第六十三話
第六十三話
親父は俺にいろいろと教えてくれた。
自分は、本業とする心臓外科医の中でも名医と呼ばれていること。
その為、親父の助けを求めている患者達は全国に、全世界にいるということ。
彼らの命を、親父は本気で救いたいと思っていること。
だから舞歌の手術が終わったら、病院側も戻って来てほしいと思ってるし、親父自身も戻るつもりであること。
「院長に無理言ったからなぁ。こっちに来る時も散々嫌み言われたけど、戻ってもしばらくは言われるんだろうなー」
そう苦笑いする親父はまるで少年のようで。
その笑顔を見ただけで親父が自分の仕事が好きで、誇りを持っていることがわかる。
しかし、だとすると疑問が残った。
「なあ、親父」
「ん?」
「なんで、ここに来たんだ?」
それだけ好きな仕事を、助けたい患者をおいて、なぜ親父はここに来たのだろうか?
「舞歌の為だ、っていうのはわかる。けど、なんで舞歌にこだわったんだ?それとも、舞歌みたいな行動をした患者全員に同じことをするのか?」
俺の問い掛けに、親父は、ふ、と小さく笑った。
「紡。俺はそこまで善人じゃないよ。助かる命を投げ出すような人は基本的に見捨てる。助かりたくて、生きたくて、俺を頼りにしてくれる人を俺は優先する」
「じゃあ…なんで?」
「…舞歌ちゃんが…お前と近い年齢だったから、かな…」
「え…?」
俺が聞き返すと、親父は気まずそうに視線を泳がせた。
「嫌、だったんだよ…。俺はお前には、本当に幸せになってほしいと思ってる。だからさ、お前に近い年齢の子の瞳が絶望に染まるのを見ていられなかったんだ。なんかこう…紡と近い年齢の子を見捨てるのは紡を見捨てるような気がしてさ…。ほっとけなかった。それが、舞歌ちゃんにこだわった理由かな…」
「………」
絶句する。
頭の中で今の内容をもう一度整理する。
……やはり何度考えるても、たどり着く答えは一つだった。
「……つまり、舞歌を助けようと思ったのも、他の患者達をあとにしてまでここに引っ越してきたのも、全部親父が“親バカ”だから、ってことでいいんだな?」
「……まあ」
「あんたはあほかーーーっ!?」
少し前までの良い話しは完璧に消え去り。
残ったのは親父が実はアホだったという悲しい事実だけだった。
「どこの世界に息子と近い年齢の子供が不幸になるのが嫌で他の患者を後回しにする医者がいるんだよ!?」
「いや、ここ」
「あんた絶対アホだ!」
なんのためらいもなく自分を指差す親父に、俺は改めてアホの烙印を押した。
「アホアホ言うな!いいだろうが子供を見捨てるような親よりは!それにそのおかげでお前は舞歌ちゃんとラブラブなんだ!少しは俺を褒めたたえろ!」
「出来るかーーーっ!!」
親父の新しい一面――出来れば知りたくなかった――に突っ込みを入れつづける俺。
それに対して親父は理不尽きわまりない事を言い続け。
クリスマスを目前としたある日。
俺は親父の評価をいちじるしく見直したのだった。
・・・・・・・・・・・・
「あははは!お義父さんったらお茶目〜」
「だから発音おかしいからな…」
昼休み。俺と舞歌、それに真希はいつものように屋上に来ていた。
屋上、つまり外の気温は、当然低い。
まもなくクリスマスや大晦日を迎えようとしている季節。
当然山々に生えている木々は緑色の上着を着てはいない。この寒空の下、素肌をさらし、新しい季節の訪れを心待ちにしている。
そんな中屋外にいるのは、正直言って辛かった。
登校用に着ている黒のピーコートを制服の上に着込み、ポケットに入れたままの、かろうじて熱を発しているカイロを装備していても、まるで冷蔵庫の中にいるような気分になる。
昨日、真希と話した時は太陽が出ていたのに加え、舞歌がずっとくっついていたので暖かく感じたのだが、残念なことに今日は曇り、それに舞歌は、今は昼飯を食べている最中なので、俺にくっついてはいなかった。
なんでこんな寒い思いをしてまで屋上で昼飯を食っているのかというと、その理由は真希にあった。
彼女は今まで出来なかった分舞歌と一緒の時間を過ごしたいらしく、せめて昼食だけは一緒にしたいと、昨日言い出したのだ。
断る理由は俺にも舞歌にも当然なかった。しかし、食べる場所が問題になった。
真希が俺達のクラスに来るのは彼女が嫌がったし、真希のクラスに行くのは俺が頷けなかった。
この学校に、学食という便利なスペースはない。
となると当然三人揃って食事が出来る所などここしかなかったのだ。
屋上の前の階段に座って食べる案も提案したのだが、舞歌の
「狭いから嫌」という一言で却下になった。
突然だが、世界というのは理不尽であるし、男というのはたいてい損をする生き物だ。
映画にしろ食事にしろ、レディースサービスはあるのにメンズサービスはない。
いつの世、という訳ではないが、現代の日本においては女性は優遇される傾向にある。
それは今、この場においてもそうだった。
狭いから嫌、と階段を却下した舞歌は、俺と同じように制服の上から白いピーコートを着込み、さらに首には紺と灰色の二色で出来た“俺の”マフラーを巻いている。
一方真希は、本来は禁止されている、とてもとても温かそうな黒のダウンジャケットを着ている。
ただ防寒を考えた、やたらとモコモコしたものではなく、防寒とデザインの二つを考えた細身の洒落たダウンジャケット。おそらく数万はする代物だろう。
なんでも理屈と屁理屈の両方を巧に使い、教師に認めさせたらしい。
流石に俺が認定した議論家だ。
まあそれはともかく。
そんな二人の格好は、この際もういい。
問題なのは、彼女達の太股から膝下にかけてかかっている、少し厚めの膝かけの存在だった。
可愛いキャラクターのプリントされたそれは、意外にも真希の私物。
昨日寒かったらしく、わざわざ家から自分用に“一枚”だけ持ってきたそうだ。
屋上のいつものベンチに座るなり、自分の足の上にそれをかけ、温かそうにする真希。
それを見た舞歌は、ずるいと騒ぎ出し。見かねた真希が、舞歌と一緒に使うことによって場は丸く納まった。
しかし、俺は納まらなかった。
俺の分は、と尋ねたところ、
「あんた男でしょ」と真希に返され、
「あ、じゃあ私のこと膝の上に…」と舞歌がしごく危険きわまりない発言をしかけたので、それを途中で遮り諦めることにした。
世の中は理不尽だし、男には住みにくい世界だ。
そんな彼女達に羨望の眼差しを向けながら、俺は昨日の親父とのやり取りを話した。
それを聞いた舞歌は何かがツボだったらしく、今も小さく笑い続けている。
「あー笑った。最初病院で会った時は厳しそうな人だなーって思ったんだけど、全然そんなことなかったんだね」
「俺だってあんなんだなんて知らなかったさ…」
「世界的に有名な心臓外科医はアホだったのね」
「…言うな」
顔をしかめながら空を見上げる俺を、舞歌はくすくすと笑いながら見ていた。
辛辣な言葉を言った真希は変わらずに昼食を続けている。
「じゃあお義父さんの新しい一面が見れたんだね。よかったじゃん」
「…あんまり見たくなかったけどな」
げんなりとした俺の呟きにも、舞歌は微笑みを浮かべていた。
「それよりも紡。あんたはどうするの?お父さん東京に戻るんでしょ?」
「…あ!そうだよ!どうするの?紡」
しかしその笑みは、真希の的確な指摘を受け消え去る。
笑顔から一転し、不安そうな顔を浮かべた。
俺はそんな舞歌の頭に手を置き、ゆっくりと撫でた。
「そんな顔するな。俺はこっちに残ることにしたからさ」