第五十四話(後半)
小さな光り。
白く、小さな光りが、空を楽しそうに泳いでいた。
そのあまりに幻想的で、神秘的な光景に、俺は息が止まったかのような錯覚におちる。
「紡。これが、風花、だよ」
「…これが…」
以前舞歌に風花の説明を受けた時、俺はその光景を想像してみた。
星空の下を踊る雪のことを。
けど、その想像は外れていた。
俺の陳腐な想像なんか比べものにならないくらい、今の光景は美しかった。
星空を舞う雪、と言うよりも、星空に咲く雪の花、と言った方がしっくりとくる。
風の花とは、実に上手く名付けたものだと思う。
「ねえ紡」
「ん?」
舞歌の呼びかけ。しかし俺は、 目の前の光景から目を反らせず、反らしたくなく、声だけで返事をした。
どうも舞歌はその返事が気に入らなかったらしい。
俺が着ているコートの胸元を引っ張り、再度俺の名を呼ぶ。
「紡ってば!」
「ちょっと待てって!こんな幻想的な光景初めて見たんだから、もう少し――んっ!?」
胸元を強く引かれ、抗議の声をあげた俺の言葉は、最後まで言い切ることが出来なかった。
目の前に広がるのは、あの神秘的な光景ではなく、目を閉じた舞歌の顔のドアップ。
そして俺の唇に触れる、柔らかな感触。
舞歌にキスされたのだと気づいたのは、舞歌が唇を俺から離した時だった。
「私のファーストキスと風花、どっちが大切?」
「……お前、それは反則だろ?」
呆然とした俺に投げかけられた意地悪な質問。
決まりきった答えと、直前にされた行動に、俺はそう答えることしか出来なかった。
「ニヒヒ」
そんな俺の様子に満足したらしく、舞歌は悪戯な顔でそう笑い、俺の手を握った。
俺はそんな彼女に小さくため息。
いつもの調子を取り戻しつつあることはいいことなのだが、どうやらこれから今まで以上に振り回されることになりそうだ。
そんなことを考えてる俺の顔は、きっと笑顔。
だって、嫌じゃないから。
「ねぇ、紡」
今度の呼びかけには、きちんと顔を向ける。しかし、今度は彼女が顔を空へと向けていた。
「風花、綺麗だね」
「…ああ。そうだな」
俺も彼女にならい、顔を空へと向け、頷く。
見続けていても、ちっとも飽きない光景。
二種類の光りの共演は、穏やかさと感動を与えてくれた。
「…来年も、一緒に、ここで風花を見たいね」
それは、未来の約束。
「再来年も、その次の年も。私は、紡と、一緒にこの空を見ていたい」
総合店に行った時、バイクの後ろに乗せることを約束しようとした時、舞歌は、そんな日がくるといいね、と悲しそうに笑った。
それは、諦めていたから。
生きることを諦めていた彼女にとって、未来の約束は苦痛でしかなかったはずだ。
けど、今、彼女は自ら、未来の約束を口にした。
それは自ら選んだということ。
俺の言葉に従ったのではなく、舞歌自身が生きたいと望んだからの行動だった。
そのことが、俺はとても嬉しかった。
だから…
「……ああ。来年も、再来年も、その次の年も。一緒にここに来よう。俺も、舞歌と一緒に風花を見たいから」
俺は、俺達は、そう、約束をする。未来を、約束する。
二人で見上げた夜空。
ふと、舞歌の顔が見たくなった。
視線を横に動かすと、同じように俺の方を向いた舞歌と視線が合う。
思わず笑い合ってしまう俺達。
俺達の行動は案外似ているみたいだ。
そのまま俺達は見つめ合う。
言葉なんて、いらなかった。
言葉にしなくても、俺は舞歌の気持ちがわかったし、舞歌は俺の気持ちがわかったのだろう。
だから俺達は、こうして向き合い、お互いを強く抱きしめているのだから。
俺の腕の中、舞歌が顔を上げ、何かを望むかのように俺の目を見てくる。
俺は舞歌のその瞳の意味を、やはり、正確に理解出来た。
俺は抱きしめていた左手を、舞歌の後頭部に添える。
舞歌は静かに目を閉じ、小さく背伸びををする。
重なるシルエット。重なる、唇。
星が見守る中、俺達は二度目のキスをした。
雪の花が、そんな俺達を祝福するように、踊っていた。