第二十話
第二十話
「ただいまー」
「お邪魔します」
舞歌の後に続き、洋風の洒落た玄関から、彼女の家へと入る。
最初に目に入ったのは、靴箱の上で鮮やかに佇む花々。きちんと手入れをしているのか、どれ一つとして、萎れたり変色しているものはなかった。
次いで、ここから見える範囲の空間を見渡すと、どこにも余計な物は置いておらず、それでいて殺風景という訳でもなく。
シンプルながらも、完成された“美”のようなものを感じる。
それらのことから、ここで暮らしている住人が、綺麗好きでセンスが良い事がわかった。
むろん、舞歌がそうである、と言うつもりはないが。
「邪魔するなら帰って」
「ん。わかった」
俺の挨拶にそう返した彼女。俺はその言葉に反論することなく同意の言葉で頷き、入って来たばかりの玄関を出ようとする。
「わーわー!冗談なんだから!頷かないでよ!」
慌てて彼女は俺の腕にしがみ付き、引き止める。
そんな彼女に、俺は呆れた視線を送った。
「じゃあ言うなよ」
「だって、お約束でしょ?」
「はぁ…」
楽しそうな笑顔を浮かべる舞歌に、俺はため息で答える。
彼女の家の敷居をくぐっても、俺達はやっぱりいつもの俺達で。けど、そのお陰で妙な緊張をしなくて済んだのも事実だった。
「まあ、お帰りなさい」
そんな風に思っていると、第三者の声が耳に届く。
視線を向けるとそこには、舞歌に落ち着きを持たせて、数年の月日を加えたような、舞歌によく似た女性が柔らかな微笑みを浮かべながら、奥の部屋からこちらへと向かって来ていた。
舞歌のお姉さんだろうか?
「お帰りなさい、舞歌。それと、初めまして紡君。舞歌の姉の、“遠野静歌”です」
「あ、初めまして。草部紡です。今日は…」
やっぱりお姉さんだったか。そう思いながら自己紹介をしている最中に“それ”は起きたんだ。
「…ううっ…」
「…はい?」
急に涙ぐみ、その場に座り込む静歌さん。
何かしたのだろうか?それとも何かあったのだろうか?
そんな不安が頭を過ぎる。
「あの…」
「紡君が…。紡君が、“お母さん”でしょうが、って突っ込んでくれない…」
「もー。きちんとお母さんに突っ込み入れてあげなきゃ駄目でしょ?紡」
――そんな風に心配したことが馬鹿らしく思える発言をしてくださる“母娘”
この親してこの子あり。
この言葉の意味を、俺は今、深く、とても深く、理解した。
・・・・・・・・・・・・
「さっきはごめんなさいね、紡君」
「いえ。気にしないでください」
「そーだよ、お母さん。悪いのは紡なんだから」
「お前は少し反省しろ」
木製の食卓を囲み、雑談を交えながらの夕食。
父親以外と食事をするのが、一人ではない夕食がとても久しぶりで、なんだか不思議な感じがする。
「えー?私が悪いの?」
「自覚しろよ。少しは」
不満な声をあげる舞歌に、冷たい突っ込みを入れる。
舞歌の母親、静歌さんの前なので控えようとは思っていたのだが、そんな考えは出会いの時点で消え去ってしまった。
あの時、静歌さんが泣いた理由は、俺が突っ込みを入れなかったかららしい。
というのも、舞歌が学校での俺とのやり取りを静歌さんに話していて、その際、自分にも突っ込みを入れてほしいと思ったのが理由みたいだ。
はた迷惑な理由、とも思ったのだが、よくよく話しを聞くと、舞歌が彼女に話した内容にはかなりの“尾びれ”がついていて、それだけで一つの物語が書けるような内用だった。
もしも俺が、舞歌から同じように話しを聞いたとしたら、俺も静歌さんと同じように突っ込みを入れられるのを楽しみにしていたと思う。もちろん、泣くようなことにはならなかったはずだけど。
もちろん、舞歌が完全に悪いわけではないし、それを信じた静歌さんが悪いわけでもない。
だから舞歌に怒り突っ込みを入れるのは間違っているのだけど、それでも言わずにはいれなかった。お前はあほか、と。
「そうよ。舞歌。嘘はいけないと思うわよ」
「えー!お母さんまでそんなこと言うのー?」
「だって…紡君ハリセンなんて持ち歩いていないじゃない」
「お前は何を伝えてるんだよ!?」
「てへっ」
ぶっり娘のように片目をつむって笑う舞歌。たしかにその姿は可愛かったのだが、覚えたのは苛立ちだけだった。
「お前な…」
「あ、紡君。これ食べてみて」
娘を庇ったのか、それとも天然か。タイミングのいいところで静歌さんが口をはさむ。
「あ、どうも」
彼女の行為を無下にすることもできず、俺は、まだ残りが入っている少し深めの器を彼女に差し出す。
それを受け取った彼女は、俺達三人の前に置かれた鍋からオタマで適当に肉やら野菜やらを入れてくれ(この時点で、彼女がどれを食べさせたかったのかはわからなくなった)それを俺に手渡してくれた。
静歌さんが俺のために用意してくれた夕飯は、鍋料理だった。
鍋料理なんて自分で作る訳がないので、嬉しかったのだが、同時に戸惑った。
他人の家庭の、しかも今日初めて顔を合わせた他人の俺が、箸を付けていいのかどうかが疑問だったから。
そんな俺の内心を悟ってくれたのか、静歌さんは今みたいに、俺に声をかけてはオタマやさえばしで俺に鍋を提供してくれた。
母親というものをよく知らない俺は、彼女のそんな優しさに心を打たれていた。
「あ、紡。それちょーだい」
「な…!?」
受け取った皿を自分の前に置き、ほどよく煮込まれ美味しそうな卵に箸をのばそうとした瞬間、横からきた別の箸がそれをさらっていった。
「舞歌!てめーいい加減にしろよな!」
たかだか卵の一個、と思うかもしれないがそれは違う。
舞歌は俺が静歌さんによそって貰う度に、先程のように自分の目当てのものを俺の皿から奪っていくのだ。
俺に学習能力がなからだ、と言われればそれまでなのだが、それで納得できる問題ではなかった。
「自分でとれよ!」
「えー。だって紡の所からとるほうが近いし楽しいし」
「俺はいい迷惑なんだよ!」
「まあまあ、紡君。まだ沢山あるから。舞歌も、悪戯が楽しいのもわかるけど、お行儀が悪いからやめなさい」
そういう問題か、と疑問に思う言葉だが、舞歌が素直に
「はーい」と返事をし、自分で鍋から取り始めたので安心し不問にすることにした。
安堵のため息をこぼし、食事を再開する。
口に入れる料理。それはとても美味しく、優しい味がした。