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5/8 小さなきっかけ





            *   *   *




「あー、笑った笑った。もうカナちゃんさんでいいよ、面白いし」



 笑いすぎたせいで目尻に滲んだ涙を拭い、茂松は真っ赤な顔で俯く正面の新入社員の頭をぽんぽんと撫でた。



「じゃあ俺は菜々ちゃんのこと、なっちゃんって呼ぶから」


「なんでだよ」



 すかさずツッコミを入れたのはさすがに茂松の向かいの席からではなく、彼の隣に座る豊島だった。



「なんでって、紛らわしいから?」


「何が紛らわしいんだよ」


「カナちゃんと、ナナちゃん。似てるから」


「紛らわしくねーよ!」



 息の合った掛け合いで、テーブルを囲む面々に再び笑いが巻き起こる。下を向いていた菜々も、つられて声をあげて笑った。



「おいそこの漫才コンビ。あんまり新人いじめるなよ」



 少し離れたテーブルから顔だけこちらに向けた部長が、からかい気味な声で二人に釘を刺す。



「いじめてねっすよー」



 ひらひらと手を振り返しながら茂松が答えると、部長は「どうだか」とニヤついた顔で、自分のテーブル内の話の輪に戻った。


 今日は新入社員である菜々のために催された、新人歓迎会の日である。すでに二次会まで終わり、部長の馴染みのスナックまでついてきた三次会参加者は、10人まで減った。


 カウンターと四つのテーブルが置かれた店内は、彼らの貸し切り状態だった。5人ずつに分かれて店奥の二つのテーブルを借り、各々が思い思いの席へ腰を下ろした。


 菜々と同じテーブルについたのは、豊島、茂松、それと菜々の一年先輩である円香(まどか)、そして5人の中で最年長の田辺(たなべ)。もう一つのテーブルには、部長を入れた他の5人がついた。



「ほんとはいじめられてますーって、私が部長に言ってこようか、菜々ちゃん」



 悪戯に菜々の傍ににじり寄りながら、彼女の隣に座っていた円香が囁く。えっ、と声を上げてあからさまにおろおろする菜々を見かねて、豊島が口を挟んだ。



「菜々ちゃん、真に受けなくていいから。まどちゃんも意地悪言わないの」


「だってー、菜々ちゃん可愛いんだもーん。つい意地悪したくなっちゃうー」



 猫撫で声でおもむろに抱きついてくる円香に驚いて、菜々は目を白黒させながら周りの男たちに助けを求めた。


 茂松は口元に手を当ててその光景をじっくりと眺めている。横目でそんな彼の様子を見て何かを察した豊島は、次に茂松が口にするであろう発言へのツッコミを密かに練る。



「……うん。実に百合百合しい」


「現実でその発言はやめろ」


「まどちゃんとなっちゃんならアリ」


「お前の発想自体ナシだ」


「まど×なな。語呂もいい」


「掛け算すんな」



 禁断の情景を堪能中の茂松。ツッコミのキレに意外と満足感を得る豊島。二次会までの間にだいぶ羽目をはずした疲れですでに寝息をたてている田辺。


 菜々を助ける者はいなかった。







「おい今日の主役。お前から歌え」



 カラオケをしよう、という声が向こうのテーブルから聞こえてきてはいたが、菜々達のテーブル内の話がなかなかに盛り上がっていたので、その場の誰もがそれを聞き流していた。


 だがそんなことなどお構いなしに、送信機とマイクを持った部長が輪に割り込み、それらを菜々の目の前にずいと差し出した。


 面食らうも咄嗟にそれを受け取った菜々に対し、向こうのテーブルの面々が期待のエールを菜々に投げ掛けてくる。



「おっ、菜々ちゃん何歌うのー?」



 隣に座る円香からも期待の言葉を掛けられ、すっかり困り果てた顔で菜々は答える。



「あの……こういう場で歌える曲、なくて…」


「曲なんてマイナーでも電波ソングでも何でもいいって」


「電波は普通に無理…」


「誰も知らない曲でも、みんな菜々ちゃんの歌が聞きたいだけなんだから」


「えー…」



 小さく抗議の声をあげながら、それでも観念したのか菜々はやがて送信機を操作して曲を探し始める。


 が、期待の新人の断念は、思いの外早かった。



「…やっぱ無理!円香さん先に歌ってください!」


「えー、私音痴だからパスー」



 その発言に思わず吹き出したのは茂松だ。



「まどちゃんの音痴はガチだよ、なっちゃん」


「うっさいなー。じゃあカナちゃん歌ってくださいよー」


「俺も最初に歌うのはやだ」


「ずーるーいー!」


「ってことで、裕太歌えよ」



 確実に流れが自分に来ることを豊島は覚悟していたが、返答する前に彼は菜々の顔をちらりと窺った。


 円香から茂松へ、順に向けられたその縋るような目は、今やはりそのまま豊島を見ている。



「……しょうがねーな」



 菜々に向けて手を差し出し、送信機とマイクを受け取る。俯きがちに手渡す菜々の口元が「すみません」と動いたように見えたが、豊島は特に気にも留めず送信機に目を落とした。



「とはいえ、何がいいかねえ…」


「お前の次になっちゃん歌うんだから、選曲気遣えよ」


「どう気遣えってんだよ」


「裕太の次、なっちゃんな。それまで何歌うか決めといて」



 豊島の文句を無視しながら掛けた茂松の言葉を受けて、菜々はぎこちなくも素直に首を縦に振って応えた。


 送信機の角をこつこつ叩きながら、豊島は考え込む。



(電波ソングがどういう曲か知ってるってことは、サブカルに明るい可能性アリ、か?だとすればアニソン。ビジュアル系の方が可能性高そうだけど、俺が歌えねえ。無難に女子が好んで歌いそうなアニソンに絞るとするなら…)



 そこまで真面目に推理してから、好きなジャンルくらいは本人に聞いた方が早かったか、と豊島は気付く。


 今さら聞くのもどうかと思うし、見当が外れたところで、今まさに豊島が検索をかけている歌手の歌であれば、二番手に歌う菜々のどんな歌の邪魔にもならないことだろう。



(ケイナが無難だな。シゲも文句言わないだろうし)



 表示された曲リストからさほど迷うことなく一つ選んで送信し、マイクを取ってモニタの見える位置に移動する。


 菜々が一番手じゃないことに隣のテーブルの誰かが軽く文句を言っているようだったが、豊島は「すんませーんっす」と軽くかわした。


 やがて豊島の選んだ曲がかかり、スピーカーからイントロが流れ出す。



「えっ」


「お、ケイナ様か。わかってるねえ」



 感心する茂松よりも早くそのイントロに反応した声を聞いたのは、声の主の隣に座っていた一人だけだった。



(久々だから細かいとこ忘れてるな…)



 歌いながら、豊島は冷静に自分の歌を分析していた。



(やっぱケイナの歌は難易度たっけー…音程もたっけー…)



 つまづきまくり。音もはずしまくり。素面じゃさすがに耐えられないが、三次会という今の状況ならば聴衆もノリで許してくれるだろう、と構わず豊島は歌い続ける。



(で、こっからのサビがさらに…!)







「…………え?」



 ガイドボーカルをつけた覚えはない。


 だが、サビに入った途端、豊島以外の歌声がスピーカーから聞こえてきた。


 うろ覚えの歌でモニタばかり見ていて気がつかなかったが、まさか、と振り返ると、豊島の予想は的中した。


 ついさっきまで豊島がいたテーブルから付かず離れずの場所に立ち、菜々がマイクを握って歌っている。傍らの自分の席から茂松と円香が、曲が流れてようやく目を覚ました田辺が、感嘆の目で菜々の背中を見上げている。


 豊島や彼らだけではない。この空間にいる誰もが菜々の歌声に同じ感想を抱いた。



(……超うめーし)



 豊島がガイドボーカルと錯覚したほどである。


 ところが、その歌声は徐々に声量を落としていった。不測の出来事に豊島が歌うのをやめてしまい、菜々をソロで歌わせてしまっていたせいだ。


 歌いながら不安げに揺れる菜々の視線に気付き、慌てて豊島も歌に加わる。


 声を揃えて二人が曲の一番を歌い上げると、スナックの店内全体から称賛の声が一斉に上がった。それらは歌声を披露した二人へ、おもに周囲の期待以上の一面を見せた菜々へ贈られる。


 その場の全員の注目を浴びて恐縮しきりの菜々だったが、その表情からは満更でもない様子が見てとれた。それを見て安堵を浮かべる豊島は、間奏が終わらないうちに菜々に声をかける。



「一緒に歌うか」



 その一言で菜々の顔から戸惑いの色が払われ、満面の笑顔で力強く頷いて、豊島の隣へ駆け寄った。


 二番の歌い出しがぴたりと重なって始まり、二人は最後の歌詞を歌いきるまで、とても気分よく歌い上げてみせた。

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