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涙の魔法 -彼女の終わりと恋の歌-  作者: 燐紅
ラストシーン ―アンコール―
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5/8 残酷なほど優しすぎるが故に


「……手痛い損失だわ、うちの会社にとって。ネトゲプレイヤーの個人まで特定できる有能なプログラマに辞められるとかさ」


「有能な後輩、残しておきたかったですか?」


「正直かなり人材不足だけど、むやみに顧客やら不特定の個人やらの情報を探りかねない後輩は、いてほしくない」


「…さあっすが、次期システム開発部長有力候補の豊島先輩は、しっかりしてますね」


「それに会社にいた頃に色んな技術教え込んだけど、端末の利用者情報探るなんて危なっかしいことさせる技術なんか、教えた覚えないぞ」


「そっち関係のテクニックは、カナちゃんさんから教わってましたので」


「あー…無駄にネットワーク技術系につえーからな、シゲは」



 要は、よっしーというプレイヤーが豊島かどうか特定するために菜々が用いたのは、かつて茂松から教わっていた技術だったということだ。おそらくは茂松が菜々にネットワーク関係の開発技術を教える際、応用として様々な情報が得られる技術もある、とついでに教えてあったのだろう。


 彼が菜々に余計なことを教え込んだりしなければ、こんなことにはならなかったかもしれないのに。考えても仕方ないと知りつつ、豊島は菜々に安易に技術を与えた茂松を軽く恨んだ。



「でもさ、もしかしたら俺なんじゃないかってある程度気付いてなかったら、俺かどうか確かめたりなんてしなかったろ?」


「操作キャラに幼女を選んでる男口調のプレイヤーは、豊島さんくらいだろうなーって」


「ロリコンをにおわせるプレイヤー片っ端から調べたりする訳あるか。俺なんかより高次元のロリコンガチ勢なんか世の中にごまんといるし、ついでに言うと俺はロリコンじゃない」


「ダウト」


「茶化すんじゃない。俺かもって思った理由は?」


「……幼女キャラと、話し方と、名前です」


「名前…?」



 つまり菜々は、豊島が付けた『よっしー』というプレイヤー名を見て、豊島なのではと予想したということである。



「豊島さんがゲームやる時、使う名前は大抵『よっしー』だって聞いたことあったんです。カナちゃんさんに」


「またシゲか…」



 自分の知らないところで何かと余計なことを吹き込んでいたらしい親友を、この短時間でどれほど恨んだことか。多様なトラブルの種をまき散らしていた茂松のことを思い返して、豊島は頭を抱えた。


 自身が真実を明かしていくたびに、受け止めきれない現実を嘆く彼を申し訳なさそうに見上げつつ、吸うタイミングを逃した煙草を持て余しながら菜々は躊躇いがちに口を開く。



「…間違いなく豊島さんだってわかったわけじゃなかったんです。カナちゃんさんに教わったやり方もうろ覚えで、大体この辺りに住んでる人、くらいしかわからなかったし」


「シゲから聞いてた話と、俺の行動パターンと、大体の位置情報を加味した上で、俺だと思ったわけな」


「だったらいいなって、思ってました」


「侮れねーな、魔法の力ってのも。ネット上で知り合った奴がリアルの知り合いだったってわからせるなんて。軽く違法スレスレのチートは使ったわけだけど」


「ゲームじゃ敵ステータス見破ったり、索敵したり、戦闘回避させたり、タイミングばっちりな場面で魔法使うの得意だったってのによー」


「適材適所で発動してくれる補助魔法には、こっちも何度も助けられたよ相棒」


「そんなに褒めるなよーぅ」



 見覚えのあるフレーズを口にしておどける菜々に、豊島は静かに笑ってみせる。


 ようやく表情を和らげた彼をしっかりと見つめていた菜々は、密かに安堵した。


 今まで隠し通してきた秘密を明かしてから、疑心に満ちた硬い表情を湛えたままの豊島を、ようやく穏やかな顔にしてやれた。素直にそのことを喜びながらも、当の菜々は憂いを帯びた表情を湛える。



「……あたしだって、まだ辞めたくなんかなかったですよ。この会社」



 寂しげな笑みを湛えながら煙草に火を点ける菜々を、豊島は不思議そうに見つめた。


 その言葉に軽く記憶を掘り返したものの、豊島は彼女の退職理由をはっきりと思い出せなかった。



「なんで、辞めたんだっけ」


「会社の方には、テキトーな理由付けて『退職したい』って言ったんですけど、本当はもっと続ける気でいたんです」


「だったらどうして…」


「辞めてほしいって言われたんです。野田に」



 自分が吸っている煙草よりきつい豊島の煙草に慣れてきた菜々は、溜め息とともに煙を細く吐き出す。



「あたしからカナちゃんさんを遠ざけさせたくて、仕事を変えて欲しいって。それ以外にも、同じ職場に身を置いてるうちに休みが合わなくなって、二人の時間が減るのが嫌だからって」


「そんな理由で…」


「ほんと、馬鹿ですよねあたし。ろくに自分の考えも聞き入れてもらおうともしないで、身勝手な野田の言いなりになって」


「…野田が、菜々ちゃんの考えを聞き入れようとしなかったわけじゃなくて?」


「辞めたくないって、強く言えなかったのは確かです。でもその頃のあたしは、勝手なことを押しつけてくる野田を拒めなかった」



 先端から立ち上る煙草の煙をじっと見つめながら、菜々はすっと目を細めた。



「……あいつの気持ちに応えるためにあたしが出来ることは、これくらいしかないんだって信じきってた。それで辞めちゃったんです」



 愚かしい自分を嘲笑う菜々の力無い笑みを、豊島は神妙な面持ちで黙って見つめた。


 自己犠牲。純粋すぎる、重すぎる野田の想いを一心に受けた菜々は、彼に確実に応えようと己を押し殺してきたのだ。


 そうやって甲斐甲斐しく尽くしてきた菜々を、その男は――



「…………限界だ」


「えっ」



 ――ガンッ!!



「っ!」



 わずかに後方で上がった鈍い音に、菜々はびくりと肩を跳ねさせる。


 菜々に対する、同情心。彼女を見捨てた野田に対する、怒りや憎しみ。


 そして、どれほど彼女を心配しても、何をしてあげられるわけでもない自身の無力さ。


 それらを一気に受け止めようとした心は限界を訴え、豊島は鉄製のフェンスを全力を込めて水平に殴りつけたのだった。



「豊島…さん…」


「……今からでも駐輪場戻って、野田をぶん殴ってきていいか、菜々ちゃん」


「……殺しちゃうまで殴ったりしないって、今ここで約束できるなら」


「……」



 理性を失いかけて怒りに打ち震える豊島の瞳は、その怒りを強く咎める真剣な眼差しにしっかりと捕らえられ、長い沈黙を挟んで見つめ合う。


 鉄に打ち付けられて痺れきった左手が次第にずるずると落ちていき、フェンスから離してそれを自身へ引き寄せた豊島は、固く口を引き結んで下を向いた。



「……優しすぎますよ、豊島さんは。情けないあたしなんかにそんなに同情してくれて」


「……」


「ほんと、なんで彼女できないのか不思議なくらいですよ。優しい人が好きな女の人なんて、世の中にたくさんいるのに」


「……優しいだけで彼女できたら、苦労しねーよ」



 苦々しく吐き捨てる自虐的な発言を笑い飛ばす声を待ったが、菜々は何も返してこなかった。


 陰を帯びた表情で再び煙草に口を付ける菜々を一瞥した豊島は、深い呼吸を一つ挟んで静かに口を開く。



「あの時俺に言ってくれた言葉の意味、ようやく理解できた気がするよ」


「……あの時?」



 煙を吐き出しきってから、菜々は不思議そうな目で豊島を見上げる。



「ちゃんと好きになれば頑張れる、ってさ」


「……」


「菜々ちゃんはちゃんと、野田を好きになることができた。だから頑張れてたんだなって」



 優しく微笑みかけて告げる豊島に言葉を失い、菜々は視線を彷徨わせて軽く俯いた。



「何も変わんなくたって、自分が努力して頑張ってるとこを見てくれてたら、向こうから自分をちゃんとした恋人に選んでくれる。頭ではそれを理解してたけど、感覚のわからない俺としてはいまいちピンと来なかったんだ」


「……」


「誰かを好きになる感覚がわからなくたって、野田のために努力できてた菜々ちゃんは、あいつをちゃんと好きになってたんだよ。あんなろくでなしに尽くせてた菜々ちゃんの方が、俺なんかよりよっぽど優しいんじゃないかな」


「……厭味ですか、それ」


「どう受け取ってもらっても構わないけど、菜々ちゃんは自分で思ってるほど情けなくなんかない。それだけでもわかってもらって、もっと自分に自信を持って欲しいって俺は思うんだ」


「……」


「確かに、何も変わらなかった。むしろ報われなかった。それでも菜々ちゃんは、誰かを真剣に好きになって頑張れる子なんだよ」


「やめてください……そんな、優しいこと言うの……」


「優しさや同情で言ってるわけじゃない。本気でそう思ってる。鈍感な俺と違って、菜々ちゃんなら自分の気持ちをちゃんと確かめられるって…」


「だからっ…………優しくすんじゃねーってんだよ!!」



 喉を振り絞った菜々の渾身の叫びに、豊島はびくりと身をこわばらせる。即座にはっと我に返った菜々は、面食らったまま固まる豊島の顔を咄嗟に見上げた。


 男口調のLizの話し方が、自分の地に近いと菜々は明かしてしまっていた。


 堪えきれずに叫んでしまった想いが紛れもない本音であることを、豊島に知られてしまった。



「あ……ご、ごめんなさい。何言ってんだろ、あたし…」


「あ、いや……気にしないで。びっくりしたけど…」



 互いにしどろもどろに取り繕ってみせ、動揺を露わにする互いから自然と目を逸らす。



(優しくしてる自覚なんてねーよ菜々ちゃん。ただ俺は、君がこれ以上理不尽に苦しまずに済んだらいいのにって思ってるだけで…)



 それを言葉にして伝えることも、残酷な優しさだと咎められることだろう。それが何となく予想できた豊島は、やるせない思いで口をつぐんだ。



『何となくじゃ駄目なんだっつの魔法使いw男子の鈍さは知らないうちに女子を傷つけてるらしいぜ?』



 かつてLizとして発言していた菜々の言葉が不意に甦り、豊島の胸中がにわかにざわつく。


 自身の鈍さ。自身の優しさ。


 それによって傷ついているのだと、彼女は仮想の人格を通して豊島に伝えようとしていたのだ。



(……気付いてやりたかったよ。マジで気付けなかったんだよ。許してくれなんて言うのも許されねーだろうけど、君をずっと傷つけてたこと、何て言って謝ればいいのか…)



 悲痛に顔を歪めながら彼女に掛ける言葉を探していた豊島は、不意に浮かべたLizのメッセージの続きを思い出して、はっとなった。



『好きになったら駄目、じゃなくてさ。好きって自分から言い出すのが駄目。そう言おうとしてた、って考えてみ?』



 軽薄さが特徴といえるLizらしくない、本人曰く真面目モードで明かした豊島へのメッセージ。


 それも菜々の本音なのだとしたら、菜々は――



「――う、ぐっ、げほっげほっ!」



 無理に取り繕おうとして煙草を吸ったせいか、菜々は咳き込み始めた。


 よほど変なところに入ったのか、なかなか咳が止まらないようだ。見かねて彼女の背中をさすろうとして、はたと豊島は気付く。


 咳と同時に不規則になっていく彼女の呼吸に、豊島の血の気がさっと引いた。



(これ……まさか……!)



 ……過呼吸だ。

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