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涙の魔法 -彼女の終わりと恋の歌-  作者: 燐紅
ラストシーン ―アンコール―
55/60

4/8 相棒はリアル彼女でチート使い

 口ぶりも、これまでに交わしたやりとりを把握した上での言葉の内容も、文字だけで交流していたあのネトゲの相棒そのままだった。


 呆然と見つめる豊島に微笑みかけたまま、菜々はくるりと身を翻して彼に向き直る。丈の釣り合わないコートが翻り、彼女の方に流れていった煙草の煙があっという間に霧散した。


 そして、ぴんと伸ばした指を揃えてぴしっと額にあててみせる。



「泣く子も笑かすLiz様たあ、オレのことですよ?…ってね」



 長い袖からほんの少しだけ指先を覗かせた敬礼で、菜々はおどけてみせた。


 見慣れたそのアクションも、文面で何度も目にしたその言葉も、豊島はよく知っていた。


 豊島が利用しているネトゲは、ユーザ同士のレベルやステータスを確認できる画面に、プレイスタイルやプレイ歴やよくログインしている時間帯などを他のユーザに示せる、紹介ページのようなものが設けてあった。それらの項目の末尾にあるフリースペースに書かれてあった、交流の長いLizの何が言いたいのかよくわからないその一言だけは、覚えがあった。


 菜々が自ら真実を明かしてくると思っていなかった豊島は、ただただ呆けた顔で彼女の敬礼を凝視していた。



「……そんなに、信じられないですか?」


「あ……ああ」



 開きっぱなしの口から声だけを漏らして返す豊島に、菜々はばつの悪そうな顔で小さく笑う。



「だって、ほら、話し方とか…菜々ちゃんっぽくなかったし…」


「普段は結構ごまかしてますけど、男っぽい話し方の方が地に近かったりするんですよ」


「そう……なんだ」



 なおも釈然としない豊島に小さく溜め息を聞かせ、菜々はおもむろに力こぶを作るポーズを取ってみせる。


 そのポーズもさっきの敬礼も、彼女の動作は豊島がプレイしているネトゲのキャラが見せるアクションコマンドを忠実に再現していた。



「恋のお悩みなら、このLiz様に任せろし!オレはよっしーと違って経験豊富だから!」


「……言ってたな、そんなこと」


「やっと信じてもらえました?」



 正直、信じたくはなかった。


 二人の間だけで交わされたフレーズを口にしてみせ、そのネトゲをプレイしている者にしかわからないキャラのアクションを再現してみせ、豊島が一度も菜々に聞かせたことのない相棒のユーザ名を彼女は名乗ってみせたのだ。


 信じるしかないとわかっていても、それでも豊島は何かの間違いであって欲しいと、懸命に記憶を探り始める。


 そして、一つの矛盾に気付いた。



「……でも、俺と二人で飲みに行った次の日、夜中にメールくれたろ。夜勤で休憩中だって言って」



 二日酔いでバイトをサボったと話すLizとの会話中に、菜々は豊島に前日の非礼を詫びるメールを送ってきた。


 好きなだけ飲んで気を晴らして、その後に相当辛い出来事があったというのに、彼女はめげずに仕事に励んでいるのだと感心していた。それに比べて二日酔いくらいでバイトをサボったと抜かすこの男は、と豊島は呆れていたのだ。


 嘘があって欲しくないと思いを込めながら見上げる豊島の視線から、無情にも菜々は気まずそうに目を背けた。



「あれは、無意味にアリバイ工作しようとしたんです。あたしがLizなんじゃないかって勘付かないように、仕事中ですよーって、嘘ついちゃいました」


「じゃあ…あの日はゲームで話してた通り、サボってたんだ」


「奈津美に…一緒に働いてる友達に、替わってもらってたんです」


「…いい友達を持ったな」



 その時の親友に対する後ろめたさと、目の前にいる豊島に嘘をついていたことを明かした後ろめたさに襲われ、菜々は顔を曇らせる。



「替わってもらった理由も、嘘なんですけどね」


「二日酔いだから、じゃなかったってことだろ。カラオケで色々あった話を聞かされて、気落ちしてた菜々ちゃんを心配して休ませてくれたんだな」



 その通りだと口にしかけたが、菜々は思い留まって閉口した。しきりに目を泳がせて慎重に言葉を探す彼女を訝しんだ豊島は、暗がりに紛れかけた彼女の反応に目を凝らす。


 あからさまに動揺をごまかすように、菜々は再びくるりと背を向けた。



「おっかしいなー?カラオケで色々なんて、ありましたっけ?」



 無理に明るい口調で尋ねる菜々に、はっとなって豊島は自身の発言を悔いた。


 あの出来事は、二人の中でなかったことにしたのだった。菜々が泣いたことも、明かしてしまったことも、何も見ておらず聞かなかったことにしたのだ。


 触れないようにしていたことを漏らしてしまった後悔に苛まれ、重い沈黙が流れる。


 背を向けた菜々の口から、またとんでもないことを明かされたりしないだろうかと、豊島は恐れた。何か差し替えられそうな話題はないかと、必死に思考を働かせる。



「……一個だけ、聞いてもいいかな。カラオケでのこと」



 思いつきで咄嗟に口をついた話の切り出しは、結局カラオケのことから切り離せていなかった。


 全くの無関係な話題に差し替えるのが理想的だったが、どうしても確かめておきたいことも豊島にはあった。



「いつのカラオケでのことですか?」



 向こうを向いたままの菜々にそう聞き返されて、豊島はほんの少しだけ安堵する。


 菜々とカラオケに行ったのは、あの出来事があった日だけではない。茂松も入れた三人で、散々デートに訪れたのだ。


 うまく話題を変えられたことに胸をなで下ろしつつ、豊島は菜々の問いかけに答える。



「ヒトカラしてた菜々ちゃんに、俺とシゲが後から合流した時のことだよ」


「ああ、久しぶりにカナちゃんさんに会えて、その後あたしたち三人が付き合い始めた日ですか」



 記憶を確かめる菜々に短く返しながら、豊島は神経を研ぎ澄ませて慎重に記憶の引き出しを探る。


 彼女への問いかけに慎重になったのは、豊島の中で一つの仮説を立てていたからだった。


 菜々がもしその仮説を事実だと認めたなら、彼は未だ信じ切れないでいる真実を受け入れようと決めていた。


 どれほど事実だと言われようがにわかに信じがたい、菜々がLizであるという真実を。



「あの日って確か、日中にクエスト巡回してたよな」


「そうでしたね。よっしーに補助魔法かけるタイミングうまいって褒められて、オレ本気でテンション上がってたんだぜ?」



 菜々の口調と、Lizの口調。悪戯に交えてみせる彼女は、どこまで本気でこちらをからかっているつもりなのだろうか。


 彼女の軽口に惑わされないよう、豊島は集中して意識を切らさずに続ける。



「その後、シゲと飲みに行くってことも話したよな」


「話してましたね」


「考え過ぎかもしれないけど、それ知ったからヒトカラしてた、なんてことある?」



 確かめる口ぶりの豊島に難なく相槌を返していた菜々は、核心を突いた問いを投げかけてきた彼に、沈黙を返す。



「……どういう意味ですか?」



 少しだけ間を置いて、菜々はゆっくりと豊島に振り返った。茶化した笑みを完全に消し去った真顔の彼女を、豊島も真剣に見つめ返す。



「菜々ちゃんさ、シゲと飲みする時はビールとか日本酒避けてカクテル系のお酒にしてるって、前に俺に話したことあったよな」


「よくそんな話覚えてましたね。会社にいた頃に話したことなんて、ろくに覚えてないと思ってたのに」


「覚えてるよ。シゲがいない飲みの席なら、一杯目は必ずビールって決めてるって話してたことも。なのにヒトカラするためにカラオケ屋に来た菜々ちゃんが、一人でずっとカクテル系のお酒しか飲んでないのは変だなって、気になってたんだ」



 わずかに目線を下げて返す言葉を探す菜々が、次にどんな言葉を返してきたとしても、豊島はすでに彼女のどんな返答も受け入れる覚悟を整え終えていた。


 豊島の推測を肯定しようと、無理のある否定を返してこようと、思い詰めた表情を伏せる菜々の姿がすでに彼に応えていたからだ。


 やがて菜々は観念したように、ふっと息を漏らして口元を歪めた。



「……そういう気分なんで、みたいなこと言って、うまくごまかせたと思ってたのになあ」



 自身の失態を嘆く菜々の言葉に、覚悟を固めていたとはいえ豊島は悲痛に顔を歪めて彼女から目を逸らす。


 これでもう、真実を受け入れざるを得なくなった。頑なに信じたくないと強い想いで示した豊島の足掻きは、徒労に終わった。



「俺かシゲが飲みやカラオケに誘ってくることを期待して、あるいは俺らをカラオケに誘うつもりで、カラオケ屋で待ってた。そんなわけないって思いながら、そう予想してたけど…」



 事細かに推理を披露する必要も、もうないだろう。途中でそう気付いた豊島の声量が尻すぼみになっていき、固く口を引き結んだ。


 すると彼の前に立つ菜々がぱっと顔を上げ、吹っ切れたような声を上げてみせる。



「なかなかの名推理じゃないかワトソン君」


「なんで助手なんだよ」


「助手にしてもらえるだけありがたいと思ってください」



 反射的に思わずツッコミを入れたが、どこかで交わした覚えのあるやりとりだった気がして記憶を探りかけているうちに、豊島の前からちょこちょこと移動してきた菜々が再び彼の隣に腰を下ろした。



「あーあっ。降参です降参。あたしはずーっと、豊島さんをいっぱい騙してきたんです」


「…鈍感な俺相手なら、どこまでも騙し通せると思ってたわけだ」


「だって野田にバラされなかったら、あたしだって気付かなかったでしょ?」


「まあ、カラオケでちょっと疑問に思っただけだしな。俺もシゲも、菜々ちゃんがLizってことは絶対あり得ない、って話してたくらいだし」


「どうせあたしなんかに自演は無理だ、なんて思ってたんじゃないですか?残念でしたーっと」



 悪びれもせずに笑い声を上げながら豊島の煙草に手を伸ばし、菜々も二本目の煙草を吸おうとする。



「……ちょっと待った」


「うぇ?二本目から有料ですか?」


「あ、煙草はいいよ吸っても。それより、もう一つ聞きたいことが」


「まだあるんですか?もー。いい加減納得してくださいってば」


「菜々ちゃんがLizだったってことは、ちゃんと納得したよ」


「じゃあ、何を聞きたいんですか?」


「いつからよっしーが俺だって気付いてたの?最初から?」



 煙草を分けてもらったことに気をよくしていた菜々は、先端に火を点けようとしてぎくりと身をこわばらせた。



「あー、いつから、だったかなあ?よっしーが相談してきた内容見て、これもしかしてあたしのこと?ってなんとなく思って…」


「…俺がLizに相談した時点で、アリバイ工作したんだろうが」


「あぐっ……そうでした」


「最初から知ってたな?どうやって知った?」


「どっ、どうやってって……ま、魔法です!」


「ハッキン…」


「魔法ですっ!」


「菜々ちゃん」


「…………ごめんなさい」



 煙草に火を点けるのを諦めて頭を垂れる菜々を冷ややかに見据え、豊島は額に手を当てて盛大な溜め息をわざとらしく彼女に聞かせてやった。

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