第七十四話(後半)
「……あとで静歌さんにきちんとお礼を言っておく。……あの時計は、大切に使わせてもらうよ」
「……うん。そうしてあげて」
俺の言葉を受け、舞歌はその笑顔をより深めた。
静歌さんが想いを俺に托すことを決意をしたように、舞歌が俺に真実を伝えることを決めたように、俺も覚悟を決めた。
あの時計を、静歌さんの想いを受け止める覚悟を。
正直に言ってしまえば、不安だった。そんな大切なものを受け取って、身につけていいものなのか、そう考えた。
静歌さんに返した方がいいのではないか、そう思った。
……けど、そんなことをしたら、静歌さんを侮辱することになると思ったんだ。
悩んで出した答えに、何も知らない子供に
「本当にそれでいいのか」などと聞かれたら俺でも腹が立つ。
それに、そんなことをして汚したくなかったんだ。静歌さんと、そして、悟さんの想いを。
だから俺は、受け取ることを選択した。
今の俺には重い時計。
しかし、いつか堂々とそれを身につけられるような男になりたい。そう思いながら。
「……なあ、舞歌」
彼女の名を呼びながら、俺はズボンのポケットに手を入れる。
指先にコツンと触れる、俺の想いの形。
静歌さんの時計に比べれば、値段も素材も陳腐なものなのだけど、でも、込めた想いだけは負けないと思っていた。
「うん?何?」
「目を閉じてくれないか?」
舞歌は眉を寄せ、怪訝な表情を浮かべる。
「いいけど……なんで?」
「キスしたいから」
「喜んで!」
表情を嬉々としたものへと一転させ、素早く目を閉じ姿勢を正した彼女の姿に、俺は小さく笑う。
こんな仕種一つとっても愛おしいと感じてしまうのだから、俺も中々に重症だ。
ポケットの中からそれを取り出し、舞歌へ歩み寄る。
もともと近い距離にいたので、二、三歩歩いただけで彼女の前へ。
俺が近くに来たのを気配で感じとったのか、舞歌はご丁寧に顔を少し上へと向ける。
俺はその仕種に微笑みを浮かべながら、キス、はせずに、彼女の左手を取った。
「紡?」
「いいから。目は閉じてろって」
俺の行動に疑念を持った舞歌が目を開けようとするが、その前に静止をかける。
「うん……わかった」
納得はいっていないようだが、素直に俺の言うことを聞いてくれた舞歌に感謝しながら、俺は持っていたものを、舞歌の左手の薬指に通した。
「――っ!」
俺の行動の意味を、自分の指につけられたものの意味を悟った舞歌は、鋭く息をのみ、目を開く。
真っ先に視線を向けるのは、自分の左手。
薬指で輝くシルバーのシンプルな指輪を、舞歌は瞬きもせずに、見続けていた。
「安物だけどさ、クリスマスプレゼント」
指輪を凝視していた舞歌だったが、声をかけると弾かれたように俺へと顔を向けた。
「そんな……だって私……ないのに……」
支離滅裂な言葉は、きっと混乱しているからだろう。
先程とは逆の立場に立った俺達。
俺は、舞歌がしていたように、彼女に優しい瞳を向ける。
「いいんだよ。プレゼントが欲しかったから用意したんじゃないんだから。静歌さんじゃないけど、それは俺の想いの結晶だ」
舞歌は再び視線を指輪へと固定させる。
俺も舞歌の視線を追い、彼女の左の薬指で輝いている指輪を見ながら、言葉を続ける。
「これから先、四六時中一緒にいれればいい。けど、進学したり就職したり、例え結婚することになったとしても、それは出来ない。必ず一人の時間は出来てしまう」
そんな俺の言葉に、舞歌は不安そうな視線を俺へと向けてくる。俺はそんな彼女を安心させる為に、彼女の頭を優しく撫でる。
「そんな顔するな。嫌かもしれないけど、それが現実だ」
「それは……そうかもしれないけど……」
不安と不満が入り混じった表情を浮かべる舞歌。
俺はそんな舞歌の左手を取った。
「そうなった時にお前が不安にならないように、この指輪を用意したんだ。安物だけど、これには舞歌に対する俺の気持ちが詰まってる。俺はずっと側にいてはやれないけど、この指輪が、俺の想いの結晶がずっと側にいる。嬉しい時。怒った時。悲しい時。楽しい時。ずっと舞歌と一緒にいる。だから何も不安がることはないんだよ。体は離れていても、想いはずっと一緒なんだから」
「紡……」
涙ぐんだ瞳で俺を見上げる舞歌に、俺は急に恥ずかしくなった。
思えばずいぶんと恥ずかしいことを言ったものである。
照れ臭くなった俺は、舞歌から視線を外し、頭をがしがし、とかく。
そして、思ってもいないことを照れ隠しに言った。
「別に、嫌だったり重かったり、俺のことを嫌いになったらつけなくていいんだからな」
俺がそう言い終わるか言い終わらないタイミングで、舞歌は正面から、俺に抱き着いた。
涙を流しながら、それでも満面の笑顔を浮かべながら、舞歌は言う。
「死んだって外してあげないんだから!」
先程までのカリスマの瞳とは違い、俺が大好きな年相応の女の子の瞳で俺を見つめる舞歌。
彼女の目が閉じるのが先だったのだろうか。それとも俺が顔を近づけたのが先か。
彼女の部屋の中で、俺達のシルエットは重なった。
……そこで気を抜いたのがいけなかったのだろうか?
それとも、彼女の腕力に油断していたのがいけなかったのだろうか?
口を離そうとしたその瞬間。
俺は彼女に思い切り引っ張られ、バランスを崩し、彼女のベッドへと倒れ込んだ。
そうして俺が事態を把握出来ていないうちに、舞歌が俺の上へと馬乗りになったのだ。
・・・・・・・・・・・・
……事情を思い出した俺は、少し冷静になれた。
舞歌の香りや言葉、柔らかい感触に折れそうになる感情を抑えていた理性に、冷静さという助っ人が加わり、俺の思考回路はなんとか動き出す。
よく考えてみれば、舞歌のこの行動は明らかにおかしい。
今まで誘ってくることは何度かあったが、直接こうして行動に出たのは初めてだったし、こんな行動は“乙女”である彼女らしくない。
こんな行動をするのはまるで……
「……」
……そこまで考えたところで、全ての疑問が解決し、同時に打開策も見つけられた。
俺の感情が暴れ出す前に、俺はさっそく行動に移す。
「……なあ、舞歌」
なるべく低い声で。なるべく冷めた瞳で。
そう心掛けながら、舞歌の下から睨むように彼女を見つめ、名を呼ぶと、彼女ははっきりと動揺を見せた。
「な、何かな?」
「俺はさ、お前のことが大切だから抱かない、って、何度も言ったよな?」
「う、うん……」
顔から女の色が抜け、いつもの彼女らしい表情、も通り越し、舞歌の顔色は青ざめかけていた。
俺が怒っている。そう俺の声と表情から悟ったのだろう。
実際は俺の演技であるのだけど、しかし、確かに少し怒ってもいた。
だから今口にしている言葉は、間違いなく俺の本心だった。
「それを無視してこういう行動をするってことは、それなりの覚悟は持っているんだな?」
「か、覚悟って……?」
「別れる覚悟だ」
「――っ!?」
青ざめかけていた舞歌の顔の色が、それを通り越し真っ白に変わる。
目は動揺で大きく開き、あちこちをさ迷う。
あれほど熱かった体も、今はその熱を失い、震えている。
そこまで脅したところで、俺はもういいだろうと思った。
わざとらしく大きいため息をはき、彼女の関心を集め、舞歌の瞳が再び俺を捉えたところで、俺は用意していた台詞を口にする。
「今正直になんでこんなことをしたか言えば、許してやるし、仲直りのキスもしてやる……」
「せっかくのクリスマスなんだから、誘って抱いてもらえって真希に言われました!」
「やっぱりお前かーっ!真希ーっ!」
俺の言葉を遮り、そう叫んだ舞歌。
そして俺もその言葉を受け、思い切り怒鳴り声をあげるのだった。
大切な想いを受け取り、大切な想いを渡したクリスマスイヴ。
静ながらも暖かく、騒がしながらも穏やかな時間は、こうして過ぎていくのだった……