第五十三話
「だから、俺だけにしておけばなんの問題もないだろ?」
俺は舞歌に同じ言葉を繰り返す。
「不特定の“誰か”だから舞歌は怖いんだよ。だから、俺だけなら、俺にだけ見せるなら大丈夫だろ?」
「――っ!!」
俺の言葉の意味を正確に理解した舞歌は、目を見開いたんだ。
第五十三話
「…紡。自分がなに言ってるか、わかってる?」
「ああ。わかってる」
舞歌の鋭い視線を受け流し頷くと、舞歌の視線はより鋭いものへと変わった。
「…ずいぶんと軽く言ってくれるんだね。それは軽い気持ちだから?」
「軽い気持ちで説得できるんだったら、今ごろお前、手術済ませてるだろ」
疑問でも、確認でもない断定の言葉は、確信しているから。
「いろいろ考えて、迷って、そうして出した答えだ。決して場の雰囲気に流されたからでも、軽い気持ちで言ったわけでもない」
「……じゃあ、本気で言ってるんだ。そんな、ふざけたことを」
「ふざけたこと?」
舞歌は手をぎゅっ、と握り、俺を睨んだ。その瞳に、再び涙を浮かべながら。
「ふざけたことだよ!紡だけに見せるってことは、私はずっと、一生紡と一緒にいるってことだよ!?」
「…ああ。そうだな」
「それはつまり、私のことを一生好きでい続けるって、結婚するってことだよ!?紡は、そんな約束できるの!?私のことを一生好きでい続けるって言えるの!?」
「…いや。言えないな」
「そうでしょ!?だったらそんなこと言わないでよ!これ以上、私の心を乱さない…」
「けど、嫌いになる、とも言えない」
「え…?」
舞歌の言葉をさえぎっての俺の言葉に、舞歌は怪訝な表情を浮かべる。
そんな彼女に、俺は笑いかけた。
「舞歌のことを一生好きでい続けるなんて、俺は言えない。恋愛感情っていうものが、どれだけもろいのか、俺は身をもって体験したから。けど、嫌いになるとも言えない。現に俺は、たった今、舞歌に惚れ直したところなんだから」
「……嘘」
「嘘じゃない」
「嘘だよ!今のやり取りのどこに惚れ直す要素があるの!?」
「…等身大の舞歌が見れた」
「え…?」
戸惑う表情を見せる舞歌。そんな彼女の手を、俺は優しく、彼女が作った拳の上から握った。
「俺は、俺が今まで見てきた、ある種のカリスマ性を持った舞歌のことしか知らなかった。そんな舞歌が見せる笑顔や言動に、俺は惹かれていったんだ」
俺の言葉を、舞歌は黙って聞いてくれている。
もっとも彼女の瞳は、俺の真意を探るような、見透かすようなあの瞳をしていたけれど。
「目を閉じれば、笑顔の舞歌がいる。俺はきっと、この笑顔に惚れたんだと思う。けど…」
目の前にいる、探るような視線を向けてくる舞歌。けど、その瞳にかすかな怯えが浮かんでいるのを、俺は見逃さなかった。
「けど、俺は今、舞歌の弱さを、可愛らしさを、カリスマ性溢れる舞歌とは違う等身大の舞歌を見て、改めて舞歌に惚れたんだ」
「等身大の、私…」
舞歌の瞳から探るような光りが消える。その代わりに浮かぶ戸惑い。
「…紡が、その…私に、惚れ直したのはわかった。けど、だからなんなの?何が言いたいの?」
惚れ直すと、自分で言うのにはかなりの抵抗があったのだろう。舞歌は顔を真っ赤にしながらそう言った。
そんな表情が可愛いと思ったのは、俺だけの秘密。
「つまりさ、そんな風に惚れて、惚れ直してを繰り返していけば離れることはないんじゃないか?」
「それは…確かにそんなことができれば離れないのかもしれないけど、そんなこと無理だよ…」
「無理なんかじゃない。恋愛“ごっこ”をしなければ、お互いの新しい一面は必ず見れるんだから」
「恋愛、“ごっこ”?」
首を傾げる舞歌に、俺はああ、と頷いた。
「智也にだけ言って舞歌に言わないのは不公平だから言うけど、俺が人を信じられなくなっていたのは、恋愛で傷ついたからなんだ。こっちに引っ越してくることを当時付き合っていた彼女に言ったら、じゃあ別れて、って言われたんだ。結局あいつは、俺のことが好きなんじゃなくて、医者の息子が好きだったんだよ。あいつは自分の欲しいものを買わせる為だけに俺と付き合ったんだ。そのことを知って、俺は人を信じられなくなったんだ」
「…紡が傷を負っていること、それが恋愛に関係していたことはなんとなく知ってはいたけど、そんなことがあったんだ…」
舞歌の言葉に、俺は目をつぶりため息をつく。
真希といい舞歌といい、なんでここの連中はこんなにも人の中を見ることができるのだろうか。
「あいつのことを俺は恨んでいた。憎んでもいた。けど、あいつにそうさせたのはある意味俺の責任かもしれないって、今の俺は思ってる」
「どういうこと?紡に責任はないように思うけど…」
「俺は本心を見せなかったし、見ようともしていなかった」
「え…?」
「ようは上辺だけの付き合い、恋愛ごっこをしていたんだよ」
今だからこそ、俺はそう思える。
親父にいろいろ指摘され、いろいろなことを考え振り返って、そして決意をした今だからこそ、俺は、彼女だけが悪いんじゃないんだと思えたんだ。
彼女のことを恨んでいないわけじゃない。
けど、内心を見せず、見ようとさえしていなかった俺が一方的に彼女のことを責めるのは間違っている、そんな風に思えるようになったんだ。
「俺は舞歌と上辺だけの付き合いなんて、恋愛ごっこなんてしたくない。喧嘩して、時には傷つけて傷つけられることだってあると思う。けど、それでも俺は、舞歌と一緒にいたいんだ。舞歌のことをもっと知りたい。舞歌に俺のことをもっと知ってほしい。そうやって舞歌と一緒に生きたいんだ」
――風がやむ。
音のない世界。
その世界で俺達は見つめ合った。
舞歌の戸惑いと、喜びと、悲しみの入り交じった瞳に移る俺の瞳は、俺の内心通り、決意の意志が浮かんでいた。
「舞歌。俺と一緒に笑っていてほしい。生きてほしい。真希や静歌さんの為にじゃなくて、俺のために生きてほしいんだ。俺は嫌なんだ。俺と舞歌が作って来た今。俺がいて舞歌がいて。そんな当たり前な日常。それが片方だけ続くなんて、俺は嫌なんだよ」
言葉を止める。
舞歌は今、揺れている。
自分の決意と本心との間で揺れている。
その均衡を崩す最後の一押し。
それを今、俺は口にした…
「舞歌。好きだよ。俺と、付き合ってほしい」
「――っ!!」