第六十話
第六十話
木製の食卓の上に並べられた数々の料理。
鳥のから揚げ。トマトのパスタ。サラダに肉じゃが。
秩序のない多国籍料理が、早く食べてと綺麗に整列している。
席順は前回と一緒。
俺の隣が舞歌で、正面が静歌さん。
舞歌は何が嬉しいのか、にこにこ笑顔を浮かべているし、静歌さんは何がおかしいのか、にやにやと笑みを浮かべている。
そして俺は、そんな二人に囲まれ、憔悴していた。
「どうしたの?紡君。元気ないよ?」
「…ええ。おかげさまで」
嫌みを込めてじと目で睨むも、暖簾に腕押し、静歌さんにはなんの意味もなさなかった。
「あら、私は悪くないわよ?」
「…ええ。そうですね。悪いのは俺ですね」
バイクを降りての舞歌とのキスシーン。俺はもっと場所とか、静歌さんの性格とかをきちんと考えるべきだった。
そう、静歌さんが“誰”の母親であるのかを。
バイクのエンジン音で、静歌さんは律儀にも俺のことを迎えに出てきてくれたそうだ。それはそうだ。ここは彼女の家だし、彼女の性格を考えたらそれは当然の行動だろう。
そして彼女が玄関のドアを開けた時には、すでに舞歌が俺に抱き着いていたみたいで。彼女はそのまま声をかけるでもなく、携帯電話を取りだし、写真やらムービーやらを撮っていたらしい。それはそうだろう。だって彼女は“舞歌”の母親なのだから。
やっとのことで舞歌から解放された俺は、そのまま彼女と一緒に玄関に向かおうとして、そこで初めて静歌さんのことを認識して、盛大に顔を引きつらせた。
動揺を隠せない内に静歌さんから先程のシーンの写真を見せられた時は、思わず自殺を考えてしまったりした。
その時の衝撃を、俺はいまだに引きずっている。
「まあいいじゃないの紡君。エッチシーンじゃなかっただけ」
「…そんなシーン見られたら、間違いなく死にますよ。俺は…」
げんなりした表情の俺に、けたけたと笑う静歌さん。
俺はそんな彼女の行動に、ふと違和感を感じた。
「あの静歌さん…」
「ね、紡」
タイミングがいいのか悪いのか。
まさに俺が静歌さんに話しかけようとした瞬間に、舞歌が俺の袖を引いた。
「ん?何?」
「はい。あーん」
彼女は恒例の言葉と共に、俺の口元にから揚げを一つ差し出す。
「いや、あの…」
静歌さんの目を気にして俺は拒もうと試みるが…
「あーん!」
…逃げ場はないようだ。
瞳を輝かせながら再び携帯を取り出す静歌。
執拗に俺の口元にから揚げを押し付けてくる舞歌。
…どうや俺は今から、恥の上塗りをしなくてはいけないらしい。
俺はばれないように小さくため息を吐いてから、覚悟を決めた。
「…あーん」
・・・・・・・・・・・・
「…泣きたい」
穴があるなら入りたいとう言葉がある。
恥ずかしくて身を隠したい、という意味だが、現在俺の心境は、穴を掘ってでも入りたい、だ。
夕食は間違いなく美味しかった。腹も膨らみ、満足している。
しかし、その対価として、俺はプライドを献上するはめになった。
俺は夕食に、一度も“自分の”手を使わせてもらえなかったのだ…
そうやって俺のプライドを奪った張本人は、今、台所で鼻歌を歌いながら食器を洗っている。
さりげなく静歌さんの手伝いを拒否したのは、おそらく俺が静歌さんと話しをしたいのを悟っていたからだろう。
生きることを、“諦め”から“希望”へ変えた今でも、彼女の鋭さは健在だった。
俺の正面に座り、俺のことを微笑みながら眺めていた静歌さんに、俺は声をかける。
「あの、静歌さん」
「はい?何かしら?」
「さっきから気にはなっていたんですけど、もしかして、酔ってます?」
それがこの家に入り、静歌さんと接しているうちに感じた疑問だった。
いつもよりもテンションは高いし、頬がいつもよりも赤いから俺はそんな疑問を覚えた。
俺の問い掛けに、静歌さんは一瞬驚き、そして笑顔を浮かべて頷いた。
「ええ。酔ってます。久しぶりにお酒飲んだから」
「静歌さんて酒飲めたんですね。俺のイメージだと弱いって感じでしたから、ちょっと以外です」
「あら、そのイメージあってるわよ」
「…はい?」
静歌さんの言葉がいまいち理解できず、きょとん、とした顔を浮かべる俺。
しかしその疑問は、静歌さんの次の言葉が解決してくらた。
「私、紡君のイメージ通り、お酒弱いの。コップ一杯も飲めないし、いつまでたっても酔いが抜けないの」
「酔いが抜けない、って…じゃあ今は…」
「まだ残ってるのよ。“昼過ぎ”に飲んだお酒が」
「弱すぎですから」
思わず入れてしまった突っ込み。
その突っ込みを受けた本人は、何が楽しいのか爆笑していて。
どうやら笑い上戸らしい。
「…そんなに弱いのに、なんで飲んだんですか?」
額に手をあて、聞かずにはいられない質問を投げ掛ける。
静歌さんはいつの間にか笑いやみ、少しだけ憂いた表情を浮かべながら口を開いた。
「…あの人に、夫に報告をしに行った、からかな」
「え…?」
この家族から夫、であり、父のことが話題にあがったことはなかった。
二人のかもし出す雰囲気から、なんとなくそのことは聞かない方がいいんだなと思い俺も聞かなかった。が、雰囲気から、亡くなっていると思っていた。
だから俺は静歌さんの言葉が以外だった。
…しかし、それが俺の早合点だと悟るのに、たいして時間は必要なかった。
「紡君には話してなかったわね。私の夫であり舞歌の父親である“悟”はね、十二年前に他界してるの」
「――っ!」
静歌さんは語ってくれた。
彼女の夫が十二年前に、交通事故で亡くなったこと。
ショックですごく泣いたが、舞歌を育てるためにその感情を押し殺して働いたこと。
彼女には似合わないと思っていたあの車は、彼の形見だということ。
週に一度は彼の眠る墓を訪れているということ。
そして、今でも彼のことを愛しているということ。
「悟はね、お酒が好きな人だった。付き合って一緒に飲んであげたかったんだけど、私はこんな感じで弱いから。だけど、何か嬉しいことや幸せなことがあった時は一緒に飲むようにしていたの」
それは今でも変わらない、そう静歌さんは続けた。
「舞歌は昨日、帰って来て私に言ってくれたの。今まで心配かけて、わがまま言って悲しませてごめんね、って。私生きるね、って。そのことがすごく嬉しくて、幸せで。だから今日、悟に報告をしながら、一緒にお酒を飲んだの」
「そう、だったんですか…」
静歌さんの目尻に涙が浮かんでいることに俺は気づいていた。
おそらく昨日もそうだったのだろう。
涙を流しながら舞歌を抱きしめる静歌さんの姿が、容易に想像できた。
「紡君。ありがとう」
テーブルの上に置いてあった俺の手を、静歌さんが握りしめる。
「こうしてまた悟と一緒にお酒が飲めるようになったのはあなたのおかげ。紡君。舞歌を助けてくれて、本当にありがとう」
そう微笑む姿に未来の舞歌を垣間見てどきりとするが、俺は彼女の言葉に首を横に振った。
「真希にも言ったんですけど、お礼なんて言わないで下さい。俺は、確かに舞歌を助けるって二人と約束をしました。けど、結局は自分のためにやったことなんです。俺が舞歌と一緒に生きたいから、だから説得した。ただそれだけなんです」
「…その時、真希ちゃん、お礼くらい言わせて、って言ってなかった?」
悪戯な視線を送ってくる静歌さんに俺は苦笑い。
彼女は確信して言ってるのだ。
「紡君が自分の為にした行動であっても、そのおかげで救われた人間が確かにいるの。だから紡君。お礼くらい言わせて。私達は本当にあなたに感謝してるんだから」
俺の行動が、俺のわがままが誰かの為になった。誰かを救うことになった。
そんなことを言われたのは初めてだった。
そんな経験を今までしたことはなかった。
だけど、俺の行動で、周りの人が笑顔になってくれるのは嬉しかった。
「だから紡君。ありがとう」
「…わかりました」
噛み合っていない返答だというのはわかってる。けど、やっぱり、どういたしまして、とは言わない。
俺は人から感謝される為に舞歌を説得したわけではないのだから。
それを静歌さんもわかってくれている。
だから彼女は面白そうに小さく笑ったのだから。
「あーーっ!!」
そんな和やかな空気をばっさりと断ち切ったのは、言わずもがな彼女だった。
「お母さん!何紡の手握ってるの!?」
俺達の会話が終わるのを見計らっていたかのようなタイミング――実際見計らっていたのだろう。その証拠に俺は舞歌が何度も同じ、洗い終わった食器を拭くのを見ていた――で俺達の前に現れた舞歌は、静歌さんの手を俺の手の上から払いのけ、そのまま俺の手を握り、自分の方へ引き付けた。
「紡は私の夫なの!いくらお母さんでも手出しは…」
「誰が夫か!」
「いったーい!」
アホなことを親の前で平然と言う舞歌に俺は舞歌の手を振りほどき、即座に、実力行使付きの突っ込みを入れた。
「紡がチョップしたーっ!」
「お前がアホなこと言ってるからだろ!」
「アホじゃないもん!事実だもん!」
「捏造もいいとこだろーがーっ!!」
ぎゃーぎゃーと幼稚なやり取りを交わす俺達。
そんな俺達を、静歌さんは優しく、楽しそうに微笑んで見つめていた。
「紡の意地悪ーっ!」
「このあほな子がーっ!」




