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6/8 目を背けた先の現実が幸せすぎて





            *   *   *




「――やっぱりケイナの歌はいいですね。歌ってるとすごく気分がスカッとしません?」


「するする。軽快なテンポにうまく乗って歌えたときはすげー気分いい。なっちゃんみたいに歌唱力あると、もっと気持ちいいんだろうな」


「カナちゃんさんだって歌うまいじゃないですか。芯の通った声してるし、高音も裏声使わないで高いとこまで出せるし。あたしほとんど裏声頼りだからなー」


「自在に裏声出せるんだから羨ましいよ。菜々ちゃんレベルで歌えたらってそりゃ思うけど、俺らのレベルじゃ基礎から身につける気で練習しないと無理だな」


「でも豊島さんも裏声使えるじゃないですか。原曲キーでまともにケイナ歌える男の人って、そうそういないですよ」


「CD音源と違うキーだと違う曲に聞こえてきて、逆に歌えなくなるんだよな」


「それで歌えちゃってるのがすごいですよ」



 三者三様にそれぞれの歌を褒め合う三人は、すでにカラオケを終えてから訪れた居酒屋の個室で、気分良く酒盛りに興じていた。



「でも、やっぱすげーのはなっちゃんだよ。なんつーか、表現力も増してきてる気がするし」


「そうかなあ?二人も前よりうまくなったと思いますよ」


「そうか?最近まで俺もシゲも、カラオケ行くことすら滅多になかったのに」


「なっちゃんは、俺と裕太どっちが歌うまいと思う?」



 興味深げに尋ねる茂松の問いかけに、菜々は口元に手を当てて思案した。



「んー、どっちだろう?」


「シゲが調子に乗らないように辛口採点でお願いします」



 念を押した豊島の一言に、隣の茂松が思わず「え」と間抜けな声を上げて彼を見る。


 そんな彼らのやりとりに思わず吹き出しながら、菜々は二人がケイナを歌っている時の姿をそれぞれ思い返した。



「そうですねえ。豊島さんは音感がいいから音程合わせるのうまいけど、ロングトーンがなかなか続かなくてちょっぴり残念、って思うことがありますね」


「息が続かないのは歳のせいです」


「煙草のせいだと思います」



 答えながら煙草を取り出そうとした豊島の手が止まり、思わず苦笑いを浮かべる。


 菜々と一緒になってそんな彼のリアクションをからかっていた茂松が、今度は菜々に期待の色を込めて尋ねる。



「じゃあ俺は?」


「カナちゃんさんは発声がいいから、歌声に張りがあってすごくいいですけど、細かい音程が時々合ってないかな、って」


「あー、そうなんだよなー。だいたいの曲がテンポ速いから、音程合わせるのすげー難しいし」


「あと速い曲の時、たまに口回ってませんよね」


「げ。やっぱバレてたか」


「菜々ちゃん相手にごまかし利くわけねーだろ」



 ついさっきからかわれた仕返しに、今度は豊島が菜々と示し合わせて茂松を笑った。


 豊島の言葉を念頭に置いて感想を言い終えた菜々は、交互に二人を見ながら尋ねる。



「二人の歌はこんな感じだと思いますけど、どうなんですかね」


「まあ、やっぱうまい人はちゃんとチェックしてるんだなってわかったよ」


「だな。音感とか発声とか、専門的な言葉出されてもピンと来ないと思ってたけど、なっちゃんに言われるとなんか説得力あるし」


「じゃあお互いの歌聴いてて、どっちがうまいと思います?」


「俺だな」「俺だろ」


「なんで被っちゃうんですか」



 ドヤ顔で同時に断言する二人のあまりのおかしさに、テーブルに崩れ伏しながら菜々が思いきり笑う。その声につられて、二人も笑い出した。


 あの頃と何も変わらない、三人の会話。再会を果たした日からおよそ二ヶ月が経ち、菜々の休日である土曜日に合わせて、彼らは頻繁に三人で遊ぶようになった。


 懐かしさはいつの間にか日常の感覚に置き換わっていたが、一緒の時間を過ごす空気があまりにも自然すぎて、いつだって三人は完全にあの事実を忘れていた。


 三人は、恋人同士なのである。







 酒を酌み交わしながらケイナ談義に花を咲かせているところに、話題の中心人物であるケイナの歌が突如個室に鳴り響いた。


 サビから始まった曲に菜々はピンと来た反応を示したが、豊島は眉をしかめて茂松を見た。



「うっせーな。いつも思うけど着信音でかすぎなんだよシゲ」


「わりわり、下げるから」



 テーブルの上に置いていたスマホの着信音量を下げながら画面を開くと、茂松は頬を引きつらせた。



「電話か?会社から?それとも…例の契約先?」



 不穏な彼の反応を訝しんだ豊島は、自身も嫌な予感を覚えて思わず声を潜める。


 菜々の休みに合わせて集まった土曜日の今日は、本来であれば豊島たちの会社は休日で誰もいないはずだ。だが、休日出勤している社員が火急の連絡を寄こしてくる可能性は大いにある。ましてや普段から営業を兼任している茂松にかかってきた電話となれば、その相手は契約会社の担当者であることも考えられる。


 実を言うと、豊島と茂松はとある契約先から、今日にでも連絡を寄こされるのではないかと危惧しながら、この日を過ごしていた。


 茂松が着信音に設定しているケイナの歌が流れる中、茂松の視線がスマホに表示された電話の相手の名前から豊島へ移動する。



「……ビンゴ」


「やっぱりな…」



 苦々しく答えた茂松の短い言葉に、豊島はがっくりと肩を落としてうなだれた。


 二人の間だけで交わされた会話の真意を飲み込めず、向かいの席で菜々は一人小首を傾げた。


 だが似たような光景を何度か見たことがあった気がして、彼女は記憶の隅から引っ張り出したそれを基に推測する。



「…バグの修正が間に合わないまま納品したシステム使ってたらバグ見つけちゃったんですけどー、って契約先からの電話ですか?」


「……ご名答」


「えっ、当てちゃいました?」



 勘で言ったつもりの自身の推測が的中すると思わず、菜々は目を丸くして焦る。


 同じくこの短時間で言い当てられると思っていなかった豊島は、当否を口にしながら、同じシステムエンジニアの経験を持つ元後輩の勘の良さを褒めたいとも思った。



「願わくばシステムの話じゃなくて、別の用件だったらいいんだけど…ちょいと失礼」



 不安げに見つめられる視線が一つ増えたのを感じながら、茂松は咳払いをしてその場で電話に出た。


 カラオケで思う存分熱唱してはしゃぎまくり、そこでも今いる居酒屋でもそこそこ飲んでいた茂松の第一声は、微塵も酔いを感じさせない口ぶりだった。


 まるで勤務中にかかってきたかのように応じる彼の姿を見ながら、豊島と菜々はその切り替えぶりに改めて感心した。


 やがて繰り返し相槌を打つ言葉が続いて、電話の相手が用件の本題に入ったことを傍らの二人が悟る。固唾を呑んで茂松を見守っていた豊島と菜々は、示し合わせることもなく自然と目を合わせて、互いに不安げに顔を歪ませた。



「はい。はい…………あー…」



 真剣味を帯びていた茂松の口から、間を置いて気の抜けた声が漏れ出す。


 スマホを耳に当てたまま気まずそうな顔をゆっくりと向けた彼から、豊島は逃げるようにテーブルに顔を突っ伏した。


 三人の悪い予感が的中した。



「申し訳ございませんが、システム概要に関しましてお電話口では詳細に説明できかねますので。今ちょうど開発リーダーがおりますから、修正にかかる時間を伺って参ります。少々お待ちいただけますか」



 丁寧に断りを入れて通話口を手で押さえながら、茂松が口調を戻して豊島の後頭部に問いかける。



「…明日で間に合うか?リーダー」


「…善処しまーす」



 力なく言いながら、顔を伏せたままひらひらと片手を振って豊島が答える。


 開発リーダーの宣誓を受けた茂松は、一つ息を吐いて席を立ちながら再びスマホを耳に当てた。



「お待たせいたしました。明日中に修正版を仕上げるとのことでしたので。再納品の期日に関しましてはそちらのご都合に――」



 話しながら身を翻して、茂松は個室の外へ出た。電話を続ける声が遠ざかっていくのを背中で聞きながら、豊島は顔を上げて自分の煙草に手を伸ばす。


 開発リーダーに開発に関わる確認を終えたら、その先の契約先とのやりとりを担うのは営業の仕事だ。そのために茂松は個室を離れて電話をしに行ったのだ。


 分別の利く彼の行動に尊敬すら覚えながら、豊島は煙草を咥えて火を点けた。


 ふと、ここまでのやりとりの間に置き去りにしていた存在を思い出し、彼は向かいの席に目を向ける。


 だが、彼女は目を向けられたことに気づくどころか、豊島より向こうの方ばかりを気にしていて、全く目を合わせる気配がない。


 咥え煙草のまま頬杖をつき、豊島は呆れ顔で彼女に言い放つ。



「……恋する乙女の目になってんぞ、菜々ちゃん」



 豊島の一言に我に返った菜々は、言葉にならない素っ頓狂な声を上げて、あからさまに動揺してみせた。

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