第二話
第二話
「ねぇねぇ!草部君は、東京のどこに住んでたの!?」
「…渋谷」
「本当!?凄〜い!」
「なあ!渋谷ってどんな所なんだ!?」
「どんな、って言われても…。とりあえず賑やかな所だよ。いい意味でも悪い意味でも」
「は?どういう意味だ?」
SHRが終わり、一時限目が始まる前のわずかな休み時間。
俺の席は、予想通りクラスメート達に囲まれていた。おそらく全員が集まって来ているのだろう。
集まった誰も彼もが目を輝かせながら質問を繰り返し…
そんな彼等の質問に、俺はうんざりした表情を隠しながら答えていた。
「活気はあるけど、人が多過ぎてわずらわしいって意味だよ」
「は?何で?活気があるならいいじゃん?」
質問した男子は、訳がわからない、といった表情を浮かべる。
それはそうだろう。こんな田舎に住んでいたら、人込みを掻き分けて通学、帰宅する“日常”なんか想像も出来ないだろう。
詳しく説明してもいいのだけど、あれは体験しないことには理解出来ない事だし、何より理解するまで説明するのが面倒臭いので、俺は、いろいろとあるんだよ、と苦笑いでごまかした。
「それにしても災難だったな草部。せっかく良い所に住んでたのによ」
別の男子生徒が同情の視線を向けながらそう言ってくる。
今回、俺が親父の仕事の都合で引っ越して来たのは、とある県のとある村。
辺りを見渡せば、高いビルの代わりに目に入る、パノラマに広がる山々。
人込みも、様々なショップも、遊ぶような所も一切ない。それ以前にコンビニすらない、“超”が付く程のド田舎な村。
都会からド田舎への引越し、そして転校。
そんな俺の境遇は、彼等にしたら災難にしか見えないだろう。
けど…
「そんなことないよ。俺はこっちの方がいいと思う。向こうは人込みだらけだし、煩いし。確かに退屈はしないけど、その分金使うから。それに…」
「それに?」
「…うんん。何でもない」
俺は渋谷よりも、こっちの方が好きだった。
確かに退屈なのかもしれない。けど、こっちの方が落ち着けるし、何より人込みで揉みくちゃにされる生活から解放されたのが嬉しかった。
…それに…ここなら多くの人間と関わらなくて済みそうだから。
「んー?それでも俺は渋谷の方がいいと思うけど?」
うんうん、と頷く他の連中を見て不思議に思う。
あんな人込みだらけのうるさい場所のどこがいいんだろう?何で憧れるんだろう?
その事が不思議で仕方なかった。
でも、それは俺が東京で生まれ育ったからそう思うのかもしれない。
無い物ねだりするのが人間という生き物。俺もこんな場所で生まれ育ったら、東京に、刺激のある生活に憧れるのかもしれない。
―キ〜ンコ〜ン…
そんなことを思いながら、彼等の話しを聞き流していると、授業開始を告げるチヤイムが鳴った。
「あ、じゃあまたね。草部君」
「もっと詳しく東京のこと教えろよな」
それと同時に、全員が席に戻って行って…
向こうにいた時には見れなかった光景に、少し驚いた。
「紡君」
「…ん?」
そんな風に彼等を見送っていた俺に、横から掛かる声。
顔を向けると…
「やっと話しが出来るね。初めまして。隣の席の“遠野舞歌”です。よろしくね」
…東京ですら、いや、今までに見たことがないくらい綺麗な満面の笑顔が、俺を出迎えた。
長く艶やかな黒髪を頭の後ろでまとめたポニーテール。
少し吊り目がちで活発そうな大きな瞳が、小さい顔の上で輝いている。
そこにいたのは、美少女と呼んでも何の問題もない女の子だった。
「紡君〜?聞いてる〜?」
「え、ああ…。よろしく…」
“不覚”にも見とれていた俺は、彼女の言葉で我に返る。
駄目だ。人、特に女は、平気で裏切る厄介な存在なんだ。だからどんな女にも心を許しちゃいけない。
そんな風に自分の行動を戒めている時だった。
「うん。よろしく!ねぇ紡君。握手握手」
彼女が笑顔で右手を差し出してきたのは。
「なあ、遠野さん…」
「あ、舞歌でいいよ。みんなそう呼んでるし」
「…なあ、舞歌さん…」
「同じ学年なんだから、さん付け禁止」
「……舞歌」
「ん?なあに?」
「…何でいきなり握手をしなきゃいけないんだ?それに、何で机をそんなに近付けてくるんだ?」
馴れ馴れしくしてくる彼女に、うんざりした表情を隠さずに、そう告げる。
人と関わる事に関しては諦めてる。でも、最低限の人付合いしかしたくなかった。
だから彼女みたいに、馴れ親しんでこようとする人には、“それなりの対応”をしようと決めていた。
「握手するのは友達になりたいから。机を近付けるのは近くに行かないと握手出来ないから」
そんな俺の思惑を気にすらせずに、彼女はそう言い切り、さらに机を寄せてくる。
初めは一メートル近くあった距離が、今では既に残り数十センチになっていた。
「…なあ、遠野さん」
「舞歌」
「…舞歌」
「うん?何?」
「迷惑なんだけど」
向けるのは拒絶の言葉。拒絶の視線。
関わりたくなかった。深い付き合いを、今は、したくなかった。
ここで受け入れて流されるより、冷たい人間と思われてもいいから関わりたくなかった。
だから冷たい言葉を、視線を向けた。こうすれば引くと思っていたから。
けど――
「知ってるよ。迷惑なのは」
「…え?」
――返ってきたのは予想すらしなかった言葉で。
冷たい言葉と眼差しを向けたのにも関わらず、彼女は笑顔を向けていて。
「君が迷惑がっていることも、人と関わりたくないって思ってることも、知ってる」
「―っ!?」
俺の内心を言い当てられ、驚き、改めて彼女を見返す。
彼女は相変わらず笑顔ではあったけど、俺の反応を見て、楽しんでいるようだった。
「正解でしょ?わかるんだ。いろんな人を見てきたから」
「お前…いったい…?」
「あいにく、友達でもない人に自分のこと話せるようなお人よしじゃないの。私」
「………」
そう言って悪戯な笑顔を浮かべる彼女。その笑顔もどこか魅力的で、思わず見取れそうになる。
気になった。彼女の事が。
今まで周りにいなかったタイプの女性なのと、俺の内心を言い当てた、という二つの理由で、とても彼女のことが気になってしまった。
人と暫くは関わりたくない。そう思っていた俺が、あっさりと彼女のペースに巻き込まれていく。
「ほら、紡君」
目の前に出される手。
距離はついに0。完璧に机がくっついていた。
「…わかったよ」
癪だった。彼女の思うがままになってしまうことが。だから抵抗とばかりに無愛想を装い、仕方がない、という事を強調するように、ゆっくりと右手を彼女の前に出す。
「うん。よろしく」
即座に握られる手。彼女はそれすらもお見通しかの如く、先程と同じ種類の笑顔を浮かべていて…
そのことが癪だった。けど、何故か彼女の手を振りほどく事が出来なくて…
結局俺は、せめてもの抵抗として、彼女の手を握り返す事もせず、ただされるがまま冷めた視線を送っていた。
それに気が付かない筈もないのに、彼女は楽しそうな笑顔を浮かべていたんだ。
初めて触れた彼女の手…
握られているのにも関わらず、柔らかくて…
そして、冷たかった。