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6/8 オタク仲間で始まった関係


「すげーな菜々ちゃん!めっちゃ歌うまいじゃん!」



 歌い終わった二人へ向けた周囲の喝采に包まれながら、興奮醒めやらぬ豊島が菜々を讃える。


 どうやら興奮状態にあるのは彼女も同じらしく、豊島の言葉が耳に届いているのかいないのか、惚けた様子で歌の余韻に浸っているようだった。



「…菜々ちゃん?おーい」



 反応の鈍い菜々の眼前で、はたはたと手を振ってみる豊島。はっと我に返った彼女は、即座に豊島へ体ごと向き直った。


 並んで立つと豊島の頭二つ分背の低い菜々は、きらきらした羨望の眼差しで彼を見上げながら口を開いた。



「豊島さんすごいです!ケイナ歌えるんですね!」



 さっきまであれほど一人で歌うことを恥ずかしがり、いかにも控えめでおとなしい印象しかなかった新人が、豊島の前で初めて興奮しきりにはしゃいだ姿を見せる。


 全く想像のつかなかった彼女の変貌ぶりに気圧され、ああ、と思わず漏れた声で豊島が答える。



「男の人がケイナの歌選ぶと思ってなくて、曲がかかったときにあたしびっくりしちゃって。キー高いし音程とるの難しいし、今の歌なんか特にサビの高音なかなか出ないですよね。でも豊島さん歌えてたから、ほんとすごいなーって」



 目の前で饒舌に語り続ける生き物を数分前の菜々の姿と全く結びつけることができず、豊島はただただ困惑するしかなかった。


 しかも先に相手を褒めた豊島を、菜々は何倍にも増して褒めちぎってくる。自分の歌を褒められた経験がない彼としては、どういう反応をすればいいのかまったくわからなかった。


 とにかく混乱しきりの自分の思考と菜々の興奮を落ち着かせようと、豊島は彼女を連れて自分たちのテーブルへ戻った。



「よかったよなっちゃん!マジでケイナ様降臨したわ!」



 落ち着きたかった豊島の思惑とは裏腹に落ち着きのない男の声に迎えられ、豊島はそれを素通りして自分の席に身を預けた。


 茂松に続き、円香も田辺も菜々の歌を賞賛して彼女を迎える。周囲に持ち上げられっぱなしの菜々は照れ笑いを返しながら、元いた自分の席へ戻った。



「まどちゃんマジでグッジョブだったな。まどちゃんがなっちゃんの反応に気づかなかったら、なっちゃんの神歌聞けなかったかもだったし」


「でしょでしょー」



 曲が始まった時、イントロに反応する菜々の声を耳にした円香は、ぱっと菜々を振り返って言ったのだ。



『この曲わかるの?歌える?じゃあ一緒に歌っちゃえ!早く早く!』



 この機会を逃すまいと、円香と茂松は結託して菜々を傍らに立たせ、店の者にもう1本マイクを持ってこさせ、菜々を曲の1番のサビから歌わせることに成功したのだ。



(そういうことね…)



 菜々を歌わせた立役者たちが得意げに振り返るその話を、豊島は横でぼんやりと聞いていた。



「裕太も選曲大成功だな。なんでケイナ様の歌選んだの?」


「…マイナーだけど曲自体は一般ウケするし、女子が好きそうで歌いやすい歌っていったら、ケイナくらいかなーって」



 そのつもりで選んだ歌が菜々の知っている歌だったことまでは、さすがに豊島の予想の範囲を超えていたが。


 難易度の高い曲を歌いきって思いの外疲れを感じている豊島の肩を、茂松が力を込めて叩きながら言う。



「さあっすが裕太!君に名探偵の称号を与えてやろう!」


「遠慮しとくよワトソン君」


「なんで俺が助手なんだよ!」


「助手にしてもらえるだけありがたいと思え」



 二人の掛け合いに、テーブル内が再びどっと沸く。


 豊島はその笑顔の中の一つが、歌う前よりも確実に本心からの笑顔に変わったのを認め、改めて自分が大きな務めを果たしたことを実感した。







 ほどなくしてちらほらと帰宅する者が現れ始め、円香と田辺も帰り、テーブル内には三人がまだ残っていた。



「なっちゃん、他にもケイナ様の曲で歌えるのある?」



 おもむろに送信機を手元に寄せながら、茂松は菜々に尋ねる。唐突な質問にきょとんとした顔を返す彼女に対し、にっと笑ってみせた茂松は、隣の豊島の肩に手を置いた。



「実はさ、俺らケイナ様の大ファンなんだ。俺らにもっとケイナ様の歌、聞かせてくれないかなーって。なあ裕太?」


「…俺は歌が好きでよく聞く程度。こいつはガチのケイナ信者」


「なんで好きのレベルが違う言い方するかな」


「お前と同レベルに見られたくないからだ」


「ツンデレ乙」


「いつ俺がお前にデレた」



 豊島の反論に笑い声を上げながら、菜々はにこやかに言う。



「あたしもケイナファンなんですよ。職場に同じファンがいるなんて思ってなかったから、すっごく嬉しいです」


「おー。俺らもケイナ様について語り合える仲間が増えて嬉しいよ」


「フルで歌いきれるかは自信ないですけど、ほとんどの歌は知ってますよ」


「マジか!じゃあさじゃあさー」



 すっかり上機嫌な茂松が夢中で送信機を操作し、菜々に歌わせたい曲の候補を次から次に彼女に指し示す。


 これはいける、これはちょっと、と曲名を見た菜々が間髪入れずに返すたびに、茂松と豊島は彼女の熟知ぶりに感心する。


 やがて一つ一つの曲に対する思い入れを三者三様の言葉で語り合い、結局その夜は2曲目に歌うケイナの曲を選ぶことも忘れて、ただただ彼女の歌について三人で語り明かしたのだった。







            *   *   *




「あたし、前よりケイナのレパートリー増えてますよ。アルバムもほとんど買いそろえちゃいましたし」



 送信機に表示される曲リストに目を通しながら、豊島に向けて自慢してみせる菜々。


 以前にこうして二人きりでカラオケをする機会はまったくないこともなかったが、大抵は茂松か野田のどちらかが加わっていることの方が圧倒的に多かった。


 例の新歓の集まりに仕事の都合で参加できなかった野田は、後日に仕事の休憩時間にまたケイナの話題で盛り上がる三人の会話をたまたま漏れ聞き、実は自分もケイナが好きだと彼らに明かして、三人の輪に加わるようになった。


 四人はケイナや彼女の歌、ひいては彼女の楽曲が用いられたアニメやゲームに心酔し、それらを語らいあって共有するよき理解者の集まりだった。



「俺はアニメのオープニングやらで、あーこれケイナが担当してんのか、ってたまたま知る程度かな。最新の歌とか、アルバム収録の歌はさすがにノーマークだな」


「豊島さん相変わらずアニオタですね。さっきの歌も、最近のアニメの歌ですか?」


「あれは――」



 すでに1番手で歌い終えていた豊島が、自身の選んだ曲について事細かに説明してみせる。アニメのタイトル、放映時期、さらにアニメの大まかな内容まで話す彼の言葉に、向かい合った席で菜々は熱心に聞き入った。



「菜々ちゃん知ってる?このアニメ」


「タイトルは知ってますけど、前にキャラクターの絵だけ見たことあって、見たいなーって気になってたやつなんです。なんか面白そうですね」


「割とおすすめ。声優も菜々ちゃん好みの人多かったし」


「あ、出てた声優さんはちょっとだけ知ってます。確か――」



 あのキャラの声優は誰々だった、あのキャラの声は別のアニメであのキャラを担当した人と同じだった、などと生き生きとした表情で、今度は菜々が豊島に説明してみせる。


 そうそう、えっ知らなかった、などと相槌を打ちながら、豊島も熱心に彼女の言葉に聞き入る。



「菜々ちゃんも声オタぶりは相変わらずなんだね」


「相変わらずです。最近の新人声優さんまではさすがにノーマークですけどね」



 そう言って軽く肩をすくめて見せ、菜々は手元の送信機に再び目を落とした。


 ほんの少し逡巡してから、何かにぴんと来た様子で、慣れた手つきで選曲と送信を済ませる。


 やがてモニタに表示された曲名と、歌手の『ケイナ』の文字を併せ見て、豊島は自身の記憶を探り出した。



「この曲…何のアニメの主題歌だっけ」


「歌い出しでたぶんわかると思いますけど、サビ聞いたら100パーわかりますよ」



 選んだ曲が何の作品に関わるものだったか、選曲側が聴衆側にそれを答えさせるクイズのようなやりとりは、仲間内でカラオケをするときの恒例行事だった。



「ヒントは、さっき豊島さんが歌った曲のアニメの、主人公声優さんの代表作です」



 声オタ贔屓に偏ったヒントの提示に、菜々ほど声優に詳しくない豊島は余計頭を悩ませる。


 思惑通りに彼を混乱させたことを面白がりながら、カルピスサワーを一口飲んで喉を潤した準備万端の菜々が、マイクを握って傍らにぱっと立つ。


 クイズのやりとりから彼女の所作までに流れていたイントロは、確かに聞き覚えがあるはずのものだと、豊島はもどかしく思った。


 記憶が喉の奥でつかえてなかなか出てこなくて唸る豊島をよそに、しっかりとモニタを見据えて、菜々は歌い出しのタイミングを合わせることに集中する。


 そして、完璧なタイミングで歌い出しを決める菜々の歌。



「ああー!」



 その瞬間ようやく答えにたどり着いた豊島が、思い出したことを菜々に伝えるかのように声を上げる。スピーカーから流れる音楽に、オフマイクのその声はかなり埋もれてはいたが、歌う菜々の耳はしっかりとそれを聞いていた。


「わかりました?」と歌いながら笑顔だけでそう訊いてくる彼女に向かって、豊島はすっかりご満悦の様子で頷き返してみせた。


 仲間内のカラオケでの曲当てクイズは、様々なタイミングで答えが導き出されてきた。


 曲名が表示された時。イントロが流れた時。歌い出しの時。サビに入った時。中にはそのアニメに関連するワードが歌詞に入っていることに気づいた時。


 正答者が答えを口にするタイミングが早ければ早いほどその場は盛り上がったが、一番好きなそのタイミングは菜々の中で決まっていた。


 自分が歌っている最中に、答えに気づいてもらうこと。そして「正解」と口にできない状況で、目線や表情で相手に応え、言葉を介さずに答え合わせをすること。


 そのやりとりを交わせる瞬間が、菜々の一番好きなカラオケ仲間との時間だった。

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