第五十四話(前半)
風花
鋭く息を飲み、舞歌は俺からら逃げるように、俯く。
けどそれは逃げじゃないんだ。
舞歌は、最後の相談をしに行ったんだ。自分の本当の気持ちと。
俺はそのことをわかっていた。
だって彼女は言ったのだから。
『紡の気持ちを聞いちゃたら、生きたい、って思っちゃうじゃない!』
―と。
だから俺は待つ。
舞歌が、自分の本当に望む答えを出すまで。
「……私さ、すごい臆病なんだよ…。これから先、またちょっとしたことを気にして、紡に迷惑かけることになるかもしれないよ…?」
舞歌が口にしたのは、自らの弱さ。
今回の件が特殊だとはいえ、またちょっとしたことで内向的になるかもしれない。そうなってもいいのかと、そう舞歌は聞いている。
「迷惑だなんて思わない。そんな時は隠さずに言えばいい。俺が舞歌の不安を取り除く。だから、もし俺がそういう風になった時は舞歌も俺の話しを聞いてほしい。そうやって支え合いながら生きたい」
だから俺は、その弱さを受け入れる。そして俺の弱さも受け入れてほしい、そう伝えた。
「…私、さ。すごい…わがまま、なんだよ。二人で出かけた時みたいに、また、紡のこと、振り回すかも、しれないよ…?」
それは舞歌の不安。
わがままを言い、俺を振り回す。それに俺は堪えられるのか、そう舞歌は聞いている。
「俺はあの時、確かにふざけるな、とも思った。けどそれと同時に楽しかったのも確かだ。俺は舞歌のそういうところも好きになったんだ。だから安心しろ。その時は一緒に馬鹿をして一緒に笑ってやる」
だから俺は、その不安を取り除く。そして一緒に笑いたいと伝えた。
「わた、し…さ。すごい…独占欲、強いんだよ…?もしも、もしも…紡が、私のこと捨てたり…したら…紡のこと…殺して、私も死ぬからね…」
それは舞歌の怯え。
俺から離れたくないと、離れたら、今ここで生きることを受け入れたら、もう後戻りできなくなる。そういう、怯え。
舞歌の声に涙が混じり出したことを俺は知っている。
舞歌の肩が小刻みに揺れていることを、俺は知っている。
舞歌の苦しみも。舞歌の悲しみも。
俺の次の言葉で、その全てが終わる。
人一人の人生を変えてしまうことに、俺はなんのためらいもなかった。だって、誰も望んでいないんだから。そんな悲劇は。
「舞歌が舞歌で有る限り、俺は舞歌と一緒に笑っていたい。舞歌と一緒に生きたい。何度も言ったことがあるけど、似合わないんだよ。舞歌に悲しそうな声も表情も。悲劇のヒロインを気取るのもいい。けど、俺がその悲劇を喜劇へ変えてやる。俺が舞歌を笑顔にするだから、俺を信じろ。舞歌」
だから俺は、舞歌の怯えを理解し、そして示す。
一緒に生きよう、と。
「―っ!紡っ!!」
ベンチに座っていた彼女の目線と合わせるために、膝立ちとなっていた俺。
そんな俺の胸に、舞歌は飛び込んできた。服や膝が汚れるのを気にもとめないで。
そんな舞歌を、愛おしい彼女を、俺は優しく抱きしめた。
「紡の馬鹿っ!そんな優しい言葉をかけて、私をその気にさせて…!…後悔しても、知らないんだからね!」
「後悔なんかしねーよ。後悔したくないから俺は今こうしているんだから」
「…私の胸見てちょっとでも動揺したら、ぶん殴るから」
「安心しろ。それも含めて愛するから」
「…エッチ」
舞歌の言葉に俺は思わず苦笑い。
俺は、その傷も含めて舞歌という人間を愛する、そういう意味で言ったつもりなのだが、どうやら彼女別の意味に解釈したらしい。
…もっとも、本当にセックスをする時は、彼女の解釈通りになるのだけど。
「…ねぇ、紡」
「ん?」
そんなやましいことを考えていると、舞歌から声がかかった。
俺が返事をすると、舞歌はゆっくりと顔を上へと、俺の方へと向ける。
「私さ…生きたいって思っても、生きても…いいんだよね?」
初めて、こんな至近距離で見つめた、舞歌の瞳。
「私のこと…紡が、受け入れて、くれるん…だよね?」
涙がにじんだ瞳。
その瞳は、カリスマ性溢れるあの瞳でも、弱さ溢れる乙女の瞳でもなく、初めて見る、キラキラとした女の子の瞳をしていた。
その瞳に、俺はまた、彼女に恋におちたんだ。
「ああ。俺が舞歌を受け入れる。だから生きていいんだ。生きていてほしいんだ」
「…そっか」
舞歌はそう呟き、再び俺の胸へと顔をうずめた。
「…ねぇ、紡。ちょっとさ…思い切り…泣いても、いいかな?」
俺の背中に舞歌は手を回し、強く抱きしめながらそう言う舞歌。
そんな舞歌の頭を撫でながら、俺は頷いた。
「ああ。好きなだけ泣けばいい。もう我慢する必要なんてないんだから」
「…じゃ、あ…遠慮…な、く…」
その言葉を言い切るかどうかのタイミングで、舞歌は泣き出した。
大きな声で嗚咽をあげ、大粒の涙を流す。
それはまるで子供のような泣き方。
けど俺は、そんな泣き方をする舞歌を、恥ずかしいやつだとは思わなかった。
自分で選んでしまった選択ではあるのだけど、それでも舞歌は、誰よりも苦しんだんだから。
だから好きななだけ泣いて、苦しみも、辛さも、全て流し去ってしまえばいい。流し去って、明日から新しく、嬉しさと、幸せを沢山作っていけばいい。
俺は、大泣きする舞歌の頭を撫でながら、そんなことを考えていた。
見上げた夜空は、優しく、微笑んでいた。
第五十四話
「…不覚…」
あれからしばらく、そう、本当にしばらく、舞歌は泣き続けた。
どこからそんなに水分が出てくるのかと心配になるくらいに。
そんな舞歌が泣き止んだのはつい今しがた。
そんな彼女は、俺の胸に顔をうずめたまま、そんなことを口にした。
「不覚って…何が?」
「助けるつもりで近づいた人に逆に助けられたことがー」
「助けるつもり…?」
疑問に感じた言葉をそのままおうむ返しで聞くと、舞歌は俺に抱き着いたままの体勢で、顔を上へと向けた。
わかっていてそういうことをしているとしたら、彼女は間違いなく確信犯だ。
「あのね、初めて会った時さ、私紡が人と関わりたくないのを言い当てたでしょ?」
「ああ…。確かに。あの時はかなりびっくりしたよ。けどそれがどうした?」
「うん。あのね、その時、私、いろいろな人を見てきたからわかる、って言ったのも覚えてる?」
俺は無言で頷いた。
それを見て、舞歌は続きを口にする。
「実際その通りなんだ。私さ、生きるのを諦めてから、生きられる間は、毎日を大切にしようって、楽しく生きようって決めたんだ。私わがままだから、私だけが楽しいんじゃなくて、私の周りの人にも楽しくなってもらいたかった。この人は何を考えているのか、どうしたら楽しんでくれるのか、そんなことばかり考えて人のことを観察していたら、自然と人の内心がわかるようになっていったの。だから紡を見た瞬間に、ああ、この人は心に傷を抱えているんだなぁ、ってわかったんだ。それで紡が隣の席になった瞬間に決めたの。この人の傷を癒そう、って。そうして、紡とバカをして、楽しい思い出を作ろうって。だから必要以上に紡に絡んでいったんだ」
「…なるほど」
彼女の鋭い観察眼が出来た理由も、俺にやたらと絡んできた理由も、今やっとはっきりとした。
…今更、という感じもしないでもないが。
「で、そうやって助けるはずだった紡に助けられたことが、かなーり不覚だったりするのです」
ぶー、と頬を膨らませる舞歌の姿は可愛かったのだが、苦笑いしか浮かばなかった。
「いいじゃんかよ。丸く収まったんだから」
「それはそうだけどでも……あっ!」
上目使いで俺を睨むようにしていた舞歌の瞳が、短い驚きの声と共に、大きく見開かれた。
「紡!上見て!上!」
「痛いって!なんだよ?上に何が――」
渋々と見上げた空。
星々の世界。
そこには今までとは違う、新たな来訪者がいた。