第十七話(前半)
第十七話
「紡ちゃ〜ん。厚焼き玉子ちょ〜うだい」
「ふざけるな。お前は俺の弁当箱からいくつおかずを奪えば気が済む?それにこれは俺の好物で最後の一個だ。やるわけ…」
「んー!おいし〜」
「てめぇ!本当いい加減にしろよな!!」
「きゃ〜!紡が怒った〜!」
昼休みの教室内で、もはや恒例化したやり取りを交わす俺達。
このやり取りをし出して早一ヶ月が経つのだが、いまだにクラスメートは俺達のこのやり取りを面白そうに見続けていた。
「…ったく」
笑いながら教室から逃げていく舞歌を追いかけることなく、俺は悪態とともにため息をこぼす。
「あはは。相変わらず楽しそうだね」
「…そう見えるか?」
「どういう意味?」
笑いながら近付いてきた一之瀬。彼の言葉に俺はそう返し。
舞歌が留年していることを知った日から演じ続けている“いつもの日常”
本当は聞きたいことがあるのに、俺は聞けず。舞歌は何も言わず。
お互い打ち込まれた楔を感じながらも、行動を起こせず、起こさず。俺達の関係に表面上の変化はなく、白々しいながらも、暗黙の了解でいつも通りのやり取りを演じていた。
どこかぎくしゃくしているのでは、と思い一之瀬に聞いてみたのだが、どうやら俺の杞憂だったらしい。
訝しげな表情の一之瀬に、なんでもない、と返し、米だけ残った弁当箱を一瞥し、ため息とともに蓋を閉じた。
「でも、本当草部達は仲がいいね」
「…俺になんて答えてほしいんだ、お前は?」
「あはは。僕は事実を述べただけだよ」
俺の言葉を気にした様子もなく、いけしゃあしゃあとそう言う一之瀬を睨み付けるも、一之瀬は平然としていた。
「睨んでも事実は変わらないよ。舞歌が草部にべったりなのは、草部だってわかってるでしょ?」
「………」
俺は答えない。わかっているから。そんなことは。
舞歌が何故そうするのか、どういう気持ちでそうしているのかは知らないけど、舞歌が学校で俺と常に行動を共にしていることは、一緒にいる俺が一番知っている。
知っている。だからこそ、俺は気になっていることがあった。
「…なあ一之瀬」
「ん?」
「舞歌が俺以外のやつと行動あまり行動しないのは…気にしてるからなのか?留年していることを」
「―!」
息をのみ、瞳を見開く一之瀬。その驚いた視線を受け止めていると、やがて一之瀬は小さく周りを見渡し俺に顔を寄せてくる。
「…草部、その話し…」
「舞歌から直接。詳しくは話してくれなかったけど」
「…そっか」
小さく息をはきながら、俯くようにわずかに頷いた一之瀬。そんな一之瀬に、俺は再度質問をする。
「それで?どうなんだ?」
「…確かに、みんな最初は戸惑ってたよ。どう接したらいいかわからなかった。けどね、今はそんなことないんだ。みんな舞歌のことを友達だと、仲間だと思って接している」
「じゃあ舞歌が…?」
「うんん。それはない」
即答してから一之瀬は、すぐに首を横に振る。
「いや、確かに理由は舞歌にあるんだけど、でも、それは留年していることを気にしているからじゃない」
「…どういうことだ?」
「草部の言う通り、僕達と舞歌には微妙な距離がある。でもそれは、僕達が拒んでいるからではなくて、舞歌が僕達と必要以上のコミュニケーションをとらないようにしてるからなんだ」
「舞歌が…?」
何の冗談かと思った。
転校初日から必要以上に絡んできた舞歌。彼女が、少なくとも俺の知っている舞歌は、積極的にコミュニケーションをとる人間だったから。
「わからない、って顔してるね。でも事実なんだよ。草部も見てて気が付いたんじゃないかな?舞歌は話し掛けられれば答えるし、自分から誰かに話し掛けることだってある。でも、それを長時間継続することはない。草部以外にはね」
「………」
言葉に詰まったのは冷やかすような、嫌みにもとれるような台詞にではない。一之瀬が語った舞歌の行動に、思い当たる節があったからだ。
一之瀬の言う通り、舞歌は話し掛けられればそれに応じ、場を盛り上げる。
言い争いをしている者達がいれば、自らその者達の間に入り、仲介役をする。
しかし、そこまでなのだ。
自ら盛り上げた雑談にも、長時間花を咲かせることなくいつの間にか違う場所に移動しているし、言い争いをしている者達を正論と理屈で納得させたあとも、それを誇ることなくあっさりと姿を消す。
あまりにも自然過ぎる、舞歌らしく、舞歌らしくないその行動。
その不自然な自然な行動を、俺は一之瀬に言われるまで気付くことが出来なかった。
「…なんで舞歌はそんなことをするんだ?」
「わからない。でも、これは先輩、つまり舞歌の元同級生から聞いたんだけど、休学する前の舞歌は今みたいじゃなかったらしいよ」
「今みたいじゃない?」
「うん。いたって普通の女の子だったらしい」
意味がいまいち飲み込めず、怪訝な表情を浮かべている俺に、一之瀬は補足を口にする。
「休学する前の舞歌は、友達とのたわいない会話に花を咲かせたり、上級生や先生の言うことを、それが例え理不尽なことでも言い返せず頷いてしまうような、そんないたって普通の女の子だったらしいよ」
「………」
一之瀬の言葉に絶句した。
俺が知っている舞歌は、相手が例え誰であろうと自分の意見を言い、間違っていることを間違っていると堂々と言える、ある種のカリスマ性を持った女の子だった。
しかし、一之瀬が語った過去の舞歌は、そんなことはない普通の女の子で。
あまりに違う、過去と今とのギャップ。
人は、そんなに簡単に変わることはできない。
変わろう、と思うことは出来るが、実際自分が変わるために努力できる人間はそう多くない。
例をあげるなら、ダイエットであったり、生活習慣の改善であったり。
一日、二日ならできるが、それを持続させる為には相当の気力と強い意志の力がいる。
ましてやそれが、長い年月をかけて構成された自分を形作る“性格”というものを変えるのには、同じくらいの年月と何事にも揺るがないとても強い意志が必要なはずだ。
それが、たった一年で変わるということは…
「…休学中に何があったんだ?」
休学し、復学するまでに、自分の性格すら変えてしまうような何かがあったか、もしくは、休学自体が理由になっていると考えるのが妥当だった。
「…わからないんだよ。僕達も、先輩達も気になって聞いたんだけど、舞歌は絶対答えてくれないんだ」
「…そっか」
答えない。つまりそれは、俺の考えが正しいということの証明だった。
「あのね、草部。僕達は…」
「なーに話してるの?」
「ま、舞歌!?」
再び口を開いた一之瀬の横から、ヌッ、と突如顔を出した舞歌。
突然の登場に驚く俺達をよそに、彼女は楽しそうに口を開いた。
「そうだ、紡。ご飯足りた?」
「お前…それは嫌みか?」
「だよねー。そんな紡に、例の如くなぜか余った私のお弁当あげてもい…」
「お願いします!」
俺の言葉を流したことと、彼女の白々しい台詞にも突っ込みを入れることもなく、俺は彼女の言葉を遮りあっさりと頭を下げていた。
そんな俺を見てにんまりと笑う舞歌を、俺は頭を上げながら見た。
「なら条件が一つ。ジュース買ってきて」
「…あ?」
彼女の言葉に、俺は聞き返す。今まで条件なんかついたことはなかったし、第一、彼女が条件をつけること自体がおかしい話しである。
「だから、ジュース買ってきて。そしたらお弁当あげる」
当然のように言い切った舞歌を、俺は呆れと怒りが入り交じった表情で見る。
「ふざけるな。誰のせいで俺の飯が無くなったと思って…」
「ゆっくりしてていいの?昼休み終わるよ?」
「この悪魔がーーっ!!」
舞歌を睨み付け、怒鳴りながら席を立ち出口へ走る。
確かに彼女の言ったことは正論。しかしとてつもなく理不尽だった。
だがここで断れば昼飯が食えない。従うしかなかった。
今回も長いので、二部に分けたいと思います。
ご了承下さい。