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涙の魔法 -彼女の終わりと恋の歌-  作者: 燐紅
ラストシーン
48/60

5/8 独り占めしたい独りよがりな想いに惑わされて


「…なあ、変なこと聞いていいか?」


「何よ。まだ後ろから見えてる?」


「いや、パンツの話じゃなくてさ」



 しきりにスカートの裾を気にして、菜々は不思議がりながら野田に振り返る。


 目を丸くしながら菜々が目を合わせた先の野田の表情は、一変してどこか真剣味を帯びていた。



「お前さ、今の仕事、ずっと続ける気でいるか?」



 何の脈絡もない話題を振られ、菜々はさらにきょとんとする。



「何いきなり。今んとこ辞める気ないよ。残業も休日出勤も多いけど、仕事は楽しいし。専門職で給料もいいし」


「でもさ、どっちかが休日出勤しなきゃならなかったりで、なかなかデートできないだろ」


「毎日会社で顔合わせられるんだから、あたしはそれで満足だけどな」


「俺が嫌なんだ。もっと二人きりの時間を増やしたい」



 純粋に想いをぶつけてくる野田を見つめながら、彼の意図を察した菜々はどこか呆れてみせるように苦笑いを湛える。


 稼ぎの安定した今の仕事より、規則通り休みが取れる仕事に就いて欲しい。野田はそう言いたいのだろう。


 その意図を汲み取った上で、菜々は野田から視線を逸らしながら声のトーンを落とす。



「…仕事を変えて欲しい、じゃなくて、職場を変えて欲しいんでしょ」



 ほとんど差異のないことを訂正する菜々の発言に、野田の口元が無意識に引き締まる。



「仕事だったり、休憩中だったり、あたしがカナちゃんさんの近くにいるのが嫌。そう言いたいんでしょ」


「……それもある」


「まったく、焼きもち焼きなんだから」


「だってよ…まだ、好きなんだろ」



 恋人である野田の口から出たその言葉に、菜々の笑みがすっと消える。


 懸命に野田と目を合わせないように視線を泳がせ、冷たい波を受ける足元に菜々は目を落とした。



「好きだよ、まだ」



 軽薄な口調で告げる俯き加減の菜々を、野田は深刻な面持ちで見つめた。



「頼りない朋也なんかより、全然好き。カナちゃんさんさえ心変わりしてくれたら、あたしはカナちゃんさんの彼女になりたい」



 その言葉を受けて肩を落とす野田に対し、彼氏の立場を守れるようにもっと努力しろと菜々が鼓舞する。菜々の発言は、二人の間で幾度かやりとりしたことのあった、ただの軽口の始まりに過ぎなかった。


 だが野田は一切嘆こうともせず、おもむろに砂浜から腰を上げて、まっすぐに菜々を見据えた。



「お前が茂松さんを諦めきれていないことは知ってる。でもそれとは別に、今の仕事で頑張ってるお前を見てて、いつか無理しすぎて体壊したりしないか、俺は毎日心配してるんだよ」


「無理しないと出来ない仕事は、野田先輩にお手伝いしてもらいます」


「そうもいかない時だってある。出張やら、派遣やら、二人とも別々の仕事に関わってたら、手伝う余裕なんてなくなる」


「じゃあその時はカナちゃんさんか、豊島さん辺りに…」


「菜々。真面目に聞いてくれ」



 軽口で済ませたがる菜々を遮る野田。菜々はそんな彼の顔を見上げ、二人は正面から向き合った。


 穏やかな海面を撫でる潮風が、沈黙する二人の間を吹き抜けていく。


 波打ち際に立ち尽くす彼女を見据えながら告げた野田の一言は、菜々の心を大きく揺さぶった。



「俺は、お前と――結婚したいんだ」










            *   *   *




 夜を迎えて、一同は夏らしくバーベキューと花火に興じた。


 最初のうちは全員で花火をしていたが、やがて疲れただの飽きただのという理由で、一旦海の家へ戻る者や直接旅館に戻る者が現れ始め、外で花火を続けるメンバーは20代の若者組数名だけになった。


 菜々もそのうちの一人だったが、彼女もやがて飽き始めてきてその輪から離れ、海の家に入った。


 飽きたというよりは、最初から何かを楽しむ気分になれないだけだった。円香や、野田や、彼の同期たちに囲まれていると、その若々しいテンションにどうしても付き合わざるを得ない。


 メンバー最年少であるはずの菜々は、今の自身の気分も相まって、疲れ切っていた。



「あれっ、なっちゃん一人?花火終わったの?」



 座敷の小ぶりな卓を囲む面々のうち、奥に座っていた茂松が菜々に気づいて声を上げる。それに反応した他の面々も、入り口にいる彼女を振り返る。


 菜々は疲れた表情を引っ込めて咄嗟に笑顔を見せ、茂松の問いかけに答えた。



「まだやってますよ。花火飽きちゃって、こっち来ちゃいました」



 そっか、と茂松が短く返すと、特に気に留めず他の三人と共に卓の上に視線を戻す。


 彼らが見つめる卓上に並ぶ駒らしきものが目に入り、菜々は彼らに近づいて座敷に上がった。



「え、麻雀やってるんですか。ここって麻雀も置いてあるんですね」


「違う違う。これ、俺の私物」



 声を上げたのは茂松の対面に座る田辺だった。



「へー、田辺さん麻雀セットなんか持って来てたんですか」


「まあな。茂松たちみてーにテレビゲーム持ち込むよか、よっぽど健全だろ」


「徹マンする気満々の人は健全じゃないと思いまーす」


「茶々入れんな豊島。いつまでも寝っ転がってねーで、おめーも混ざれ」


「だからその局終わったら誰かと替わりますって」



 茂松の傍らで寝そべったまま、豊島があくび混じりに答える。



(カナちゃんさんも豊島さんも、麻雀できるんだ)



 いつもはアニメやゲームやケイナのことばかり話している二人の意外な一面を知って、菜々は彼らに尊敬の念を抱いた。


 興味津々に卓の傍に歩み寄り、田辺の傍らに座り込んで菜々は卓上を眺める。


 田辺は隣に着いた見学者を一瞥して、牌をツモりながら口を開く。



「菜々ちゃんも麻雀できる?」


「ゲームでしかやったことないんですよ。アガリの形はなんとなくわかりますけど、役が覚えられなくて」


「その感じだと、見てて全然楽しめないことはなさそうだな」


「はい。実物の麻雀見るの初めてだし、見学してていいですか?」


「いいよ。テンパイしてる奴の待ち牌くらいわかるだろ?」


「わかりますけど…教えませんよ?」


「ちっ。菜々ちゃん使ってサマしようと思ったのに」


「田辺さん」



 イカサマを企んだ田辺を咎める菜々に悪戯に笑ってみせながら、彼が手牌を捨てた時だった。



「あ、それロンです」


「は!?おめーテンパってたのかよ!」



 思わず声を上げる田辺を見て満足げに笑い、茂松は手牌を倒して卓上に晒す。


 菜々は立ち上がってちょこちょこと茂松の隣に移り、晒した手牌をじっくりと観察した。



「いちにーいちにー……あ、七対子ですね」


「これならなっちゃんも知ってるよな」


「知ってます知ってます」


「ダマテンでチートイかますとか、ふてえことしやがって…」


「まあまあ。俺が裕太と替わりますから、好きなだけ揉んでやってくださいよ」



 不機嫌そうに点棒を投げ寄こす田辺をなだめて、茂松は横で寝入りかけている豊島を揺さぶった。



「終わったぞ裕太。俺と替われ」


「…あー」



 間の抜けた声を上げながら、豊島は揺すり起こした茂松の方を何の気なしに見上げた。


 が、途端に何かに気づいてその方向からばっと目を逸らし、慌てた様子でおもむろに上体を起こす。


 不審な動作を見せる豊島に茂松は首を傾げ、次いでジャラジャラとやかましく音を立て始めた卓上に目を移す。


 そしてその牌を混ぜる様子を夢中になって見入る菜々に視線を移してピンと来た茂松は、彼女の肩を指でそっと叩いた。



「なっちゃんなっちゃん」


「はい?」



 意味深に声を潜めて呼びかけられた菜々は、きょとんとした顔を茂松に向けた。


 卓内の他の三人に聞こえないように耳打ちをしようと顔を近づけてきた茂松に、思わず菜々はどきりとする。



「気をつけた方がいいよ、スカート」


「んなっ!」



 素っ頓狂な声を上げて裾を手で押さえながら、菜々はこちらに背を向けて座る豊島を凝視した。


 最低限の忠告を終えた茂松は席を立ち、豊島の隣にしゃがみ込みながら彼の肩に手を回す。



「おい裕太」


「俺は何も見てないからな」


「まだ何も言ってねーよ。そんなことはともかく、一つ聞かせてくれ」


「何をだよ」


「何色だった?」


「カナちゃんさんっ!」



 嫌な予感がして二人の密談に聞き耳を立てていた菜々は、思わず声を荒げて茂松を制した。


 なりふり構わず茂松と豊島をぽかぽかと叩き出す菜々を眺めているのは、牌を積み終えて四人目の参加者を待ちぼうける三人だけではなかった。


 花火の後始末を終えて様子を伺いに来た入口の人影に、気づいた者はいない。


 じゃれ合う三人の様子をしばらく眺めていた彼は、声を掛けるのをやめて踵を返し、花火をしていたメンバーと合流して旅館へと戻っていった。

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