第六話
「なあ、舞歌」
「ん?なあに?」
この学校に転校してきて二回目の金曜日。
本日全てのカリキュラムが終了し、荷物をまとめていた舞歌に俺は声を掛ける。
「あのさ、この辺…じゃなくてもいいや。ここから一番近くて、一番大きい総合店てどこだ?」
「総合店?」
「あー…。いろいろな店が中にある、でっかい店のことだ」
不思議そうな表情を浮かべる彼女に、俺は補足を加える。
俺が普通だと思っていることでも、こちらの人にしてみれば普通ではないことが多々ある。その度に説明をしなくてはいけないのが面倒臭いと思うのは、俺の我が儘なのだろうか。
「ああ。そういう意味なんだ。それならここから電車で30分くらい行った所にあるよ。何?お買い物?」
「ああ。そろそろ色々買い足さなきゃいけなくてな」
この前の舞歌の一喝が効いたのか、二週間経ち質問のネタが切れたのか。ようやく俺は、質問責めから解放され、落ち着いた毎日を過ごせるようになった。
よかった、と胸を撫で下ろしながら昨夜家で家事をしていると、洗濯洗剤やシャンプー等の消耗品の残量が心もとないことに気付いた。
今まで気付かないことがおかしいと思うくらいに減った状態で、初めて。
人は慌ただしく過ごしていると周りが見えず、心に余裕が生まれると、自然と周りが見れるようになっていくものだ。
どうやらそれは俺も例外ではなかったらしく、自分ではしっかりしていると思っていても、周りをきちんと把握することが出来ていなかったらしい。
買い足そうにも、それらはいつも行くスーパー(転校した日に舞歌に教えてもらった、最低限の食品しか売っていないこじんまりとした店)には売ってなく、また、この付近一帯には“その店しか”ない為、舞歌にそう聞いてみたんだ。
「ふーん。そうなんだ。…結構買うの?」
「んー。そんなに重い物は買わないけど、細かいものをちょこちょこと」
「…紡君、待つのとか嫌い?」
「?どういう意味だ?」
舞歌の要領を得ない質問に、俺は逆に質問で返すと、舞歌は苦笑いを浮かべて答えた。
「そこに行く為の電車さ、一時間に一本しか通らないんだよね」
「………は?お前何訳のわからないことを…」
「あー、うん。信じられないと思うけど、事実だから」
舞歌の“笑えない冗談”に鼻で笑いながら答えると、舞歌は先程と変わらない苦笑いを浮かべて俺の言葉を遮る。
「……マジか?」
「残念ながら」
信じられなかった。信じたくなかった。
電車やバス等の公共機関は、待たせても5分、そういう認識が俺にはあった。現に、今日までの十七年の人生で、それらを5分以上待ったことはなかった。
だから信じられなかった。そんな非常識な常識を。
「タイミングが合えばいいけど、乗り過ごすとかなり待つことになるよ?それにしょっちゅう遅れるし。おまけに電車賃めちゃめちゃ高いし!ぼったくりだよ絶対!」
「………」
電車賃を聞く気にはなれなかった。
カルチャーショックをこれ以上受けたくなかったから。
「だから、この辺のたいていの人達は、車で行くんだよ」
「車…」
確かにうちにも車はある。けど、それは親父の通勤用で。頼めば出してくれるのだろうが、仕事の都合上、いつになるか全く検討がつかない。
かと言って、舞歌いわく、ぼったくり電車には、正直乗りたくない。
……つまり、残された手段は一つしかなかった。
俺の気持ちの良し悪しは別にして。
「…なあ、舞歌。そこまでの道、わかるか?」
「ん?まあね。何度も行ってるし」
「…明日、暇か?」
「明日?暇だけど…車は出せないよ?」
「違うよ。あのな…」
そこでいったん句切り、舞歌の耳元に口を寄せ、続きを口にする。
「…っ!了解っす!」
それを聞いた舞歌は、予想通り、嬉しそうな表情を浮かべたんだ。
第六話
「まさか、お前を使うことになるなんてな…」
約束の土曜日。朝と昼との間の時間。
俺は自室であるものを手に取り、感慨にふけっていた。
それは東京にいた頃、あいつの為に買ったもの。使う機会はそれほどなく、新品同然の状態ではあるのだけれど、それでも、様々な思い出が残っていた。
あいつと別れて、こっちに引っ越す準備をしている時に捨てようかどうしようか迷った。
けど、『勿体ないし、使う機会があるかもしれない』、そういう名目のもと手放せずにいた。
多分、俺はどこかであいつとの繋がりを求めていたのだろう。あいつが俺のことをどう思っていたのを理解したとしても。
「まあ…。俺は本気だったからな…」
――ピンポーン……
「…っと。来たか」
俺の独白を、過去への旅を終わらせるように鳴る呼び鈴。
週末のこの時間に勧誘等の来訪者が来た記憶がない為、俺は呼び鈴を鳴らした来訪者を彼女だと判断した。
呼び鈴に対応した電話を無視し、自室のある二階から一階の玄関へと向かう。
――ピンポーン……
「はいはい。今開けるよ」
再度鳴った呼び鈴に独白を返し、玄関のドアを開き――
「あ、おはよう。紡君」
――俺はそのまま固まった。
そこにいたのは確かに舞歌ではあったのだけれど、舞歌ではなかった。
黒、白、灰の小さいドットで彩られた、太腿の半ばくらいまでしかないショートパンツを履き、膝下までのロングソックスに、それよりもやや背の低いロングブーツを着用。
フリルの付いたブラウスの上からワンボタンの黒いジャケットを羽織り、いつもはポニーテールしている髪の毛を下ろし、雰囲気ががらっと変わっている。
いつもの、地味な紺のセーラー服を着ているイメージしかなかった為、舞歌の私服姿に、悔しいことに見とれてしまっていたんだ。
「ん?紡君どうしたの?」
「あ…いや…」
見とれて固まっている俺に舞歌は首を傾げ不思議そうな顔。
我に返り、急いで言い訳の言葉を探すけど、感の良い彼女に隠し事なんか出来る訳がなかった。
「はは〜ん。さては私の私服姿に見とれてたなぁ?」
「…あほ言ってろ」
目を細め悪戯な表情を浮かべている彼女に、俺は否定も肯定もしない言葉を返す。
アハハ、と満面の笑みを浮かべているところをみると、それすらも見透かされているみたいだけど。
「ったく…。そら」
そうやって見透かされているのがなんだか悔しくて、腹いせとばかりに持っていたものを舞歌に向かって投げる。
「っと…。へー綺麗だね。新品?」
危なげなくあっさりとそれを受け取った舞歌は、興味深そうにそれを眺める。
「いや、使ったことあるよ。…数回だけどな」
「…そうなんだ」
俺の言葉に意味を感じ取ったのか、舞歌はそれ以上そのことには触れず、それをただ眺めていた。
そのことが俺は嬉しかった。
「ねぇ、紡君。これって、私以外にも使うのかな?」
「いや。元々誰も乗せるつもりはなかったんだ。今回が特別。だからそれは…」
「じゃあ、私専用にしていいかな?このヘルメット」
それ――白いヘルメットを胸の高さに持ち、期待を込めた視線を俺に送る舞歌。
彼女は人の話しを聞いていなかったのだろうか?
「あのなあ、舞歌。俺は積極的に、バイクの後ろに人を乗せたくないんだ。だから、今回みたいな場合じゃない限りは…」
「うん。だから、そういう場合の時は私を乗せて。他の人じゃなくて、私を。そうすれば、このヘルメットは私しか被らない。つまり私専用、ってことだよね?」
「………」
言葉に詰まる。確かに彼女の言うことは的を得ている。でも、出来るならあのヘルメットは使いたく、というより見たくない。
あのヘルメットを見ると、先程のように嫌でもあいつのことを思い出すし、なにより、弱い自分を再確認することになるから。
…でも、これから先、今回のようなことがないとも言えない。その度に他のやつを乗せて無意味に思い出すより、舞歌だけを乗せて、あのヘルメットにあいつのイメージではなく、舞歌のイメージを植え付けてしまえばいいのではないだろうか?
あのヘルメットを、あいつの物から、舞歌の物へと変えた方がいいのではないだろうか?
そう、俺は思った。
だから――
「それも、いいかもしれないな」
――そう、口にしたんだ。
「やった!紡君、ありがとう!」
俺の、その言葉を聞き、舞歌は嬉しそうに笑っていた。