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3/10 妥協と逃避の違い

 また、泣かせてしまうだろうか。そんな懸念を抱いたが、豊島は下を向く菜々に向かって努めて明るく言ってみせる。



「菜々ちゃんが一番好きなのは、今でもシゲなんだろ?一度はフラれたかもしれないけど、あいつはもう菜々ちゃんを自分の彼女だってはっきり認めてる。菜々ちゃんから幸せもらいたいって、言ってたろ?」



 視線をさまよわせながら返す言葉を探す菜々は、再び茂松の方を見やった。


 茂松は変わらず、手元のタブレットに集中している。二人を気にする素振りを全く見せない彼の姿から、菜々はそのまま視線を落とした。


 そんな彼女の仕草を見守っていた豊島が、ありのままを打ち明ける。



「俺さ、菜々ちゃんがそうやってシゲに夢中になってるとこ見てると、変な気分になるんだよ」



 腹か胸の辺りを締め付ける違和感。


 茂松を気にする彼女を前にして、今も豊島はそれを感じている。



「たぶん俺は、今の俺達の…三人の関係に納得できてない。そりゃ恋人の存在に憧れはあったよ。でもさ、三人で彼氏彼女ってのは、やっぱり俺には難しすぎて、違和感ある」



 そのまま言葉を続けようとして、不意に襲われた小さな痛みに豊島は顔をしかめた。


 締め付けられる違和感が、増してきている。


 原因もわからないその痛さを力任せに堪え、豊島は告げた。



「普通に、二人で付き合う方がいいよ。シゲと」



 菜々は、ようやく豊島の顔を見上げた。


 豊島は、曇り一つない優しい笑みで、菜々の戸惑いの視線を温かく受け止めた。



「…またフラれたりしないか、不安?」



 優しく笑んだままそう言ってみせる豊島に、菜々は間を置いてそっと目を伏せる。


 その反応は問いかけに対する肯定なのか躊躇いなのか、判断することはできなかったが、構わず豊島は本音を口にする。



「俺は菜々ちゃんとシゲが、ちゃんとした恋人になればいいと思ってる。そのためにはどんな協力も惜しまないつもりだ。今のあいつになら、菜々ちゃんのことをどう思うか直接確かめられるだろうし」



 目線の少し下で俯いたまま何も返さない菜々を見つめながら、豊島は改めて自分に言い聞かせる。



(俺はこれから先も、菜々ちゃんの相談相手で、この子の味方でいればいい)



 泣き出さないようにと、俯く菜々の頭にそっと手を置いた。



「せっかくのクリスマスイブだ。あいつから告白されたいだろ」



 幸い、カラオケの予約時間まではかなりの余裕がある。豊島はその時間までに茂松と話をつけ、菜々に告白するよう彼に伝えるつもりでいた。


 女子は男子から告白されたいものだ。いつだったかのネトゲの相棒の受け売りだが、今の菜々がまさにそれを望んでいると豊島は信じ切っていた。


 自身を勇気づける温かい手の感触を感じながら、菜々はふっと息を漏らす。



「…豊島さんは、あたしのことちゃんと好きだって、思ってくれなかったんですね」



 重い口を開いてついた菜々の言葉に、豊島は戸惑いを見せる。


 いくらその鈍さを露呈しがちな豊島といえど、自身が選んだ発言の意味くらいは自覚していた。


 豊島は遠回しに、菜々をフッた。


 菜々のことを好きにならなかったから。彼女がそう感じて確かめてくるのは、当然のことと言えた。



「別に、嫌いってわけじゃないし…」



 咄嗟に弁明した自分の言葉で、もう一つのLizの発言を思い出す。


 嫌いじゃないなら、付き合えばいい。


 短絡的な彼の発想にその時の豊島は呆れたが、目の前の彼女も似たようなことを言い出すのではないかと不安に駆られた。


 嫌いじゃないなら、彼氏のままでいいではないか、と。


 不安に思う豊島をよそに、さっきまでとは打って変わって明るい表情を湛えながら、菜々がぱっと顔を上げる。不意の動作に驚いた豊島は、思わず彼女の頭から手を離した。



「ツンデレ乙!」


「は!?」


「豊島さんなんか、もう知らないっ!」



 口を尖らせながら言い放ち、菜々はくるりと豊島に背を向けた。


 どっちがツンデレだよ。そうツッコミを入れて軽口で済ませたかったが、そうもいかない状況に豊島は口をつぐんで彼女の後ろ姿を見つめた。


 その彼女から跳ね退けられた片手のやり場に困り、豊島は仕方なくその手でコートのポケットから煙草を取り出す。



(別にいいさ俺は、嫌われようがどうなろうが。気の合う二人がいい関係になれるんなら、喜ばしいことだ)



 強がりでも何でもない素直な本音を胸中で独りごちて、不機嫌な背中を見つめる豊島は小さく溜め息を逃がした。


 一服している間に、作業を終えて茂松が戻ってくることだろう。そう思いながら咥えた煙草に火を点け、合流してくる彼にどんな文句を言ってやろうかと思いを巡らせながら、豊島は駅の方へ目を向ける。


 するとそこでちょうど顔を上げた茂松と視線が重なった。申し訳なさそうな顔をしながら、身振り手振りで何かを伝えようとしている彼の動きを、目を細めながら豊島は読み取る。



(…無線の接続が不安定でなかなか送信できない、か?)



 要は報告書自体は完成したもののもう少しかかる、ということだろう。顔の前で両手を合わせて詫びる茂松を見て、豊島は煙草を挟んだ片手を彼に掲げて返事をした。


 二人が無言のやりとりを終えたタイミングで、豊島に背を向けていた菜々が不意に声を上げる。



「いいこと思いつきましたよ、豊島さん」


「いいこと?」


「はい。恋人が駄目なら、兄妹はどうですか?」



 咥えた煙草を口から落としそうになる。すんでの所でそれを堪えた豊島は、もうすっかりいつもの笑顔でこちらに向き直った菜々に対して、努めて冷静に問いかけた。



「…俺が兄で、菜々ちゃんが妹?」


「そうです。だって豊島さん、彼女にも憧れがあるでしょうけど、妹にも憧れてますよね?」


「そりゃあ…あ、いや、でもそれは大概二次元という前提があってこその…」


「ごちゃごちゃ言ってないで、素直に『お兄ちゃん』って呼ばれたいって認めなさい」


「…………呼ばれたいです」


「それでよし」


「よし…なの?」


「豊島さんは変態でロリコンで、おまけに三次元のただの後輩に『お兄ちゃん』って呼ばせてる生粋の妹萌えだって、カナちゃんさんにわからせてやるんです」


「君は人を貶める天才か」


「褒めたってもう遅いです」



 そして三次元のただの後輩は、先輩の眼前にびしっと人差し指を突きつけ、声色を変えて言い放つ。



「もう!お兄ちゃんの意気地なし!そんなんだから、いつまで経っても彼女できないんだよ!」



 彼女の突飛な行動に面食らった豊島は、聞き覚えのあるその台詞が出てくるアニメを記憶から探りながら、目の前の指と彼女の顔をせわしなく交互に見る。


 突きつけた人差し指はそのままで、菜々は悪戯に笑って声色を戻した。



「…結構、似てると思いません?」



 自信ありげな彼女の問いかけなどろくに耳に入らず、豊島はただただ呆然と彼女を見つめ返すばかりだった。



「…………お前ら、公の場でアニメの一幕を再現することをもう少し恥ずかしく思え」



 ふざけたやりとりの横から入ってきた声に二人が顔だけを向けると、作業を終えて疲れ切った顔をしている茂松が、呆れかえったような半目を向けながら二人のもとに戻ってきていた。


 菜々がとあるラブコメアニメの妹キャラを巧妙に演じてみせた部分だけ耳にしていた茂松は、また自分のいない間に二人がどんなカオスな会話をしていたのか想像させられることに嫌気がさして、わざとらしく溜め息をついた。







            *   *   *




「何をどうすればお前が『お兄ちゃん』って呼ばれる流れになるんだよ」


「…俺が知りてーよ」


「お前から仕向けなきゃそうならないだろ、変態」


「変態呼ばわりの方が、まだマシだ…」



 アニメの再現よりも周りの目を気にしたくなる会話をしながら、豊島と茂松はイルミネーションで飾られた通りを並んで歩く。


 豊島を自身の兄扱いすると決めた張本人の菜々はというと、二人より少し離れた前方を歩きながら、電球で装飾された街路樹を無邪気な顔で見上げている。


 急務を終えた茂松が再び合流するも、カラオケの時間まではいくらか余裕があった。そこで時間を潰すためにイルミネーションが施されている場所を通り、遠回りでカラオケ屋に行くことを提案したのは、菜々だった。


 クリスマスらしい雰囲気の街並みで一人歩きを楽しむ彼女の姿を見守りながら、豊島は含みのある言い回しで茂松の疑問に応じる。



「兄妹なら、問題ないと思ってな」


「大ありだろ」


「確かに。でも俺は菜々ちゃんに兄と呼ばれたいって言っちまったよ。その方が、まだマシだと思って」


「その方がって……まさかお前」



 自嘲する豊島にばっと顔を向け、茂松は彼の横顔に目を見張った。


 暗にそれまでの関係と比較した物言いだけで、その思惑に鋭く勘付く彼に、豊島は感謝した。


 しかし、そう感謝した上で、豊島はあえてその彼に皮肉を込めた言い方で答える。



「……俺も、逃げたよ。いつだったかのお前みたいにな」



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