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風花  作者:
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第四十八話

第四十八話




「心電図にひっかかった舞歌は、再検査をすることになったわ。一度きちんと精密検査を受けた方がいいって、検査をしてくれた医師が東京の、そう、もともと紡君のお父さんがいた病院への紹介状を書いてくれたの。舞歌は不安そうだった。けど、どこか嬉しそうでもあったの。きっと東京に行けるが嬉しかったのね。…でも…」



俯く静歌さんの顔にあるのは、悲しさ、そして寂しさ。



「でも、舞歌の等身大の無邪気な笑顔を見たのは、あれが最後だった…」

「………」

「紡君のお父さんに検査結果を告げられた時の舞歌の顔は酷かった。このあと東京を観光していく、って幼い子供みたいにキラキラ輝いていた顔から一変。表情は抜け落ち、まるで壊れた人形のように視線は一点だけを見つめていて。信じられなかったのね。自分が命に関わる病を抱えていることも、そのために手術をしなくちゃいけないことも」

「………」



想像してみる。

昨日まで自分は正常だと思い生きてきたのに、次の日には命に関わる病気をしていて、そのために手術をしなくちゃいけないと言われたら?


…とてもじゃないが信じられない。


きっと形は違えど、俺も舞歌と似たような反応をすることになるだろう。



「そのあと計画していた東京見学も取りやめて、私達は家に帰ることにしたの」



そう語る静歌さんの顔に、苦いものが混じる。



「家に着いて、あの子は一目散に自分の部屋に駆け込んだの。呆気に取られた私が慌てて舞歌の部屋に行った時には既に鍵が閉められたあとで。部屋の中から聞こえる叫びのような泣き声と、暴れる音。ほっておけるわけもなく、何度もノックして舞歌の名前を呼んだわ。けど舞歌は決して鍵を開けることはなかった…」



静歌さんの目尻に浮かぶ涙。

当時のことが辛かったのは舞歌だけではなく、一番側にいた静歌さんも辛かったのだろう…



「それから舞歌は自分の部屋に閉じこもった。呼んでも反応は一切せず、食事にも手をつけなかったの」



こぼれる涙をそのままに、静歌さんは続ける。



「死んじゃうって、このままじゃ死んじゃうって、本気で怖くなった…。だからご飯だけでも食べてって泣きながら舞歌に頼んだわ。そうしたら舞歌は、部屋の外に置いといて、って返事をしてくれたの。久しぶりに聞いた舞歌の声はかすれていてガラガラで。でも、そんな声でも返事をしてくれたことがとても嬉しかった。そうやってなんとかご飯だけは食べてくれるようになったんだけど、それでも舞歌は部屋からでてくることはなかった…」

「………」

「真希ちゃんにも事情を話して、舞歌のことを説得してくれるように頼んだんだけど…駄目だった…」



『私は舞歌のことを説得できなかった!』



それは真希の言葉。



『私じゃ舞歌を説得できない…』



彼女が舞歌のことを説得したのは、それこそ一度や二度じゃないだろう。



『舞歌を救えるのは…もう、あんたしかいないんだよ…』



何度も何度も説得して、その度に傷ついて。

それでも諦められず、でも説得もできず。

苦しんだんだ。彼女も。



「そんな生活が三ヶ月近く続いたある日。八月が過ぎ去ろうとしていたある日に、舞歌は部屋からでてきたの」



今でもその日のことはよく覚えてる。そう静歌さんは続けた。



「私が仕事にいっている間にお風呂にははいっていたみたいだけど、それでも手入れもなにもしていなかった髪は伸びるだけ伸びてぼさぼさで、不規則な生活をしていたせいか、頬はこけて目の下には隈があって、とても酷い顔だったわ。けど、私が一番変わったと思ったのは、舞歌の笑顔だった」

「舞歌の、笑顔…?」

「ええ。舞歌の笑顔は、三ヶ月前までの等身大の笑顔から、紡君も知ってると思うけど、やけに大人びた笑顔へと変わっていた」

「………」



舞歌のたまに垣間見せる大人びた表情や笑顔。



「そして私に言ったわ。心配かけてごめんね、って」



たまに垣間見せる、悲しそうな表情や笑顔。



「そして、生んでくれてありがとう、って…」



その始まりはその時からで。



「…私は、お母…さんが……くれた、命で…残りの……人…生を、楽しんで…生きる、って…!」



その理由は、彼女がその答えを出したことにあった。



「なんで…そんな答えを、だすのか…助かるん、だから…手術を受けてほしいって、言ったわ…。何度も、何度も…。けど、その度に、舞歌は…大人びた顔で…悲しそうに、笑うの…。笑いながら…首を横に振るの…。…私は、そんな舞歌の顔を…見ていたくなかった…。やっと…私の、前に…でてきてくれた舞歌。そんな舞歌に、そんな、悲しそうな顔は…してほしくなかったし……怖かったのよ…。もしかしたらまた、引きこもってしまうかもしれない…そう、考えたら……怖くて仕方なかったの…!」



“間違った答えなのはわかってるけど、それでも舞歌が笑ってくれるならいいと思ってしまったのよ”


それはつい先程静歌さんにした問いへの返答。


彼女にしたら、そう思うしかなかったのだろう。


舞歌のことを心から愛してる静歌さん。そんな彼女にしたら、部屋に引きこもり一切の接触のできない日々のほうが辛かったのだろう。



「でも…それでもっ!やっぱり嫌なの…!舞歌には生きていてほしいのよ…っ!」



静歌さんの涙に濡れた瞳が、俺の顔を捉える。俺の瞳と静歌さんの瞳とが交差する。



「お願い…っ!紡君!真希ちゃんの言う通り、舞歌を説得できるとしたら、もう、あなたしかいないの!お願い…舞歌を…助けて…っ!」

「…はい」



考えるまでもなかった。答えなんて決まっていた。



「もちろんです。さっきも言いましたが、俺は舞歌の隣りで笑っていたし、舞歌に隣りで笑っていてほしい。一緒に生きたい。だから俺は、俺のためにも舞歌を説得します。だから、俺を信じてください」

「…っく…ありがとう…」



俺が笑いかけると静歌さんはいよいよ本格的に泣き出してしまった。


けど、俺はそれを止めるつもりはなかった。

この人も散々我慢したんだ。だから、その分泣いて、少しでも楽になってほしかったんだ。



「…ありがとう…ありがとう…」



そう繰り返しながら涙を流す静歌さんを、俺はずっと見つめていた。

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