第四十七話
「紡君は信じるかしら?一年前までの、病気を告げられるまでの舞歌は、どこにでもいるような普通の女の子だったのよ」
「それは…聞いたことがあります。休学するまでの舞歌と復学した舞歌とだと性格が違うって」
「そう。今みたいに自分の感じたままに行動するような、正しいことを正しいと言えるような子じゃなかったの。言いたいことがあっても人の目を気にして言えなかったり、恥ずかしいって感情が邪魔して思った通りの行動ができない、言い方は悪いかもしれないけど、そんな今風の子だったのよ」
「…想像、できませんね」
俺が知っている舞歌は、いつも自分の思った通りに行動する自由人で、間違っていることは間違っているとはっきりとみんなの前で言える、そんな特別な、ある種のカリスマ性をもった女の子だ。
それとは真逆の性格の舞歌を想像するのは、かなり難しい作業だった。
「でしょ?でも本当のことなの。一年前の春。短い春休みを終え、学校が始まるまさにその日。朝起こしにいった私に舞歌が言った台詞、なんだったかわかる?『眠いからもう一日休む』だったのよ。今の舞歌からだと想像できないでしょ?」
「ええ…」
今の舞歌は毎日を必死で生きている。
一日一日を大切にしている。
とてもそんな言葉を言うとは思えなかった。
「その後も、めんどくさい、だるいのオンパレード。そんな舞歌をなだめ、叱って学校に送り出す。それはその日だけのことじゃなくて、もう何年も繰り返してきたこと。それが私達の日常だった」
幼い頃に母親を亡くした俺にはよくわからないけど、きっとそれは、どこにでもあるような光景なのだろう。
どこにでもあるような親子の日常なのだろう。
「そんな日常が…」
それまで、懐かしむように嬉しそうに語っていた静歌さんの表情が、曇った。
悲しそうな、怒っているような、そんな表情になる。
「そんな日常が壊れ始めたのは、二年生になっての健康診断、舞歌が初めて受けた心電図検査に引っかかってからだった」
「初めて、受けた…?」
静歌さんの言葉に眉をひそめる。彼女の言葉がおかしかったから。
「初めて受けた、っておかしくないですか?詳しく覚えてないけど、俺は小学校でも中学校でも、もちろん高校でも、必ず一回は心電図検査受けましたよ?」
「…紡君、この村には病院が一つしかないの、知ってる?」
「え?ええ…。確か今親父がいる小さな病院しかないんですよね?けどそれがなにか…?」
急に変わった話題に疑問を感じつつも俺は頷く。
「疑問に感じない?」
「…なにが、ですか?」
「この村に“一つ”しか病院がないことに」
「え…?」
いまいち要領を得ない俺。そんな俺を見て静歌さんは、ああそうか、と呟き小さく笑った。
「紡君は田舎がどういう所なのかいまいちわかっていないのね。だから村に病院が一つしかなくてもそれが“普通”だと思ってしまっていたのね」
「…おかしい、ことなんですか?」
以前舞歌に、ここの電車は一時間に一回しか運行してないことを聞かされ、カルチャーショックを受けていた俺は病院が一つしかないことになんの疑問も持たなかった。
田舎はそういうものなんだと思い込んでいたんだ。
「ええ。とてもおかしいことよ。島とかで住人が数十人程度の所ならそれでもいいのかもしれないけど、ここには百人以上の住民がいるわ。そんなところに病院が一つしかないのははっきり言えば異常よ」
「なんで、一つしかないんですか?」
「…なくなったからよ」
「なくなった…?」
「…“二年前”まではあったの。田舎にしてはそれなりに大きい病院が。…そう、私達から日常を奪った病院が」
第四十七話
「日常を、奪った…?」
そう言った静歌さんの顔には、確かな怒りの色が浮かんでいて。
「紡君。学校で行う健康診断の仕組みって知ってる?」
「健康診断の仕組み、ですか…?」
「そう。学校で行う健康診断は、学校側が病院に依頼して学校に来てもらっているの。つまりお金を払って学校に簡易型の病院を作っているって考えればわかりやすいかしら?」
「ああ。なるほど」
健康診断の度に疑問に思っていた。レントゲンや心電図などの特殊な機材はどこからきているのかと。
なるほど。あれは病院にお金を払って持ってきてもらっていたものだったのか。
「舞歌達が通っていた、小学校、中学校、そして高校の健康診断は、二年前になくなった病院が依頼されて行っていたの。この村にはその病院と今紡君のお父さんが働いてる病院の二つしかなかったから当然といえば当然なんだけど」
「…その病院がなにかしたんですか?」
ここまでくれば俺にも話しがよめてくる。
静歌さんの話し方からすればそう考えるのが妥当だ。
「…学校で行う健康診断はね、学校保健安全法っていう法律で定められているの。身長、体重とかの基本的なことから、結核検査のレントゲン、心臓疾患検査の心電図などの専門的なことまで。それなのに…」
そこで静歌さんの話しが途切れる。
何気なくテーブルの上で握られていた彼女の手を見ると、強く握られ、白く変色していた。
「それなのに、あの病院は!あの病院は…それをしなかったの…」
「しな、かった…?」
「そう…。レントゲンや心電図検査を行わずにそれを行った分の料金を請求すれば、当然その分のお金は儲けになる。そのお金ほしさに、あの病院は、あの病院は…!」
「………」
言葉がでてこなかった…
そういう現実があることは、ニュースを通して知っていた。
けど俺は、そのことを遠い世界での出来事だと思っていた。
自分には関係のないことだと、そう思っていた。
でもそれが、こんなにも身近で起こっていたのだ。
そのことに驚き、戸惑い、俺は言葉がでてこなかった…
「…経緯は詳しくはわからないの。たまたま他の病院にいった人が話しをして発覚したっていう話しもあれば、内部告白っていう話しもある。なんにしろ、それが明るみにでたことによって医院長と数人の医師が解職。こんな田舎だから彼らの他に医師もいなくてね。医師不足と不信からくる人離れで経営が難しくなって、二年前にその病院はなくなったわ。多くの被害者を残して…。舞歌も、その中の一人」
「………」
ふぅ、と小さい息をはく静歌さん。
気持ちを落ち着けるための行為なのか、目を閉じ深い呼吸を数回繰り返し。
ちくたく、と時計が何度か歌ったのち、彼女は再び口を開いた。
「二年生になっての健康診断。隣町の病院から医師を招いて、二度とあんなことが繰り返されないように確認しながらの、子供達にとっての初めての健康診断で、舞歌の心電図に異常が確認されたの…」