第七十二話(後半)
俺は、口元に小さい笑みを浮かべながら、静歌さんの目を見つめ、言う。
「…ここで断ったら、お姫様が大暴れしますね」
そんな俺の言葉に、静歌さんはくすくすと笑いながら、そうね、と頷く。
「静歌さん」
俺は彼女の名を呼び、視線を合わせる。
静歌さんの瞳に移る俺は、真剣な顔をしていた。
「俺は、舞歌の婚約者でも、将来を約束した訳でもありません。未来は不確定だし、いつ、何が起こるかわからない。だから、本当なら一緒に住んだりしたらいけないんだと思います」
仮に何かあって、舞歌と別れなくてはいけなくなった時。距離が近ければ近いほど、時間を共有すればするほど、その時のショックと受ける傷は大きくなる。
そんな傷を舞歌に負わせたくないし、俺だって負いたくない。
だからある程度の距離はおいていた方がいいんだ。
…けど。
それでも俺は、望んでしまうから…
「けど俺は朝、舞歌におはようを、夜にはおやすみを言いたいんです。舞歌といたいんです」
静歌さんは言った。舞歌は俺がいなくなると寂しがると。
それは俺も一緒なんだ。
舞歌がいないと俺は寂しい。
舞歌がいない日々など、俺はもう、考えられなくなっていた。
「迷惑も、いろいろな負担もかけることになります。だけど…よろしくお願いします」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
笑顔でそう言った静歌さんは、あ、でも、と続けた。
「力仕事とか、男手が必要な時とかはお願いしちゃうこともあるかもしれないけど…大丈夫?」
「大丈夫ですよ。むしろどんどん使って下さい」
「ありがとう。助かるわ。あ、それと…」
彼女はそこで言葉をとめると、笑顔を浮かべた。
とても、いい笑顔を。
「孫の顔は早く見たいけど、学生の内は自重してね」
「お前もかこのやろう」
親父と全く同じことを言った静歌さんに、俺は反射的に突っ込みをいれてしまった。
まずい、と慌てたが、当の本人が
「紡君に突っ込みをいれてもらった〜」と嬉しそうに両手を握って瞳をキラキラと輝かせていたため、今回だけは、気にしないことにした。
「ねえ、紡君!もう一回突っ込んでくれない!?ね!お願い!」
あまりに執拗に突っ込みを求めてくる静歌さんに、実は彼女は“M”なのではないのだろうかと、疑問に思った瞬間だった。
・・・・・・・・・・・・
「…だってさ」
リビングに入る扉の前。
腕を組み目をつぶりながら壁に体を預け、途中から、紡達が真剣な話しを始めた辺りからずっと話しを聞いていた真希は、二人の話しが終わると、同じように話しを聞いていた舞歌にそう言った。
「うん…うん…」
隣で、嬉しそうな笑顔を浮かべながら涙を流す親友の姿――もちろんサンタ服、などではなく、黒のタートルネックに、赤と黒のチェックの短いスカート。そしてふくらはぎまでのレギンスを履いている――を見て、真希は小さく息をはく。
それは呆れの息か、それとも嫉妬の息か。
おそらく両方だな、と真希は思っていた。
「本当、いい男だね。紡は。…よかったね、舞歌」
「うんっ!」
舞歌は、涙を流したまま、満面の笑顔を浮かべ頷く。
そうして、ついに堪えられなくなったのか、舞歌はドアを開いて中に飛び込んで行った。
「うおっ!?舞歌!?」と、中からもれてくる紡の悲鳴を聞きながら、真希は大きなため息をはく。
「親友の彼氏に惚れるって、我ながらどんな泥沼よ?」
真希は自分の言葉に小さな嘲笑を浮かべ、再度、今度は小さいため息をはいてから、リビングへと入って行くのだった。