第二十九話
第二十九話
「落ち着いたか?」
「…僕は草部のことを嫌いになりそうだよ」
肩で息をする一之瀬に、同情は感じる。しかし謝ろうとも、なぐさめようとも思わなかった。
女子生徒数人に押さえ付けられながらも、まだうめき声をあげているチンチクリンの保護者なのだから、きちんと“しつけ”くらいしておいてほしいものだ。
「それで?話って?」
「………」
受け流し話しを進めた俺は、一之瀬にものすごく睨まれた。
しかし俺がその視線を受けながら動じないでいると、彼は諦めたのか、わざとらしいため息をついてから語り出した。
「…単刀直入に聞くね。草部は舞歌と、いつまで今の関係を続けるつもり?」
「…なんでだ?」
質問に質問で返すのはよくないってわかってる。けど俺は、聞かずにはいられなかった。
俺は一之瀬を見、そして全員を見てから続ける。
「俺は、ぎすぎすした空気の流れる空間にいたくないから、これ以上長引くようなら教室にいないでほしい、そういう意味で聞いたのかと思った。けどそれは違う、そんなことが言いたいんじゃないってお前は言った。じゃあ、なんでだ?なんでそんなことを聞くんだ?」
「…確かに、ぎすぎすした空気は嫌だよ」
みんなに向けた問いに答えたのは、一之瀬だった。
「教室の一角から毎日そんな空気が流れてくるのは、とても嫌だ」
「……だから…」
「けどね!」
だからできる限り俺は教室にはいないようにする、そう言おうとした俺の台詞は、一之瀬の言葉によって遮られた。
「ぎすぎすした空気は嫌だけど、それ以上に、草部と舞歌が笑っていない日々の方が嫌なんだ!」
「え…?」
一之瀬の言葉が理解できない。
ぎすぎすした空気が嫌なのは、わかる。けど、なぜそれ以上に俺と舞歌が笑っていない日々の方が嫌なのか、理解することができなかった。
「草部は気づいてた?草部が舞歌と仲たがいしてから、うちのクラスから活気がなくなっていたことに」
「…え?」
そうやって戸惑っている俺に、再度かかる一之瀬の言葉。
そしてその言葉にも驚きを感じた。
俺のせいで静かになってしまったとは思っていた。しかし、活気がないほどではないと思っていたから。
「毎朝、今日こそは、って願って登校はするんだ。けど教室内の二人の姿を見て肩を落とす。なんかさ、調子が出ないんだよね。二人のあのやり取りを見れないと」
「………」
「…ねえ、草部」
そうそう、と頷くクラスメート達を見て言葉を失っている俺に、一之瀬は、くすり、と小さい笑いをこぼしてから、そう続けた。
「草部は、自分がこのクラスのムードメーカーになっていることに気づいてた?」
「……は?」
…とても信じられない内容を。
自慢ではないし、逆に自慢にもならないのだが、俺は東京にいたとき、目立つようなことは何一つしなかった。
与えられた立場、環境で、与えられた仕事だけをこなす、ただの一般人だった。
例えばクラス委員長を決める際。俺は立候補もせず、誰かが犠牲になるのを待っていた。
例えば学園祭のとき。
俺は案をあげるでもなく、決まった内容を、決められた役割の中で、ただこなすだけだった。
そんな風に俺は、得に主張をするような人間ではなかった。
多々の人がそうであるように、流されるがままに生きてきた。
だから信じられないんだ。一之瀬の言葉が。
「…なんの冗談だ?」
「冗談なんかじゃないよ。ここにいるみんなが認めているんだ。草部がうちのクラスのムードメーカーだって」
一之瀬の言葉を受け、俺は俺達を取り囲むように並んだクラスメートの面々を見渡す。
彼らは一様に微笑みを浮かべて頷いた。あの佐藤でさえも、視線こそ合わせなかったものの否定することはなかった。
「…でも、ムードメーカーっていうなら舞歌の方が…」
「舞歌はムードメーカーじゃないよ。だって舞歌は必要以上に僕達と、いや、他人と関わろうとしないんだから」
「…っ!」
そういう態度をとられても、まだそのことを受け入れることが、信じることができない俺が口にした“逃げ”ともとれる言葉は一之瀬に遮られる。
「確かに舞歌はこのクラスには欠かせない存在だ。彼女がいたからこのクラスではいじめのようなことはなく、陰険な空気になったことは一度もない。だから平穏な毎日を送れた。…けどそれだけなんだ。舞歌は必要以上に場を盛り上げようとしないから。だから学校が楽しいと感じたことはあまりなかった。草部がくるまでは」
「………」
言葉を返せなかった。
信じることは、やはりできない。けど、こうして具体的に説明を受けると、頭ごなしに否定することもできなかった。
だから俺は黙る。黙って一之瀬の説明を、ただ聞き続ける。
「君がきてから舞歌も、このクラスも変わった。人と深く関わろうとしなかった舞歌は、君とはよく絡むようになり、一緒にでかけたり、呼び捨てで君のことを呼ぶようになった。僕達はそんな君達のやり取りを見ているのが好きで、楽しくて。次第に学校にくるのが楽しくなっていった」
「……俺達のやり取りを肴にしてるのは気づいていたけど、そこまでのものなのか?」
「そうだよ」
俺の問いに一之瀬は即答。
そこには微塵の迷いもなかった。
「大袈裟じゃないか…?」
「そうだったらみんな残らないよ」
「………」
いくらなんでもそれは言い過ぎだ。
そう思って口にした言葉。しかし、その言葉を一之瀬はやんわりと否定し。
反論をしたかった。けどできなかった。それが正論だったから。
「僕達が言いたいことは、僕達の望みは、自分勝手なものだと思う。だって草部のことを考えず、僕達の意見を押し付けようとしているんだから。でも…それでも僕達は、それを望むよ。一度しかない高校生活は、やっぱり、楽しい方がいいから」
「………」
「草部」
一之瀬の真剣な瞳に、声に、俺はびくりと肩を震わす。
わかってしまったから。一之瀬の、彼等の言いたいことが。
「舞歌と仲直りしてほしい。そして、もう一度ムードメーカーとしてクラスを盛り上げてほしいんだ」
「……俺は…ムードメーカーなんかじゃない…」
「草部?」
「……俺は、そんなつもりで騒いでいたわけじゃない!舞歌の無茶苦茶さに突っ込みを入れていただけなんだ!」
この学校に来た当初、彼らと関わりたくないと思っていた。
今でこそ多少話しをする仲にはなっていたが、それでもまだ完全に心を許したわけではない。
それなのに、そんな俺を彼らは認めてくれている。
クラスのムードメーカーだと言ってくれる。
申し訳ないと思った。
俺は周りに壁を作ったまま、自分の好きに生活していただけなのだから。
「俺は、この学校にきた時から、みんなと関わらないように距離を置くつもりだったし、そう行動していた」
そんな俺が認められることは間違っている。そんな人間がムードメーカーであるはずがないし、あっていいわけがない。
だから俺はそのことをきちんと伝えることにした。
その結果、この先一人になったとしても、それでもこんな俺を認めてしまった彼らに対して、きちんと謝りたかったから。
「あの時も、そして今も、俺はみんなに心を許していない。みんなのことを信じていない」
今みんなはどんな表情で俺の話しを聞いているのだろう?
悲しそうな顔。
怒った顔。
裏切られたと嘆く顔。
みんなのそんな表情が脳裏を過ぎり、いつの間にか俺は俯きながら話しをしていた。
「…ごめん、みんな。俺はこういう人間なんだよ。こんな人間がムードメーカーであるはずがないんだ。だから…」
「草部」
俺の言葉を遮った一之瀬の言葉に、俺は小さく身を震わせる。
覚悟はしたつもりだった。
なにを言われても、きちんと受け止めるつもりだった。
けど、いざその瞬間を向かえると、俺は震えてしまう。
そんな自分の弱さが、滑稽だった。
「知ってるよ。草部が僕達と距離を置こうとしていたことも僕達に心を許してないことも」
「…え?」
断罪の時を待っていた俺の耳に届いたのは、そんな予想すらできなかった言葉で。
驚き顔をあげると、そこにあったのは想像していたような表情ではなく、穏やかな、笑顔だった――