第十九話
「とうちゃっく」
学校から自転車で30分程の所にある、緑に囲まれた一軒の家の前で、自転車の荷台でにこやかに微笑む舞歌。
「…はぁはぁ……っ…」
それとは対象的に、自転車のハンドルに上半身を預け、肩で息をする俺。
肺が酸素を求め激しく運動を繰り返し、膝は無茶な運動のせいで悲鳴をあげている。
着いたら言ってやろうと思っていた文句も、口を通る事なく留まっていた。
「あー…えーと…」
そんな半死人のような俺の姿に、さすがに舞歌のなけなしの罪悪感も痛んだのだろう。気まずそうな声をあげた。
「…だ、大丈夫?紡?」
「…はぁはぁ、はぁ…」
心配そうな舞歌の言葉に反応すらできず、俺はそのまま荒い息を繰り返していた。
「あー…。ごめんね、紡…」
申し訳なさそうに、俺の背中を摩り出す舞歌。表情は見えないが、おそらく、あの時のように似合わない表情を浮かべているに違いない。
「ちょっと調子に乗りすぎちゃったね…。ごめん…」
舞歌の謝罪に、やはりなんの反応もできないまま、俺はあの時の自分の決断を後悔していた。
第十九話
「お前、自転車通学だったの?」
「あれ?言ってなかったけ?」
全ての授業が終わり放課後となった廊下を歩きながら、俺は舞歌に初耳だと返事を返す。
「あー。そっか。そういえば一緒に学校出るの初めてだし、家の話しもしたことなかったね」
舞歌の言葉で、俺もその事実を初めて知る。
そういえば、あんなに一緒にいたくせに、学校を出るときは教室で別れ、話題に家のことがあがったこともなかったんだ。
「歩くとけっこうかかるのか?」
「んー、紡の足でも一時間以上かなぁ」
思わず息を飲む。
今までの人生で、一時間以上歩いたことなんて、数えるくらいしかなかった。
だいたいどこへ行くにも電車やバス。バイクなんかでの移動がほとんどだったから。
「…一回俺の家に行って、バイクで行かないか?」
「んー。それでもいいんだけど、月曜日紡迎えに来てくれる?」
「は?どこに?」
「私の家。バイクで行くとさ、私の自転車紡の家に置きっぱなしになるよね?そうすると私は月曜日歩いて学校に行かなきゃいけなくなるのよ」
「あー…」
そのことに俺は気付いていなかった。
たしかにそうなると、舞歌は学校まで歩くはめになる。俺の足で一時間以上かかるのなら、舞歌の足だと最低でも一時間半はかかるだろう。かといって、朝一で舞歌を迎えに行くのは、正直面倒臭かった。
「じゃあ俺が帰って自転車で…」
「時間の無駄じゃない?それ」
「…まあな」
舞歌の正論で無くなっていく選択肢。が、一番効率がいい選択肢が残っていた。
「じゃあ、二人乗りするか?」
「だね」
俺の言葉を聞くと舞歌は嬉しそうに笑う。
そんな笑顔をよそに、俺は久しぶりの自転車の二人乗りに少し緊張していた。
「どうする?私がこごうか?」
昇降口で靴に履きかえながら、舞歌が確信犯の笑顔を浮かべる。
「阿保。どこに手を回せって言うんだ。お前は後ろだよ」
同じく靴を履きかえ、ため息混じりの返事を返す。
舞歌のどこに手を回しても学校の連中に目撃されたら面倒なことになるし、言葉には出さなかったが、それは俺のプライドが許さなかった。
「はーい。了解」
嬉しそうな笑顔の舞歌に連れられ向かった駐輪場。そこに停められていた一台の赤い自転車。ママチャリタイプのその自転車を舞歌が引き出し、そのハンドルを俺に差し出す。
俺はそのハンドルを掴み、足を回し座席に座り、舞歌に乗るよう促した。
舞歌は、やはり嬉しそうに返事をし、後ろの荷台にまたがる形で座る。そして俺の腰に、バイクの時と同様腕を回した。
「レッツゴー!」
楽しそうなその掛け声を合図に、俺はゆっくりとペダルをこぎ出す。
最初ふらふらしていたのは、久しぶりに二人乗りをしたからか、それとも舞歌に抱き着かれて動揺していたからなのか。それは今でもわからない。
・・・・・・・・・・・・
久しぶりの二人乗りは、俺の不安とは裏腹に、危なげなくすることができていた。
最初は不安がっていた舞歌も、今ではずいぶんとリラックスしているようだった。
……いや――
「アハハ!楽しいー!」
「暴れるなーーっ!!」
――リラックスしきっていた。
どうも彼女は二人乗りをすると叫びたがるようだ。
バイクの時同様、後ろの荷台に座りながら楽しい、だの大声をあげて笑ったりしている。
しかもそれだけではない。バイクの時は、流石に命に関わるためしなかったのか、今回は手足をバタバタさせて自転車をぐらつかせては喜んでいるのだ。
久しぶりの二人乗り。しかも走っているのは舗装されていない、アップダウンの激しい田舎道。
俺は転ばないように、全神経と体力の全てを費やした。
その結果…
「…はぁはぁ…っ…」
…舞歌の家に着く頃には、俺の体力は尽きてしまった。
「大丈夫?紡…?」
申し訳なさそうに俺の背中を摩る舞歌。
俺は、嫌だった。彼女に、そんな悲しそうな声を出してほしくなかった。彼女には笑っていてほしかった。
だから後悔しているんだ。“あの時の舞歌の笑顔を消したくないが為に、無理をして自転車を走らせた”ことを。
「はぁはぁ…。あのなあ、舞歌…」
「紡、大丈…」
「…んな声…出すなよ…」
「え…?」
いまだ乱れている呼吸。もう少しきちんと呼吸を整えたいのだが、俺はそうせずにキョトンとしている舞歌に言葉を続けた。
「似合わないんだよ。お前に…悲しそうな、声も、表情も」
「紡…。でも…」
「たしかに…こうなったのはお前のせいだし…正直、怒りだって、覚えてる」
「………」
「でもな」
俺はそこで、ハンドルにもたれたままになっている上半身を起こし、体をひねり舞歌に顔を向ける。舞歌の表情は、予想した通り、申し訳なさそうな、以前一度教室で見たことがある、あの似合わない表情を浮かべていた。
やっぱり、見ていたくなかった。理由はやっぱりわからないけど、なぜか、嫌だった。
だから…
「俺だって…楽しかったん、だからさ」
「…え?」
「後ろで暴れて騒ぐお前に苛立ったし、疲れたけど、でも、楽しかった。舞歌との二人乗りは」
「紡…」
「だから、もう謝るな。そんな顔するな。お前が反省してるのは充分わかったから」
「……でも…」
「それでも申し訳ないって思ってるなら、いつもみたいに不敵に笑ってろ。そっちの顔のがお前には似合ってるんだから。そうじゃないと、もう二人乗りなんかしないからな」
言い終わるのと同時に舞歌から顔を逸らす。
言い終わってから、自分が恥ずかしいことを言ったことに気が付いたから。
「…ふーん」
俺の言葉を聞いて、キョトンしていた舞歌が、ニヤリと笑みを浮かべる。
「紡、ずいぶんとクサイ台詞を言えるねー。しかも、その台詞だと、舞歌ちゃんと、また二人乗りしたいように聞こえるんだけどー?」
「………」
俺は言い返せないし、言い返さない。
自分でわかっていたから。クサイ台詞を言ったのも、言葉に込めた意味も。
「…紡」
そっぽを向いている俺だけど、それでも視界に、舞歌が優しく微笑む姿が見えた。
「ありがとう」
「…ああ」
照れ臭かった。けど、この空気は心地良かったんだ。