8/8 彼女の終わり
――死んでしまえば、何もかも終わらせられる。
これまでの菜々は、頑なに『死』という表現を避け続けてきた。
それはただ単に、死ぬのが怖いという理由で。
それとは別に、『死』よりも『終わり』を望んでいるという、屁理屈じみた理由で。
だが、どんな理由をつけようと、彼に与えてしまった事実を曲げることはできない。
精神が追い詰められたら、簡単に、しかも無意識に、死ぬことを選ぶ人間なのだということ。
その事実を明かしてしまったあの時から、豊島に好意を寄せることを菜々は固く禁じたのだ。
そう固く決心した――はずだった。
走馬灯が見せた菜々の過去は、確かに彼女が抱える何もかもを明らかにした。
終わりを望むことを意識するようになったきっかけ。
無意識に、なおかつ意識して、感情を抑えつけるようになったきっかけ。
豊島を意識するようになってしまったきっかけ。
あらゆる発端が、彼女が体験した『あの時』の――海の記憶に隠されていた。
豊島は、あの海での出来事を覚えているだろうか。
今でもそのことを意識しているのだろうかと案じながら、菜々はもう一つ気がかりなことを思い浮かべた。
走馬灯から抜け落ちた、彼が発した言葉の空白。
海から引き返そうとして、まっすぐに彼から見つめられて告げられた一言。
声を押し殺して泣く自分に、背を向けた彼から放たれた一言。
何故、思い出せなかったのだろうか。
菜々にとって、豊島にとって、とても大事な想いが込められていた言葉のはずなのに。
豊島は、それも覚えていてくれているだろうか。
なおも豊島に頼ろうとする自分に自嘲し、菜々は言い聞かせる。
彼にとって、その記憶は必要ない。
自分が付き合わせた彼のつらい記憶は、すべて忘れて欲しい。
自分と過ごした過去も、何もかもなかったことにして欲しい。
何もかも――終わるのだから。
豊島のいる世界から。茂松や、野田の世界から。
菜々はもうすぐ、いなくなる。
菜々の望んだ終わりの世界へ――まもなく彼女はたどり着く。
地面に叩き付けられるまでの時間が、あまりにも長く感じられた。
だが、確かに屋上から身を投げた。
あっけなく終われる高さなのか不安を感じていたが、走馬灯の長さが終わりを確信づけていると菜々は信じた。
全身を揺さぶる、衝撃。
それは、走馬灯を見る途中のどこかで、菜々に襲いかかっていた。
それでも記憶のフィルムが回り続けることを不思議に思いながら、菜々は心のどこかで他人事のように考えていた。
走馬灯は、終わりを迎えてもなお続くのか、と。
走馬灯を終えて、終わりの瞬間を迎える。
だが実際は、終わりの瞬間を迎えたあとに、走馬灯を終えることになった。
想定していた形と違う終わり方だったが、もうどちらでもよかった。
これで、終わりだ。
長い長い菜々のラストシーンが――ようやく終わった。




