第五十五話
めずらしく、目覚めはよかった。
すんなりとベットから起き上がり、カーテンを開く。
気持ちのいい冬晴れと感じるのは、俺の気持ちがすっきりとしているからだろう。
そのまま制服に着替え、まずは洗面所へ。
顔を洗い鏡を見ると、昨日までとは違い、さっぱりとした見慣れた顔。
その原因を、大切な彼女の笑顔を思い出し、思わずにやける。
その姿を後から洗面所に入って来た親父に見られ、苦笑いされたのは、ご愛敬。
そのまま朝食と昼食の弁当を作り、親父と食卓を囲む。
俺の顔が変わったのも、その理由も、親父は簡単にわかったらしく、よかったな、と笑顔をくれた。
行ってきます、と親父に告げ家を出る。
すずめのさえずり。
高い空。
遠くに見える雪の積もった山々。
その全てが綺麗だと感じた。
引っ越ししてきた当初は、目の覚めるような紅葉にも感心を示せなかったのに、ずいぶんと変わったものだ。
昇降口で上履きに履き変え、教室へ。
何故か視線を集めているような気がするが、それはおそらく、俺の変わった表情のせいだろうな、と対して気にしなかった。
そしてたどり着いた見慣れた教室。俺はいつも通りにドアを開けて――
「紡〜っ!」
「なっ…!?」
――いつもとは違う出迎え方をされた。
俺の姿を確認した途端に俺に駆け寄り抱き着いてくる舞歌。
ざわめくクラスメート。それはそうだろう。
だって彼等の認識では、俺達は仲たがいをしているはずだったのだから。
「お、おい!舞…」
「おはよう紡!」
「…んっ!?」
俺の言葉を遮り、舞歌は満面の笑顔でそう朝の挨拶をし、そのまま俺にキスをしてきた。あろうことか唇に。
「えへへー。おはようのチュー」
悪戯な笑顔で、小さく舌を出す彼女に、可愛いなぁこいつー、とか考えながら、俺は現実逃避をしていた。
視界に入る、やたらと殺気立ったチンチクリン、と男子生徒の姿を、俺はなるべく意識しないようにしていた。
したく、なかった……
第五十五話
「さて、説明してもらおうかしら。紡」
「お前に呼び捨てにされる覚えはないはずだが」
「うるさい。黙れ」
強気に反論してみたものの、今日の佐藤にはあまり意味がないようだった。ない胸をを反らし、俺を睨むように見下してくる。
俺は以前彼女に吊るし上げられた時同様に、教卓の横に座らされていた。
以前と違うのは、俺が正座ではなくあぐらをかいていることと、左腕に、舞歌を装備していること。
「もうこの際、昨日の無断欠席の理由なんてどうでもいいわ。で?それはどういうこと?」
あごで舞歌のことを指すビックな態度のチンチクリン。
おちょくってうやむやにしようかとも思ったが、佐藤だけではなく、クラスメート全員が俺達を囲み、真剣な視線を向けているので、仕方なく真面目に答えることにした。
「えーと、まあ、その、なんだ。いろいろあって、付き合うことになったから、俺達」
ぽりぽり、と頬をかき、視線を明後日の方向に向けながら告げる。
誰一人、一言も発しなかったことに疑問を覚える。
騒がれると思っていた。詰め寄られると覚悟していた。
だからこそ、この無言が不思議だった。
そろり、と視線を彼等の方へ。
まず目に入ったのは、目を見開いたまま固まっている佐藤の姿。
視線をずらすと、クラスメート全員が同じような表情をしたまま固まっていた。
ああ、なるほど。彼等は騒がなかったんじゃなくて騒げなかったんだな、と俺は一人納得した。
今の内にこの場から逃げ出そうと、腰を浮かそうとしたまさにその瞬間だった。舞歌が不満そうな顔で抱き着いていた俺の腕を引っ張ったのは。
「紡。違うでしょ」
不満そうな顔。不満そうな声。
しかし俺には彼女の言葉の意味がよくわからなかった。
「違う、って…何が?」
「付き合うことになったのは合ってるけど、でもその前に、結婚を前提に、って言葉が抜けてるよ」
「………は?」
舞歌ちゃん?今なんとおっしゃいました?
「舞…」
『なんだってーー!?』
俺が聞き返そうとした瞬間。佐藤達の思考回路が復旧した。迷惑なことに。
「付き合いだした!?しかも結婚前提!?あんたらつい最近まで喧嘩してたんじゃないの!?何がどうしてそんなことになってんのよ!?」
クラスメートの思いを代弁するのは、佐藤。
が、俺の胸倉を掴み前後に激しく揺するのはやめてほしい。
「だから、言った、ろうが!いろいろ、あった、って!つーか、手を離せ!」
「いろいろって何よ!?そこを詳しく言わないとなんの意味もないでしょうが!!」
「言えないから、そうやって、ボカしてるんだろうが!ってだから手を離せ、って言ってる、だろうが!!」
「うるさい!いいからはけ!」
「てめぇ、いい加減に…!」
キレかけた俺は力ずくで佐藤の手を外そうとした。
――まさにその瞬間だった。
「梢ちゃん!やめて!」
舞歌が俺と佐藤の間に入ってきたのは。
流石は舞歌。こういう時は頼りになる。
「私の夫に乱暴しないで!」
そう思ったのが馬鹿らしくなった。
彼女はこの場に、新たな爆弾をぶちまけやがったのだ。
「舞歌ー!!」
「なあに?ダーリン?」
「お前少し黙ってろ!頼むから!」
「ちょっと紡!きちんと説明…」
「黙れチンチクリン!」
「ちん…!?ぶっとばーす!」
「あー!委員長落ち着いてー!」
――カオス。
今の教室内を表すには、まさしくその言葉が相応しいだろう。
再び俺の腕を抱きながら、甘い言葉をはきつづける舞歌。
俺を殴ろうと暴れる佐藤。
そんな二人に突っ込みを入れ続ける俺。
佐藤をなだめるのはもちろん智也。
そんな俺達四人を囲みながら、とりあえず今の状況を楽しもうと、笑っているクラスメート達。
久しぶりに喧騒に包まれた俺達の教室は、そのあまりの久しぶりさ加減からか、収拾のつかない混乱に包まれていた。
「紡!」
そんな事態に諦めながらも、受け入れられず、ひたすら突っ込みを繰り返していた俺の名を呼ぶ男の声。
その声の方、佐藤を押さえ付けている智也の方に視線を向けると、彼は満面の笑顔で俺に向かって右手の親指を立てた。
俺はそんな智也の行動に苦笑いを浮かべ、彼と同じように親指を立て返したんだ。