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8/10 最後まで秘密にしておきたかった真実

 想定外の菜々の叫びに、三人の肩がこわばる。豊島と茂松は、彼女の乱暴な口ぶりを未だに信じられない様子で、呆然と菜々を見つめる。


 二人の視線に挟まれた菜々は、俯いたままの野田の口から謝罪の言葉が出るのをひたすら待って、彼の口元をじっと睨んだ。


 張り詰めた空気に耐えかねた豊島は、怒りに打ち震える菜々の小さな背中にそっと声を掛ける。



「…もうやめてやれ、菜々ちゃん。君自身の言葉で野田にここまでショックを与えるところを見ていて、俺たちの気は晴れた。謝罪なんて必要ない」


「必要なくなんかないです。あたしの気が全然晴れません」


「なっちゃん…」



 強固な菜々の意思に気圧された茂松は、とうとう野田から手を離した。戒めを解かれても野田はやはり何も反応を見せず、壁に背を預けたまま立ち尽くす。


 彼が沈黙を守る理由は。三人はそれぞれ胸中で推測する。


 ただただ菜々の拒絶にショックを受けていて、言葉を返す気力をなくしたか。疎ましい茂松や豊島に謝罪したくないと、抵抗を示しているのか。もう何も、答えたくないだけか。


 野田の胸中を察することすら嫌悪する菜々は、しびれを切らして言い放った。



「あんたにはいくらでも謝るべきことがある。自分勝手に生きてきたこと。浮気を理由に離婚を迫ったこと。それを全部棚に上げて手近なあたしと復縁するつもりでいたこと。こうして関係ない人達を巻き込んで迷惑かけたこと。何でもいいから、謝りなさいよ」



 苛立ちを露わにして責め立てる菜々の言葉を耳にして、野田は眉を動かした。ようやく反応を示した野田が次に発する言葉を、三人は口をつぐんで静かに待つ。


 だが野田は、謝意とは正反対の卑屈な笑みを浮かべながら、低い笑い声を上げた。



「……笑わせんなよ。何もかも俺が悪いみたいなこと言って、自分は何も悪くないって言い張れんのかよ」


「当然でしょ。あたしに落ち度があったとしても、あんたの素行と比べたら霞む程度のものよ」


「じゃあネトゲで彼氏作って浮気してたことくらい、二人に話しても構わないよな」



 確かめる口ぶりの野田に目を見張ったまま、菜々は息を呑んだ。



「そういえば話の途中でしたよね、豊島さん?」



 問いかけの矛先を菜々から豊島に向けても、野田は戸惑いを露わにする菜々を鋭い目で見据える。


 途端に強気になった野田と、途端に怯えを見せ始めた菜々。豊島と茂松は怪訝そうに目を細めて彼らを交互に見比べ、野田が次に発する言葉に意識を集中させる。



「菜々の本命はそのネトゲで出会った男で、豊島さんは何か心当たりがあるようで俺にそいつの名前を聞いてきた。そこで菜々の意識が戻って、途中で終わってしまいましたからね。教えてあげますよ、そいつの名前」


「やめて」



 短くも強い力を込めた声で、菜々は野田を遮る。


 野田が訝しげに目を細めて菜々を見返すと、弾かれるように前に進み出た彼女は、傍らの茂松を押し退けてまで野田の胸に縋り付いた。


 呆気にとられる豊島と茂松は、野田の頭一つ下の位置から彼を見上げる菜々の後ろ姿を凝視する。



「お願い。それだけは二人に言わないで」


「…なんだよ、急に必死になりやがって」


「今この場であんたに言ったこと、あんたの気を悪くしたこと、全部謝るから…お願い」


「なんだよそれ…ネトゲ彼氏の存在まで二人に言ってあるんだろうが。今さら何焦ってんだよ」


「あんたの口から言われると困るの。全部駄目になっちゃうの。内緒にしてくれたら、復縁だって何だってするから」


「菜々…!」


「だから、二人に…言わないで…」


「…………自分を犠牲にしてまで……なんで……なんでそこまでしてあの男を庇うんだよ!」


「言わないでってば!!」



 悲痛な金切り声を上げる菜々は、野田の胸に顔を押しつけて懇願した。これほどまで菜々が恐れる理由に全く見当がつかない豊島と茂松は、ただただ困惑して二人の姿を交互に見比べる。


 近寄ることすら拒絶していた彼女に、野田との復縁すら厭わないとまで言わしめるほどの理由。


 菜々の本命の男は――ネットゲームでしか交流のない仮想の彼氏は、菜々がそこまで隠したがる真実を秘めているのか。


 何も知らない二人とは違い、唯一その男の名前を知っている野田は、菜々の思惑を模索した。


 自身の胸にしがみつく菜々の頭から視線を上げ、傍らにいる茂松と、少し離れた豊島を、交互に見比べる。困惑の目で見つめ返す二人を確かめていると、野田の脳裏に先ほどの菜々の言葉が甦った。



『今の彼氏は、カナちゃんさんだけ』



 見比べる視線の動きを二人の中間辺りで止め、野田は思案した。


 菜々は二人の彼女になった。だが豊島にフラれ、彼氏のままなのは茂松だけだという。


 二人にも明かしてあるネット彼氏の存在をわざわざ伏せて、茂松だけが彼氏だと菜々が断言した理由。



「…………そういうことかよ」



 野田は、ようやく合点がいった。


 真相に気づかれたと察知して、菜々は瞬時に野田の胸から顔を上げる。焦りの色を浮かべる彼女を力ずくで引き剥がし、野田は平手で容赦なく菜々の頬を張った。



「野田っ!」


「この野郎!」



 ついに手を上げた野田に対し、豊島はよろめいた菜々を庇い、茂松は全力を込めて野田を壁に縫い付けた。


 さっきまでの怒りを一気に取り戻して組み伏せる茂松に構わず、野田は叩かれた頬を押さえる菜々に向かって怒鳴りつける。



「言え菜々!茂松さんと豊島さん、どっちがお前の本命の男か!」


「何言ってんだてめえ!今は俺も裕太も関係ねーだろうが!」


「あるんですよ茂松さん!こいつはもう、二人のどちらかを本命に決めてる!」



 声高に言い張る野田を訝しみながら、茂松と豊島は彼の発言に聞き入った。


 散々ネット彼氏の話で揉めていたはずが、今度は二人のどちらかが本命だと野田が断言しだした。


 菜々の本命は、二人のどちらでもない、ネット彼氏のはずだったのではないか。


 事情を飲み込めない二人にその真意を明かさないよう、豊島に肩を支えられる菜々は野田の発言を遮ろうとした。



「答えろ菜々!どっちがお前の『よっしー』なんだ!?」






















 野田を制止できなかった菜々。そして、豊島と茂松。


 三人の間に流れる時間が、止まる。


 野田が明らかにした名前を耳にした豊島と茂松の脳裏に、二人の間で話題に上がった人物の言葉が次々と浮かぶ。




『なんかオレ、フラれたっぽい』



『よっしーは後輩ちゃんのこと好きじゃないの?』



『ふつー女子って男子から告白されたいもんだろ』



『オレはよっしーと違って経験豊富だからw』



『よかったじゃん!彼女できて!』



『後輩ちゃんのことちゃんと好きになれば頑張れるってw』



『イブに後輩ちゃん告っちゃえ!』




 ――『彼』は、豊島のよき理解者だった。


 菜々と再会する前からも。


 今までも。






















「…………やっぱり二人のどちらかが、菜々のネトゲ彼氏だったんすね」



 三人の反応を見て、野田は確信した。



「菜々が答えないなら、代わりに答えてくださいよ。ネットでも現実でも彼氏になった茂松さんですか?それとも知ってる口ぶりで俺に名前を聞こうとした豊島さんですか?」



 野田の問いかけなど、ろくに耳に入らない。


 豊島と茂松は顔を見合わせて、思考停止した互いの口から何でもいいから言葉を掛けてくれないだろうかと、無言で懇願し合う。



「ごめんなさい」



 交わる二人の視線の少し下で呟いた声に、二人の意識が持っていかれる。


 その視線が自身を捉えようとした瞬間、菜々は瞬時に豊島の手をすり抜けて後方へ駆け出した。



「菜々ちゃんっ!」



 豊島が呼び止める声に脇目も振らず、菜々は駐輪場の外へ逃げ出す。


 彼女の後ろ姿が見えなくなるまでその方向を見据えていた茂松は、無意識に力を込め続けた拳を震わせた。



「……野田ああああ!!」



 突然の咆哮に豊島が咄嗟に振り返ると同時に、茂松は全身全霊の力を込めて野田の横っ面を殴り飛ばした。鈍い音が鳴り、衝撃で体ごと後方に持って行かれた野田は、再び背中を壁に打ち付ける。


 全身に響く激痛に呻く野田の目の前まで瞬時に距離を詰め、さらに殴りつけようとした茂松の腕を、豊島が掴む。


 茂松は即座にそれを振り払って、憤怒の形相でばっと豊島を睨み付けた。



「馬鹿野郎!俺らに構ってねーでなっちゃん追いかけろ裕太!」


「でも…!」


「でももクソもあるか!ほっといたら何しでかすかわかんねーぞ!今のあの子は!」



 豊島ははっとなって、この場で菜々が野田に向かって口にしていた言葉を思い出す。


 ――死んでやる。


 想定するべきだった最悪の事態に豊島が気づいたことを察し、茂松は口元にかすかに安堵を浮かべながら彼を急かした。



「後でお前にもこいつ殴らせっから、早く行け」



 語気を強めた茂松の命令を合図に、豊島は決心して踵を返し、菜々の後を追った。


 駐輪場から去った二人に、茂松と野田はそれぞれ思いを馳せる。


 複雑な感情を抱きながら。

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