7/8 経験値カンスト状態の彼女の恋愛観
「なっ、だっ、誰が乙女ですか!」
「ツッコむとこそこ?」
「久々にカナちゃんさんが仕事してるとこ見て、やっぱ真面目モードのカナちゃんさんかっこいいなーって、ちょっと思っただけです」
「あー、仕事のできる男はモテるってヤツね」
「豊島さんも休日出勤に精を出して、あたしにこういう目で見られるようにせいぜい努力すればいいんですー」
「ツンデレおーつ」
「カナちゃんさんみたいなこと言わないでください」
ツンデレらしくぷいっとそっぽを向いて、菜々は豊島の視線から自身の動揺を隠そうとする。
菜々の反応に苦笑いしながら、豊島の口から思わず本音が漏れた。
「あいつのどこがそんなにいいのかねえ」
不意のその一言を耳にした菜々は、そっぽを向いたままきょとんとした。その反応を見て豊島は、口を滑らせたことに軽く後悔を覚える。
茂松のどこが好きなのか。暗にその意図を思わせる問いかけを菜々に向けることは、豊島の中で長い間禁じていた。
菜々は意外そうな顔で正面に向き直り、気まずそうに目を泳がせる豊島の顔を見つめる。
「妬いてるんですか?」
「やっ、妬いてねーし」
「ツンデレおーつ」
「菜々ちゃんまでそれ言うか」
誰かの口真似を真似で返された豊島のツッコミに、からからと笑い出す菜々。
瞬時にからかいの矛先を跳ね返した彼女に感服しながらも、豊島はほんの少しだけ安堵した。
真面目に仕事の電話に応対する茂松を素直にかっこいいと言ってみせ、豊島の意図を冷静にくみ取って「妬いてるのか」とすら口にして、悪戯に笑いかける。
茂松が席を外してからの二人のやりとりを、菜々は深く気にしていないようだ。
「そんなに気になります?あたしがカナちゃんさんのどこを好きなのか」
不思議そうな口ぶりで尋ねる菜々。見透かされたような問いかけに、豊島は思わずどきりとした。
「恋する乙女」と言った自分の発言も大概だと思ってはいたが、こうもあっさり「好き」と彼女が口にするなど、豊島は想定していなかった。
まあね、と返しながら動揺を表に出さないよう努め、菜々の返答を待つ。
「やっぱり普段と仕事の時のギャップですよ。普段あれだけ子供っぽくてお調子者なのに、仕事になると人が変わったように真面目モードになるじゃないですか。仕事一本に集中してる真剣な顔が、すっごくいいなーって」
「まあ、確かに。あいつの切り替えぶりは、普通に尊敬するよ」
「カナちゃんさんのかっこいいとこをいっぱい見れる豊島さん、正直羨ましいです。豊島さんはカナちゃんさんに嫉妬してないかもですけど、あたしは豊島さんに嫉妬してるんですよ?」
「んなこと言われてもね…」
豊島は茂松に嫉妬などしていない。そう明言してみせる菜々にどこか引っ掛かりを覚えながらも、少なくともその考えは見当違いではないと豊島は思った。
物憂げに煙草をふかす豊島に向かって軽く身を乗り出しながら、菜々はなおも茂松について熱弁する。
「でも、やっぱり一番はアレですよ」
「アレ?」
尋ね返す豊島の目を見てにっこりと笑い、菜々は彼が背にする格子状の個室の引き戸の向こうへ視線を送った。
その彼女の仕草と瞳を見て、豊島は腹か胸の辺りが軽く締め付けられる感覚を覚える。
感じたことのないその違和感は気のせいだろうと彼は済ませ、それよりも視線の先で仕事の電話をしている茂松を見つめる彼女のことばかり気にした。
「笑ったとこ。心の底から笑ってるって誰が見ても思う、思い切り笑うときのぱっと弾けるような感じの笑顔。あのカナちゃんさんの笑顔だけは、本当好きだなー」
仕事の電話をしているよそで、二人が自分のことについて話しているなど想像もしていないであろう茂松の姿を見据えて、菜々はしみじみと語る。
長いこと気になっていた、菜々が茂松に憧れる部分を知った豊島は、自分が想像できなかった彼女の真実に思わず感嘆の声を上げた。
「なるほどな。菜々ちゃんはそういう風にシゲを見てたのか」
「こんな話、誰にも言ったことないんで恥ずかしいですけどね。あたし、カナちゃんさんの笑った顔が見たくて、結構笑わせにかかることに一生懸命だったりするんですよ?」
「はー。菜々ちゃんのいじりスキルが日に日に増してった理由はそれか」
「なので豊島さんがいてくれるとすごく助かります」
「シゲと結託して存分にいじり倒せるからだろ」
「自覚しててくれて何よりです」
「俺は君らのおもちゃですか…」
嘆かわしく肩を落とす豊島を笑いながら、ふと菜々が思い出したように声を潜めて言う。
「わかってると思いますけど、カナちゃんさんには内緒ですよ?」
「言うかよ」
わざわざ念を押される必要もないとわかりきっていた豊島は、思わず含み笑いながら煙草を揉み消す。
(あいつは、菜々ちゃんがまだ自分のことを好きでいることすら、知らねーんだから…)
迂闊に口を滑らせた自分の一言で、豊島だけがその事実を知ってしまった。
あの頃と同じ後ろめたさに襲われる感覚に、彼は少しずつ表情を陰らせる。
だが豊島の素っ気ない返しを意外に感じていた菜々は、悪戯な目をしながらその顔を覗き込んだ。
「…やっぱり、妬いてますよね」
「妬いてねっつの」
不意の一言に、豊島の表情は瞬時に焦りの色に染まる。
またもやからかいに成功したと満足げに笑う菜々は、そんな豊島の心情などお構いなしに、攻撃の手を緩めず続ける。
「素直に認めてもいいんですよ?せっかくできた彼女が親友にとられるかもって焦らないと、男として駄目ですよ」
「そんなハイレベルな恋愛できません…」
「もー、これだから魔法使いは」
「それも思い出させないでください…」
もはや死体蹴りされている気分になりながら、菜々の攻撃を喰らい続けた豊島はとうとうテーブルに突っ伏した。
さすがにいじめすぎたと菜々は苦笑いを浮かべ、平謝りの言葉を口にしながら豊島の頭をぽんぽんと撫でる。
同情を寄せる彼女の手の感触を後頭部で感じながら、豊島は改めて実感した。
(…やっぱり菜々ちゃんは、三人で彼氏彼女をしてるつもりなんだな)
菜々が二人の彼女になること。それはこうして、三人で集まって楽しく遊ぶための口実程度の関係であって欲しいと、豊島と茂松は期待を寄せていた。
だが、そのうちの一人が、二人のうちの一人を本気で想っていることを思い知らされた。
(どう考えても俺が……身を引くべきだ)
豊島の胸中でそんな一大決心がつきかけているとんでもないタイミングで、菜々が口を開く。
「心配しなくても、豊島さんのこともちゃんと好きですから」
「…………はい?」
頭を上げても未だ添えられたままの菜々の手など忘れ、豊島は何とも言えない顔で彼女を凝視する。
小憎らしい悪戯な笑みを湛えながらこちらをしっかりと見据えてくる菜々は、自身の発言に照れる様子も訂正する素振りも見せる気配がない。
空耳だったのだろうか。そんな疑念すら湧いてきた豊島は、至って真摯に菜々に聞き返す。
「ごめん、菜々ちゃん。君は何を言ってるのかな」
「豊島さんのことも好きですって、言いましたけど」
「それ、完全に告白だと思うんですが」
「彼女ですから。彼氏に好きって言っちゃ駄目ですか?」
「そういう問題ではないかと」
「付き合ってるんだから堂々と好きって言っていいんです。あたしは三人の彼氏を平等に好きだと思ってますから」
「だから菜々ちゃんの考え方は俺にはハイレベルすぎるって…」
理解の限界を超えた豊島は、心の中で書きためていた疑問一覧表を今一度振り返る。
菜々はまだ茂松のことが好きなのか。彼女はそれを肯定する事実を告げた。
菜々が豊島を好きになっては駄目と戒めている理由は。理由はわからずじまいだが、今は豊島を好きだと彼女は断言してみせた。
菜々の好きな人は誰なのか。彼女は茂松も豊島も好きだと答えた。
三人で付き合うという今の関係性を肯定してよいものか。現状、彼女は実に肯定的である。
三人の彼氏を平等に好きだと話す菜々の真意は。
「…………三人?」
心の中の一覧表に書き加えられた新たな疑問に、豊島はようやく気づいた。
呆然と疑問を漏らす豊島に菜々が平然と頷くと、彼が背にしている個室の引き戸が派手な音を立てて開いた。
「だーもう!あんのクソハゲ、何が『基礎部分は大丈夫なんですよね?影響ありませんよね?』だ!基礎システムに影響あるバグほったらかして納品するかっつの!馬鹿がめちゃくちゃな使い方するから、普通に使ってりゃ出てこねえバグ見つけるんだろーが!」
「まあまあ、カナちゃんさん落ち着いて…」
「ちっくしょー…バレなきゃ次の保守作業までに修正してこっそり上書きしようと思ってたのによー。いい加減あのボンクラハゲの担当外してくんねーかなあの会社。おかげで無駄に休日出勤させられるし、腹立ってこねーか裕太」
怒りの収まらない茂松は、自分が席に戻って煙草を吸い出してもなお、問いかけに反応のない豊島を訝しんで彼を見る。
茂松の怒りの声を頭の中で整理していた菜々は、とにかく見つかったバグは使用者が通常気づかない程度の物だがたまたま見つけられてしまったという状況であることと、電話の相手である担当者がハゲた人物だということを把握する。
豊島は、もうそれどころではない。
「…どうした裕太。ノーダメで殴り倒された上に死体蹴り喰らわされた顔してんぞ」
格闘ゲームに詳しい人間にしかわからない例えで茂松に指摘され、どんな顔だよとツッコむ気力も湧かない豊島が、そんな顔のまま茂松を見る。
仕事の話を終えたばかりの何も知らない親友は、おそらくこれから彼女が真実を明かすであろう数分後に、どんな顔をするだろうか。
豊島は、ただただ茂松に同情の視線を送るだけだった。




