第三十三話
第三十三話
「はぁ…」
屋上。つい先日まで紡が入り浸っていたその場所には、今日は別の人影があった。
彼女は屋上と空との境界線であるフェンスの前に立ち、空を見上げている。その空は、先日紡が見上げていた青空とは違い、灰色のそれは、まるで彼女の心情を表しているかのようで。
「なーにため息なんてついてるの。らしくないじゃん」
そしてもう一人。
空を見上げている彼女の真後ろにあるベンチに座り、彼女に視線を送っている少女がいた。
「うん。まぁそうなんだけどね…」
彼女――舞歌は、彼女にしてはめずらしく、表情が冴えていなかった。
真希の軽口にもたいした反応はなく、空を見上げたままだった。
「やれやれ…。これは重症だ。どうせ紡関係なんでしょ?今更なに悩んでるの?」
「…紡さ、最近変わったんだよね」
「…へぇ」
真希に背を向けたままの舞歌は気づかない。真希がにやりと笑みを浮かべたことを。
「以前みたいに人と接することを拒んでいないの。むしろ、自分から話しかけてその人がどういう人なのかを知ろうとしている。今まで避けていた私にさえ、普通に話しかけてくるし、私の中を見ようと、知ろうとしてくる」
「いいことじゃない。不満なの?」
「……半々、かな?紡が人と関わるようになってくれたのは嬉しいけど、私の中を見られるのは嫌だから」
「…わがまま」
「あはは…」
舞歌らしくない、渇いた苦笑いが小さく響き、消える。
そしてわずかな沈黙のあと、今度はため息がはかれた。
「紡は…きっと気づいた。私が毎日を全力で生きていることに。そして、感づいた。その理由を」
「…あんたが急に紡を避けだしたのはそれが原因か」
「…うん」
真希は、その澄ました態度の内側では驚いていた。
紡がこの短期間でそこまで知り得るとは思ってもいなかったからだ。
「…それに」
続けられた舞歌の消え入りそうな小さな声。しかし、真希の耳にはしっかりと届いた。
その続きの言葉も。
「これ以上好きにならないようにしてるのに、あんな目をされたら……好きになっちゃうじゃない…」
「………」
真希は知っていた。
喧嘩を仲裁したり、他人のことを第一に考え行動するカリスマ的存在の舞歌よりも、こうして自分のことで悩み、背を丸めため息をつく舞歌こそが、本当の彼女の姿であると。
「…舞歌さ、そんなに紡のこと好きなら、信じてみたら?」
「真希が私だったら信じられた?」
「それは…」
「……ごめん。八つ当たりしちゃった」
俯き黙る真希に舞歌はそうため息交じりに告げる。
空を見上げる彼女は、“今”の彼女を知っている人が見たら驚愕するであろう、自嘲の表情を浮かべていた。
「紡になんだかんだ言っておいてあれなんだけど、私、怖いんだよね。人に、それも好きな人に裏切られるのが」
「………」
「紡だから大丈夫、っていう保障はないし、それに、もし大丈夫でも、私が負い目を感じちゃうからさ…」
「でも…」
「真希。この話しはもうおしまいにしよう。私と真希の考えは平行線。お互い納得できないんだから話すだけ無駄だよ」
「舞歌…」
「…さーて」
先程までの暗く、沈んだ声色から一変。舞歌は明るい声をあげた。
それに同調するように背筋は伸び、表情も明るいものへと変わっていく。
「そろそろ昼休みも終わるし、教室に戻るね」
振り返り真希にそう告げた舞歌は、既に“いつもの”舞歌だった。
「…そう。わかった。私はもう少し風にあたってから戻るわ」
「ん。あまり風にあたりすぎて風邪ひかないようにね」
「……0点」
「あちゃー…。手厳しい」
親父ギャグをかました舞歌に冷めた視線を送っていた真希であったが、舞歌が屋上を出て行くのと同時にその表情が変わる。
「…舞歌。あんた自分で気付いてないんでしょ?自分の言葉の矛盾に」
それは独白。伝えるつもりはない言葉。
あえて口に出しているのは彼女なりの決意の現れか。
「平行線なのがわかってるのなら、なんで今日、私を呼んだの?」
そう。今日こうして屋上に二人いたのは偶然ではない。舞歌が昼休みに、一緒に昼食をとろう、と真希を誘いに三年の教室に足を運んだからだった。
舞歌が三年の教室を訪れるのは、滅多にない。だから真希はなにか二人で話したいことがあるのだと悟り、それに応じたのだ。
「本当は聞いてほしかったんでしょ、私に。そして、私に“紡を信じろ”そう言ってほしかったんでしょ?そうやって私の言葉を否定することで、無理にでも納得したかった。そこまでしないと、紡への気持ちが抑えられなかったから」
それはあくまで想像。しかし、真希は親友として、舞歌の“秘密”を知る者として、それがそう間違ってはいないと感じていた。
「…紡。あとは、あんた次第。頼んだわよ…」
それは願いだったのだろうか?それとも祈りだろうか?
空を見上げた真希の顔は、今にも、泣き出しそうだった……