第三十九話
第三十九話
「舞歌の……主治医…?」
ドクン、ドクンと心臓がうるさい。
喉がからからに渇き、呼吸しづらいような気がする。
「そうだ。今から一年半近く前に彼女のことを診てから、俺はずっと彼女の主治医なんだ」
“私さ、学校休んじゃったんだ。一年間近く”
“休学する前の舞歌は今みたいじゃなかったらしいよ”
“舞歌はあなたのことが好き。…だからこそ、舞歌はあなたに告白はしないし、逆に告白されても付き合わないわ”
“舞歌のことを聞いたら、あんたは選ぶことになる。それでも舞歌のことが好きで、舞歌と共に生きるか、ことの重さに堪えられず、舞歌から離れるか。もしくは私や静歌さんのように、なにかをすることもできず、かといって離れることもできず、知りながらもただ見守ることしかできない、辛い日々を送るか。あんたはこの三択を選ぶことになる”
……ばらばらだったパーツが、一つの形を作っていく。
認めたくなかった、けど心の中のどこかでは確信していたことが、ゆっくりと、現実味をもっていく。
「……舞歌は…病気、なのか…?」
やっとの思いで出した声は、とぎれとぎれでかすれていて。
親父に届かないかと思ったのだけど、心配はなかった。
「そうだ。けど詳しいことはなに一つ言えない。患者さんのプライベートにも関わるし、なにより真希ちゃんとの約束だからな」
「約、束…?」
意味がわからず眉間にしわを寄せる俺に、親父の答えが届く。
「知れば紡は、絶対に舞歌に問いただしに行く。それじゃダメだから。だから私が紡の覚悟を見極めてから伝える。だから絶対に紡には伝えないでほしい。そういう、約束をしてるんだ。真希ちゃんと」
ドクン…
心臓がまた、高鳴る。
現実味を持ち出した嫌な予感が、さらに、加速する。
「だから俺からは言えな…」
「――っ!!」
親父の言葉を最後まで聞かず、俺は席を勢いよく立ち上がった。
その衝撃でスープの椀が倒れ机の上に泉を作っていくが、そんなこと気にも止めずに俺は玄関に向かう。
「どこへ行く?」
――つもりだったのだが、いつもよりも1オクターブも低い親父の声に足が止まった。
「そんなの決まってるだろ!なんの病気なのか、なんで俺に隠していたのかを直接舞歌に聞きに行くだけだ!」
「聞いてどうするんだ?」
「どうするって…。決まってるだろ!?引っ張ってでも親父のところに…」
「連れて来てどうするんだ?」
「…え?」
予想だにしない言葉に俺は親父の方に振り返る。
親父は厳しくも、どこか悲しい顔で、俺を睨んでいて…
「言ったよな。俺は一年半前から舞歌ちゃんの主治医だって」
「それがどうした…?だから舞歌親父の所に…」
「その主治医が、なんでわざわざこの村に引っ越してきたんだと思う?」
「え…?」
「もう察していると思うが、舞歌ちゃんの病気は、軽いものじゃない」
ドクン…
体に、鳥肌がたった…
聞きたくなかった、けど、肯定していた台詞が発せられたことで、血の気は一瞬でひいた。
「はっきり言って、ここにくるメリットなんてなにもない。様々な機材のそろっていた向こうにいた方が、圧倒的に診察も検査もしやすかったんだから」
「…じゃ、あ……なん…で…?」
もう、足は動かなかった。
その場に縫い付けられたようにぴくりともしない。
「……病名と詳しい病状、今後のことを告げた後、彼女は俺の元を訪れることはなかった」
「…え…?」
「静歌さんに連絡して説得してもらったんだが、一切聞き入れなかったそうだ」
「………」
“……ちょっと、ね…”
ああ…
“いろいろあってさ…”
こういうことか…
「そういう風に舞歌ちゃんが訪れなくなって、連絡もとれなくなって。俺も仕事に追われる毎日を過ごしているうちに彼女のことは少しずつ忘れていった。そんな時。真希ちゃんから連絡をもらったんだよ。…舞歌を助けて、って」
「――っ!!!」
ドクン…!
自分が今、立っているのかどうか、わからない。
喉からは水分の全てが失われ、頭は初めて酒を飲んだ次の日のようにガンガンする。
ドクン…!ドクン…!
息をすることを忘れているのだろうか?
すごく、息苦しい。
世界からは音が消え、とても静かなはずなのに……
ドクン…!ドクン…!ドクン…!!
心臓の音だけが、まるで休日の渋谷の駅前みたいに、とても、とても、うるさかった……