった。
「……ナンパされる訳だよ」
「ふふ。そう?」
満更でもない笑顔を浮かべる真希に、舞歌はふて腐れた表情で言う。
そんな舞歌の服装は、白いピーコートに黒く短いスカート。
こうして見比べて見ると、小悪魔と天使のようにも見える。実際はどちらも小悪魔なのだけど。
「そんなにしょっちゅう来てるなんて、私、知らなかった!なんで私も誘ってくれなかったの?」
「……聞きたいの?」
笑顔から一変し、目を細め、冷めた視線を舞歌へと向ける真希。
その視線は俺の隣にいる舞歌に向けられているのにも関わらず、俺すらもが萎縮するような鋭さで。
俺はその言葉と態度で、彼女の言いたいことを悟った。
真希はつまり、生きることを諦めていた舞歌と一緒に来たくはなかった、そう言いたいのだ。
「……結構デス」
舞歌もそれをきちんと理解したのだと、引きつった表情が物語っていた。
「そう。賢明ね」
「あは、はは……」
渇いた笑いを浮かべる舞歌。
そうやっておとなしくなった舞歌に、そして真希に俺は言う。
「で?これからどうする?」
俺達が渋谷に来たのは、何か計画があって、ではない。
舞歌の入院を午後からにしてもらったので(舞歌が親父に、またわがままを言ったのだ)午前中は舞歌の希望により、渋谷を見て回ることにしたのだ。
「私はどこでもいいわよ。一人じゃない東京は初めてだから、どこに行っても楽しめるだろうし」
と、真希。俺も、約二ヶ月ぶりの渋谷ではあるのだけど、取り立てどこかに行きたいというのはなかった。
そんな理由から、決定権は自然と舞歌に委ねられる。
俺達二人が視線を舞歌に集めると、彼女は
「うーん」と唸ること数秒、すぐに表情を明るいものへと変えた。
「紡が通ってた学校を見たい!」
「学校?」
なんでそんな所に行きたいのか、そう思い顔をしかめる俺とは対照的に、真希は意外にも乗り気だった。
「へえ。舞歌にしては意外といいアイディアね」
「えへへー。でしょ?」
どこが、という突っ込みを、俺は飲み込む。
言っても無駄だろうし、反感をかうのが目に見えているから。
しかしながら、俺は学校へ行くことに乗り気ではなかった。
不謹慎な考えではあるが、せっかくこうして三人で娯楽には困らない所に来ているのだから、遊びたかったんだ。
だから俺は、そこにはふれずにやや否定的なことを言う。
「学校に行ったって何もないし、つまらないぞ?それに、ここからだとまた電車に乗らなくちゃ行けないし」
ついさっき電車を降りたばかりなので、そうするのは嫌だろうと思っていた。しかし、二人から出たのは、想像とは違う言葉だった。
「じゃあ駅に戻ろう」
「何線になるの?」
どこまでも乗り気な二人。
舞歌に腕を引かれながら、信号待ちをしていたスクランブル交差点をUターンする俺達。
背後で色を変えた信号を、俺は恨んだ。
・・・・・・・・・・・・
再び乗った電車。地下鉄なので外が見えないと膨れる舞歌を空いていた席に座らせ、俺と真希は彼女の前に立つ。
吊り革を掴みながら舞歌と話しをしている真希に、俺はふと気になったことを尋ねる。
「そういえば、なんで真希が一緒について来てるんだ?」
「本当、今更な質問ね」
「紡。朝から一緒にいるのに、なんで今頃になって聞くの?」
二人に呆れた表情を向けられ、俺は頬をかきながら渇いた笑いを浮かべる。
そう確かに今更なのだ。
東京に向かうために、朝、静歌さんに家まで迎えに来てもらった時(俺達が今住んでいる所から東京に来るためには、隣町にある駅まで行き、そこから電車に乗らなくてはならないからだ。
ちなみに親父は、二日前、つまりクリスマスイヴの日には東京に戻って来ており、既に舞歌を受け入れる準備をしていたらしい。そのために、静歌さんに迎えを頼んだのだ)から既に助手席に座っており、東京に来るまでの電車の中でも、親父の病院に行った時も。そして静歌さんと別れ渋谷に向かった時も、ずっと真希は俺達と一緒にいた。
あまりに違和感がなかったので俺も聞くのを失念していたが、よくよく考えれば、彼女が一緒に東京に来る理由などないのだ。
あえて理由をあげるとしたら、親友の手術が心配だから、だろうか。
俺に冷たい眼差しを向けることに飽きたのか、真希は小さい、しかしはっきりとしたため息とともに言う。
「下見よ」
たった一言の言葉に、俺はそれが先程の問いに対する答えだとはわからなかった。
怪訝な俺の表情を見て真希はもう一度ため息をつくと、再度口を開く。
「だから、下見。私、来年、東京の大学に入学するから」
「へえ。真希って大学決まってたんだ」
「いえ。まだ受験もしてないわよ」
「……おい」
真希は言い切った。入学するから、と。
それはつまり、自分が受かることを微塵も疑っていないということ。
彼女らしいと言ってしまえばそれまでだが、実にいい度胸だった。
「……どこ受けるんだ?」
不敵に笑う彼女に、このことに対し突っ込みを入れるのを諦めた俺は、とりあえず話しを広げることにした。
「東京医大」
「東京医大、って……!東京医料大学!?」
思わず声をあげてしまった俺に、無数の視線が集まる。
迷惑そうに俺を睨み付ける真希に、俺は謝りながら、言う。
「それって、俺の親父が働いてる病院の附属大学じゃないか……!」
「そうよ。だからいい下見でしょ?」
「……」
確かにこれ以上ないいい下見だし、彼女が俺達について来た理由も頷ける。
だかしかし……
「意外そうな顔ね」
そう。彼女のこの行動は実に彼女らしいと言えるが、志望している大学は彼女らしくはなかった。