第七十話
第七十話
「とろこで、さっきの話し、紡君には言ったの?」
墓石の前の手を合わせたりする為にある砂利と敷石で出来た小さなスペース。そこに二人は並んで腰を下ろし、本来の用途とは全く異なる使い方を、雑談をしていた。
霊前で罰当たりな!と思われることは二人とも重々承知しているが、彼等はただ場所がないから、という理由でここで話しをしている訳ではない。
彼等は、悟を含めた三人で話しをしているつもりなのだ。
だから、遠野家の他のご先祖には申し訳ないが目をつぶってほしい、というのが彼等の言い分。
もっとも、この場で悟に話しをする為に同じように座りながら、しかも酒を飲んでいた静歌の身に、なんの霊的な現象が起きていないことから、遠野家のご先祖の懐はかなり深いことが伺える。
静歌からふられた話題に、司は大きく首を横に振った。
「言えるわけないだろ。そんな格好悪いこと言えるかよ」
「じゃあ、なんて?」
「…舞歌ちゃんが紡と近い歳だから、見て見ぬふりは出来ない、って」
司の、照れながら、そっぽを向きながらの言葉に、静歌はキョトンとしたのち、大爆笑した。
「あははは!何それ!?ただの親バカじゃないの、それ!あはは…ダメ、お腹痛い…あはは…」
「…笑ってろ…」
腹を抱えながら笑い続ける静歌を一瞥したのち、司は小さく舌打ちをして空を見上げる。
茜色に染まり始めた冬の空には、カラスの鳴き声が混じり、なんともいえない情緒があった。
遠くの空へ帰って行くカラス達を眺めながら、司はあることを、思い出した。
隣で、いまだに小さく笑っている静歌に顔を向け言う。
「静歌。ちょっと紡のことで頼みがあるんだけど」
「…紡君の?」
司が話し掛けてもまだ笑っていた静歌だったが、紡の名前と、司が滅多に言わない『頼み』の言葉に、笑うのをやめ、真剣な眼差しを彼に返した。
静歌が笑いやめたのを、真剣な顔へ移行したのを確認し、司は続きを口にする。
「ああ。…それが身勝手なお願いだということも、静歌に迷惑がかかるということも充分、理解してる。理解した上で、それでもなお、静歌にしか頼めないことがあるんだ」
「……何?」
静歌は、司があまり人に頼らない人間だということを理解していた。
司は昔からそうだった。静歌の記憶を幼少の頃まで振り返っても、彼が人に頼み事をしたのは数える程しかない。
彼は完璧主義者だった。
どんなことも、完璧に、それも一人でやらなければ気が済まない人間だったのだ。
そんな彼が頼み事をしたのだ。
だから静歌も、彼の頼みというのを真面目に聞こうと真剣な顔になった。
「……紡を、静歌のところで預かってもらえないか?」
「……え?」
…司の言葉を聞くまでは。
「だから、紡を預かってほしいんだ」
静歌の言葉を聞こえない為にはっせられた言葉だと勘違いした司は、もう一度同じ内容の言葉を繰り返す。
「あ、うん…いや、それはわかったんだけど…なんで?」
まだ混乱から抜け出せずにいた静歌は、とりあえず、一番の疑問を司へとぶつけた。
しかし司は、その言葉に眉をひそめる。
「なんだ?舞歌ちゃんから聞いてないのか?紡は、こっちに残ることになったんだ」
「えーと…。司が向こうに帰るのは、さっきのやり取りでわかってはいたけど、なんで紡君はこっちに残ることになったの?紡君の性格上、司が帰るって言ったら一緒に帰ると思ってたのに」
静歌が言った、『紡の性格上』という言葉は、彼が父親に逆らえない性格だから、という意味ではない。彼は父親思いの常識人だから常に司と常識を優先する、という意味の言葉だ。
むろん司はその言葉の正確な意味をきちんと捉えていた。
捉えていたからこそ、彼は誇らしそうに、けどどこか寂しそうに笑ったのだ。
「あいつは、本当に大切だって胸を張って言える存在を見つけた。それにあいつはもう立派な大人だ。だから、選ばせたんだ。どうしたいかを。そしてあいつは選んだ。大切な人と共にこっちに残ることを」
司の言葉が、紡の行動が、静歌は嬉しかった。
最初紡と会った時、静歌は紡の瞳の中に怯えが見てとれた。
“何”に怯えているのかはわからなかったが、脆い印象が強く残る少年。それが静歌が紡にいだいた第一印象だった。
しかし、紡は大きく成長した。
舞歌を説得する。そう私の元を訪れた時の彼の瞳には、怯えの色は微塵もなく、力強い輝きをはなっていた。
そして、本当に舞歌のことを説得してしまったのだ。
舞歌は心から紡のことを愛している。
だから紡がこっちに、舞歌の側に残ってくれるのは静歌はとても嬉しかった。
だが、やはり疑問が残る。
「紡君がこっちに残る理由はわかったわ。…だけど、それと私の家で紡君を預かる理由が、いまいち結びつかないんだけど…」
静歌は言う。
紡を預かるのが嫌な訳ではない。むしろそれ自体は大歓迎だと。
しかし、なんで司が、そんな突拍子もないことを言い出したのか、その理由が知りたい、と。
静歌の問いを受けて、司は当然だなと頷いた。
そうやって静歌に件の説明をしようとする司だったが、なぜかなかなか口を開こうとせず、視線をさ迷わせていた。
「……なんだよ」
静歌が疑問に思い始めた頃、司は小さく、ぼそりと呟く。
「え?何?」
当然それが静歌に届く訳もなく。
聞き返す静歌に、司は今度ははっきりと、しかしぶっきらぼうに言い切った。
「…だから!心配だからだよ!」
「…はい?」
再三聞き返す静歌。
今度は聞こえなかったのではなく、意味がきちんと理解出来なかっただけなのだが、しかし司してみれば、それは羞恥プレイ以外の何物でもなかった。
恥じらいに、ついに堪えられなくなった司は、顔を真っ赤にさせながら叫んだ。
「だから心配なんだよ!精神的に成長したとはいえ、世間的にはあいつはまだまだガキだ!だから心配なんだよ!近くに信頼できる大人にいてほしいんだよ!ああ親バカさ!悪いかこの野郎!?」
盛大に叫んだ司に静歌は目を丸くしていだが、司の言葉が脳にきちんと浸透すると、先程以上の大爆笑を始めた。
そんな静歌の姿に、司は大きく舌打ちをし、空を見上げたのは言うまでもない。
「あー…くくく。笑った笑った」
「…あーそーかい。…で?どうなんだ?」
数分間笑って満足したのか、笑い疲れたのか、静歌は目尻に浮かんだ涙を拭いながら言う。そんな彼女に司は、苛立ちを含んだ声と視線を向けるが、そんなものが通じるような相手ではなかった。
あっさりとそれらを受け流し、静歌は司に笑顔を向けた。
「そういう理由ならよろこんで。私の“幼なじみ”で“初恋の相手”の子供だもの。安心して。紡君は、司が心配しているような不安な目にはあわせないから」
「…サンキュー」
瞳を閉じ、小さくそう言った司。
安堵したその表情に優しい笑顔を向ける静歌。
穏やかな時間を共有する彼等を包むように、冬にしては暖かい風が、優しく彼等の間を通り去るのだった。