風花SideStory7
「……鍵ってどこの?」
「あんたの家のに決まってるじゃない。他にどこがあるの?」
「……お前、大学の下見に来たんじゃなかったのか?」
「してるじゃない。こうしてみんなで集まれる場所探したり、このあと原宿にも行くし」
「は?」
要領を得ていない紡の表情に、私の彼を見る視線の温度が急激に下がる。絶対零度、とまではいかないが、少なくとも友好的な眼差しではない。
「……紡。あんた、まさかとは思うけど、こんな年末にオープンキャンパスがあると、本気で思ってる訳?」
「……あ」
彼が口にしたのは、そのたった一言、いや、たった一文字。
けど、その一文字で充分だった。私の視線を、今度こそ絶対零度に到達させるのには。
呆れ果てた冷めた視線を彼の瞳に叩き込みながら、私はゆっくりと、口を開く。
「紡。あんた、来年受験するつもりなのよね?なんでオープンキャンパスの日程を知らないの?」
「あ、いや。その……」
引き攣った笑顔で視線を上下左右させる紡の目から、私は視線を外すことはなかった。
せっかく訪れたストレス発散の機会を、見逃すつもりは、ない。
「仮になんらかの事情があって知らなかったとしても、年の瀬にオープンキャンパスがあると考えてしまうのは、少し教養に欠けるんじゃない?」
「う……」
一般論と正論を織り交ぜ、ねちねちと、執拗に紡を責める。これはあとで紡から聞いた話しなのだけど、この時の私は、とても生き生きしていたらしい。
紡から視線を外し、わざとらしく肩をすくめ、わざとらしく盛大にため息をつく。そうやって嫌みたっぶりな態度を見せつけてから、私は口を開く。
「そんなんで本当に受かるとでも思ってる訳?浪人するのが関の山ね」
「……スイマセン。もう勘弁していただけませんか……?」
「ん。じゃあ、鍵」
今までの冷めた眼差し、執拗な口撃が嘘であるかのように、私はにっこりと笑う。
本音だったとはいえ、今までの言葉は、所詮、ただのストレス発散にしか過ぎない。
ストレスはある程度発散したし、あまりいじり過ぎてふて腐れられても面倒なので、私は話しを進めることにした。
私のその言葉と、劇的なまでの表情の変化に、紡は露骨に顔をしかめる。
「……なあ。本当に家に泊まるつもりなのか?」
「当たり前よ。ホテルなんかに泊まったら、お金がもったいないじゃない。それとも何?私に、手術の結果だけ伝えるつもり?」
半眼で紡を睨むと、彼は大きなため息をついて。そうして、頭をがしがしとかきながら口を開く。
「そうは言ってないだろ……。ただ俺もしばらく帰ってないから、家の中が今どうなってるのか、わからないぞ?」
「それなら問題ないわ。司さん、定期的に掃除を頼んでいたらしいし、ガス、水道、電気もそのままで、寝具もあるって言っていたから」
「いつの間に確認したんだよ……」
額に手をあて、俯く紡。苛立ちと憂鬱、伝わってきた二つの感情をあえて黙殺し、私は紡へと手を差し出して言う。
「そういう訳だから、なんの問題もないわ。だからさっさと鍵を出しなさい」
「あー!わかったよ!」
頭をがしがしとかきながら、紡はポケットから銀色の鍵を一本取り出し、私の前に差し出す。
キーホルダーも何も付いていない素っ気ないそれを、私はしっかりと、笑顔で受け取った。
「ありがとう。優しいわね」
「……よく言うぜ。なかば脅迫だったじゃねえか……」
「何か言った?」
「いいえ、なんにも!」
頭をがしがしとかきながら顔を上へと向ける紡。それは彼が苛立っている時にとるポーズであると、私は知っていた。
そんな彼の姿を見て、ちょっとやり過ぎたかな、なんて思いながら、私は口を開く。しかし出てきたのは謝罪の言葉ではなく、私らしいからかいの言葉だった。
「ま、いいわ。……ねえ、紡。お礼に一緒に寝てあげようか?」
『なっ!?』
短い叫び声をあげたのは紡、だけではなかった。彼の横、彼に寄り添うようにして私達のやり取りを聞いていた舞歌も、私の言葉に声をあげた。
「だ、だめっ!紡は既に売約済み!完売ーっ!」
慌てて紡の腕を抱き、私に向かってそう叫ぶ舞歌。
そんな彼女の姿に、私の悪戯心と、恋心の二つが動かされる。
最近、またよく見せるようになった年相応の表情で私を睨む舞歌。ちっとも怖くない彼女の瞳を見返しながら、私は仰々しく肩をすくめてみせた。
「あら、なんで怒ってるの?別に“やる”だなんて一言も言ってないじゃない。一緒に寝てあげるって、添い寝のお誘いなのに、なんでそんなに怒るのかしら?」
はやとちり――実際は言葉通りの意味合いなのだけど――を指摘され慌てる舞歌の姿、というものを見て私は楽しむつもりだった。しかし私のその思惑は、舞歌の次の言葉によって打ち砕かれることとなる。
「添い寝もHも、紡としていいのは私だけなの!真希でもだめっ!」
――予想していなかった態度、言葉に、私は目を見開く。舞歌の独占欲が強いのは知っていたが、まさかここまではっきりと口にするとは思わなかったのだ。
紡の腕を抱き、薄く涙を浮かべた瞳で私を睨む舞歌。
そんな彼女の姿を、宥めるように舞歌の頭を撫でる紡の姿を見て、私は改めて思い知らされた。二人の間に割り込む隙間などないことに。
嬉しさと安心。悲しさと不安。
相反する二つの気持ちに挟まれながら、しかし、それを表に出さないように隠しながら、私は大きくため息をこぼした。
なるべく二人を見ないように、目元を手で覆いながら、私は舞歌へと向け、言う。
「わかってるわよ。ただの冗談なんだから本気にしないの」
「……真希の冗談は笑えないよぉー……」
だって冗談なんかじゃないから。出かかったその言葉を、私はなんとか飲み込む。
失恋が確定している恋は、はたして恋と呼べるのだろうか?報われない恋は、望んではいけない想いは、抱くことすら間違いなのだろうか?
伝えることの出来ない言葉、向けることの出来ない想いは、どこへ向ければいい?どうやって終わらせればいいの?
……行き場のない想いと、出ることのない答えに苛立ちを感じ始めた私は、それ以上考えることをやめた。
どうせ解決しないのなら、悩むだけ無駄なのだから。
髪をかきあげ気持ちをリセットし、拗ねた舞歌を宥めている紡へと向かい口を開いた。
「ところで紡。あんた今日、どうするの?」
「どうする、って、何が?」
「今日の寝床よ。鍵貰っておいてあれだけど、あんたが自分の家で寝るなら鍵返すし、それに一緒に行った方が効率的でしょ?」
今回の私の言葉には他意はない。効率性を第一に考えた結果にしか過ぎない。
しかし舞歌はそれが気に入らなかったらしい。頬を膨らし、じと目で私を睨んでいるが、面倒なので黙殺することにした。
「あー、それなんだけど」
そんな舞歌の姿に気づいたからか、それともめんどくさそうな私に気を使ったのか、紡は口を開いた。
「俺さ、今日は舞歌の側にいるつもりだから」
「それって……」
「本当!?」
私が言い切る前に、声を大にしてそう叫んだのは、言うまでもなく舞歌だった。
彼女は余程興奮しているのか、人目など気にした様子もなく――もともと気になどしてはいなかったが――紡へと詰め寄る。そのままキスをしてもおかしくない距離まで顔を寄せた舞歌は、その距離で、先程と変わらない音量で言う。
「本当!?本当に一緒にいてくれるの!?」
何事か、と店中の視線が舞歌達へと向けられる。
集まる多数の目、目、目。
不思議そうな目。好奇心たっぶりな目。苛立ちを隠さない目。
そんな様々な人の目を気にした様子も、気づいた様子もなく、舞歌はそのまま紡の答えを待っている。
一方の紡は、それをきちんと認識していて。
周りの目を気にしながら、しかし、答えなくてはいつまでもこの“羞恥プレイ”が継続することも理解していたため、上半身をわずかに後ろへと逸らして舞歌から距離を取りながら、口を開いた。
「あ、ああ。お前、どうせ手術前日は怖がって寝られないだろ?だから話し相手になってやろうと思って。親父にも許可を……」
「紡大好きーっ!」
紡の言葉は最後まで言いきれなかった。感極まった舞歌が紡の首へと腕を回し、抱き着いたからだ。
「だーかーら!抱き着くな!頬を擦りつけるな!キスするなー!!」
そのまま押し倒してしまうのではないか、と思う勢いで紡へと迫る舞歌。
そんな二人の行動に、先程まで集まっていた視線の八割が、“うざい”というものへとチェンジした。
「このバカップル、うざっ」
冷めた目の知子の言葉に、隣の席の数人が頷いたのは、間違いなく仕方のないことだろう。