第五十九話
「あはは〜!楽しい〜!きゃー!こける〜!」
「だからそういう不吉なことを楽しそうに叫ぶなーっ!!」
舗装されていないアップダウンの激しい田舎道。
舞歌の家へと向かう道。
二人乗りということもあり、それなりに神経を使っているところにそれをぶち壊す背後からの叫びに、俺は突っ込みを入れずにはいられなかった。
「紡〜。超楽しい!本当楽しい!」
「あーそりゃ良かったな」
振り向かずとも、フルフェースのヘルメットを取らずとも簡単にわかる。
今の舞歌の表情が。
それはきっと俺と同じ。
俺は笑顔のまま、アクセルをさらに回すのだった。
「きゃ〜!突っ込む〜!」
「この馬鹿女がーーっ!!」
第五十九話
「お疲れ様」
「あー…」
青いガソリンタンクの上に上半身を投げ出しながら、俺はふと、疑問に思う。
バイクの運転はここまで疲れるものだったかと。
あれは確か中学の頃。体育の授業が二時間連続で水泳だった時、友達と昼飯をかけて全力で水中鬼ごっこをしたことがあった。
どうなったかは、言うまでもないだろう。
その時と同様の疲労が、俺の全身を支配していた。
「舞歌。降りろ」
「はーい」
そのままへばっていても仕方ないので、とりあえず舞歌を降ろす。
舞歌が降りたのを確認してから俺もバイクから降り、ヘルメットを脱いだ。
「ふー…」
一息つく。ほてった顔に、冬の空気が気持ちいい。
「紡、紡」
「ん?」
目をつぶり風に癒されていた俺の袖を、舞歌がひく。
「何?」
「とって」
そう言い舞歌はあごをつい、と突き出してくる。
俺はそんな彼女の甘えた行動に苦笑いを浮かべながら、彼女の要望に応える。
あご紐を外し、両手でヘルメットを上と。
ヘルメットを完全にとってやると、彼女は顔を二、三回横に振り、乱れた髪の毛を直しながら
「ぷはっ」と独特の息を吐いて楽しそうな笑顔を浮かべた。
その笑顔に、冬の風よりも癒されたのは、俺だけの秘密。
「あー楽しかった!紡!また乗せてね!」
舞歌のその言葉で、俺は初めて舞歌を乗せた日のことを思い出していた。
『……そうだね。そんな日がくるといいね』
そう言って儚い笑顔を浮かべていた舞歌。
それは彼女が生きることを、未来を約束することが嫌だったから。
彼女との約束はこれで二つ目。
こんな風に日常の、ちょっとした約束をこれからも増やしていきたい。
俺はそう考えていた。
だから…
「…ああ。もちろんだ」
だから、俺はそう頷く。
俺のそんな答えに、舞歌は予想通り、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「えい」
…だけでは済まなかった。
そんな掛け声をあげて、舞歌は正面から俺に抱き着いてきた。しかも思い切り。
「お前な…いい加減抱き着くのやめろ」
苦しい訳でも嫌な訳でもないが、その、なにやら柔らかいものが服越しに伝わってくるので、出来るならやめてほしい。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、彼女は満面の笑みを俺に向けた。
「む・り!今日気づいたんだけど、私って抱き癖があるみたい。それに、好きな人とくっついていたいんだもん。…だめ?」
女の涙目に上目使いののコンビに勝てる男がいるだろうか?いや、いない。
自身、今日何度目になるかわからないため息。俺は俺より顔一つしたにある舞歌の頭を右手でぽんぽんと叩いてから言った。
「じゃあせめて正面から抱き着くのはやめてくれ」
「狼になっちゃうから?」
「…ああ。そうだよ」
舞歌はつり目がちな瞳をゆっくりと閉じ、俺の胸へと顔を預ける。
「…なってもいいのに、狼」
「…あんまりそういうこと言ってると、本当に襲うからな」
「いいよ。紡なら」
その言葉を受け、俺は両手を舞歌の頬へ。そして舞歌の顔を上へと向かせ…
「いひゃい!いひゃいよ!つふぐ!」
…そのまま両頬を思い切り横へと引っ張った。
薄く涙を浮かべ抗議の声をあげている舞歌に俺は言う。
「お前もわからないやつだねー。手術する前は抱かないって、何度も言ってるよねー」
「わひゃった!わひゃったかははなひぃて!」
そんなに力はいれていないがそれでも痛いらしく、舞歌は必死に俺の手を外そうとする。
俺はそれに少し抵抗してから、手を離してやった。
「うー…おもちゃにされたぁ…」
唸りをあげながら非難めいた視線を送る舞歌。俺はそんな視線を送る舞歌を、今度は俺の意志で抱きしめた。
「紡…?」
そんな俺の行動に戸惑いながらも、しっかりと俺の背中に手を回してく舞歌。
俺はそんな彼女の耳元へと口を近づける。
「舞歌。お前が俺としたいって言ってくれるのは、すごく嬉しい。俺だって今すぐ舞歌としたい。でも、セックスっていうのは、お前が考えている以上に体力を使うんだよ。するからには舞歌に俺は気持ち良くなってほしい。して苦しめたくないんだ。だからさ、もう少し待ってほしいんだ。お前が手術を受けて退院したら、その時は、遠慮なく抱かせてもらうから」
そう俺が耳元で言い終わると、舞歌は俺の背中に回していた手に力を入れ、より強く抱きしめてきた。
「…紡の馬鹿。そんなこと言われたら、もう誘えないじゃん」
すねているのか、甘えているのか、よくわからない口調。
俺はそんな彼女を片手で抱きしめ、頭を撫でる。
「誘うな、って言ってるの。俺は」
「ちぇー」
そう悪態をつく舞歌に俺は苦笑いを浮かべた。
「…紡」
「ん?」
「…大事にしてくれてありがとう」
「…ああ」
舞歌がゆっくりと俺から離れる。
そのまましばし見つめ合い、そしてゆっくりとキスをした。
触れるだけのキス。
けど、それだけで今の俺達には充分だった。
「大好き」
そう言って俺の胸に顔をうずめる舞歌のことを、俺は愛おしくてしかたなかった。
東京にいた頃には感じられなかった感情に、俺は改めて舞歌のことが本気で好きなんだなと実感したんだ。
……余談だが、この光景をばっちりと静歌さんに見られ、しかも写真まで録られていたのを知り、激しく悶えるのは、もう少しあとのお話し。