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8/8 歌に込めた想い





            *   *   *




 確かにいい歌だと豊島は思った。


 アルバム収録で、タイアップしている作品は何もないらしいが、まさに隠れた名曲といえる。


 わざわざ茂松が菜々にリクエストしたかったことにも、納得がいく。


 だからこそ、彼は腑に落ちなかった。



「さっきの歌、すごくよかったよ」



 連続で歌を披露した菜々をさりげなく手招きして隣へ座らせ、豊島は手始めに彼女の歌を褒めた。他の二人が彼女に続いて曲を入れ、気分よくデュエットをしている隙を狙い、二人に気づかれないようにこうして彼女に直接確かめることにしたのだ。


 自分がわざわざ呼びつけられた意図を汲めず、不思議そうな顔をしていた菜々は、豊島の賛辞に素直に笑って返した。


 褒められたことが嬉しい、単純にそう表現している反応だ。


 その反応に、余計に豊島の疑問が深まる。



「菜々ちゃん、あの歌好きなの?」


「はいっ。ケイナのバラードって少ないですし、その少ないバラードの中でも一番好きな歌なんです」



 一番好きな歌らしい。負の思い入れがあるような歌ではないらしい。こうして直接聞かれるまでもなく、周りが聞き惚れるほどの歌声を披露してみせることで、彼女はそれらを証明していた。


 だとすれば、あの時見せた菜々の戸惑いは何だったのだろうか。もはやただの勘違いだったような気すらしてきて、豊島は真相を確かめることを仕方なく諦めた。


 そっか、と一言を返すだけに留めた豊島に、菜々は口にしていいものかと軽く躊躇う様子を見せ、やがて苦笑を浮かべながら彼に向き直った。



「あの歌、都市伝説があるんですよ」


「都市伝説?」



 繰り返してみせる豊島の言葉に、菜々が頷く。



「歌詞とか見てたら、なんとなく想像つきません?」


「んー…まあ、告白ソング、っていうのかな。そんな感じだったよな」



 初めて聴いたその歌を菜々の歌声で聴きながら、モニタに流れる歌詞を目で追いながら、豊島はそういう歌と捉えていた。


 そうなんですよ、と答えてから、菜々はそっと豊島から視線をそらし、恥じらうように軽く目を伏せる。



「…キミつたを歌って告白すると、必ず成功するとか。告白の返事にキミつたを歌うと、その二人は確実に幸せになるとか」


「へえ…」


「ま、掲示板レベルの噂なんですけどね」



 ようやく合点がいった。


 自分以外に男しかいない状況で、恋愛のイメージがつきまとうその歌を歌うことに抵抗があった。


 菜々が見せた戸惑いは、つまりそういうことだ。



「ちょっと、二人で何話してるんすか?」



 知らない間に並んで座って、仲睦まじくお喋りしている二人にようやく気づき、野田が口を挟んだ。


 彼と一緒になって夢中で歌っていた茂松も、モニタから振り返ってにやにやと笑ってみせる。



「これはこれは。裕太も隅に置けませんなあ」


「どういう意味だよ」


「さては隠れてなっちゃん狙うつもりだったな?抜け駆けは許さんぞ!」


「ねーよ馬鹿!」



 思わず怒鳴り返す豊島に、菜々は楽しげな笑い声を上げた。


 つられて笑いながら自分の席に戻って、野田が今度は菜々に向かって訊く。



「ね、豊島さんと何話してたの?ケイナの話?」


「それとも、実は俺らの中に好きな人がいるんですけどー、って話?」



 顔をにやつかせたまま茂松も席に戻り、豊島の肩に手を置きながら野田の質問に付け加える。


 二人の問いかけをかわすように、菜々は豊島の横からすっと立ち上がり、元いた向かいの自分の席へちょこちょこと戻りながら言う。



「内緒でーっす」



 菜々は悪戯に人差し指を口元に添えて、笑ってみせたのだった。







 彼女はいつから、茂松に想いを寄せるようになったのだろうか。


 初めて四人で行ったカラオケ。少なくともその時の彼女にその感情はまだなかった、と豊島は思っている。



『実は俺らの中に好きな人がいるんですけどー、って話?』



 その茂松の予想は完全に的を外していたが、後になって彼女が豊島にそんな話を持ちかけてくることになるなんて、予想だにしていなかった。


 あの時の菜々は、内緒と答えた。


 隠れて交わした二人の会話。キミつたの都市伝説。


 彼女の本心。


 菜々は、どこまでを内緒としたかったのだろう。


『キミに伝えたいコト』


 仲間内でカラオケをするたびに茂松はこの名曲を菜々にリクエストし、快く受け入れた菜々はその歌を歌った。


 都市伝説のことだけは、おそらく茂松に内緒にし続けている。


 菜々が自ら、その歌を歌いたいと申し出たことは、一度もなかった。


 菜々が自分の意思でその歌を選んだことは、なかった。







            *   *   *




 ――改めて、いい歌だと豊島は思った。


 菜々が歌ったことで初めてこの歌を知った豊島は、密かに気に入っている曲の一つに加えていた。


 後からオリジナルのケイナの音源を聴いて菜々の歌と比較したりもしたが、どちらかというとカラオケで菜々が歌うその歌が、彼は好きだった。


 それをわざわざ、菜々に話したりなどはしなかった。



『豊島さんのために』



 歌が始まる前に宣言した菜々の言葉の意味を、豊島はうまく飲み込めなかった。


 キミつたの都市伝説。


 それを気にしていたはずの菜々が、その歌を自ら選んで豊島に歌って聴かせる理由。


 一瞬だけ浮かんできた愚かな考えを、彼は即座に振り払う。


 菜々の好きな相手は、茂松だ。



(俺は菜々ちゃんの、ただの相談相手だ)



 改めて自分に言い聞かせる。豊島の立場が変わったことなど、今まで一度もない。


 何度もカラオケで聞いたキミつたの歌詞は、とっくに全部覚えていた。


 だから、豊島の目はもうモニタを見ることはなかった。



(……なあ、菜々ちゃん)



 豊島以上にその歌を熟知しているはずの菜々は、心の中で問いかける豊島を見向きもせず、モニタに流れる歌詞を真剣な面持ちで見つめながら、歌い続ける。


 心なしか、今まで以上に感情を込めた歌い方で。



(君はまだ、好きなんだろ?シゲのこと…)



 その問いかけを直接彼女の前で口にする勇気は、絶対にない。


 その言葉はただ、豊島の中に湧いてすぐに払ったはずの考えを、完全に打ち消そうと自分に言い聞かせたかったためのもの。


 豊島の記憶の底で、あの時の菜々がもう一度彼に囁く。







『…キミつたを歌って告白すると、必ず成功するとか。告白の返事にキミつたを歌うと、その二人は確実に幸せになるとか』







 突然、菜々の歌が止まった。


 伴奏はまだスピーカーから流れ続けており、この曲一番の盛り上がりを見せるCメロに差し掛かったところで、菜々はその続きを歌わなくなった。



「……菜々ちゃん?」



 異変に気付いた豊島は思わず席を立ち、菜々に駆け寄る。


 菜々は――泣いていた。


 傍らでただ狼狽えるしかない豊島は、嗚咽を漏らして悲痛に歪む彼女の口元を見ていた。


 ――歌うんじゃなかった。


 ラストのサビの伴奏が、沈黙する二人きりの室内で高らかに盛り上がる中、声にならない言葉で菜々の口がそう動いたのを、豊島は見てしまった。


 静かに泣きじゃくる彼女を、豊島はただただ悲痛な面持ちで見下ろす。



「ごめんなさい……豊島さん……」



 止まらない嗚咽を必死に堪えながら、懸命に言葉を絞り出す菜々。


 深い悲しみで震える彼女に触れられず、彼女の想いに触れる勇気すら持てない自分を疎ましく思いながら、何も返せない豊島。



「…あたし……駄目なのに………歌ったり、したら……っ」



 彼女がこの特別な歌を選んだ理由。


 豊島に聴かせたかった理由。


 そして、その決意を背負って歌ったことを……後悔する理由。


 どれ一つとっても、豊島の想像の限界を超えている。



「…………歌……よかったよ」



 彼女の本心を探るような真似は、もうよそう。


 これまで通り、彼女の歌を聴いて、それを褒めて、彼女が喜ぶ。


 そうしているだけで、あんなに楽しい時間を過ごせたじゃないか、と。


 それだけじゃ、駄目なのか?と。


 豊島は、もう誰に問えばいいのかわからない想いを心の中で繰り返す。



「だからさ、菜々ちゃん…」



 泣かないでくれ。


 たったそれだけの言葉が、出てこない。



「………褒めないで……ください……」



 消え入りそうな声で懇願する菜々。



「だって…駄目だから…」


「……何が、駄目なの?」



 慎重に尋ねる豊島に、同じ言葉を繰り返しながら菜々が答える。



「駄目なんです……駄目なんですよ…。あたしが……あたしなんかが……」



 ちょうどその瞬間、演奏が終わった。













「……豊島さんを……好きになったりしたら…」








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