3/8 気兼ねなく本音を言える友に遠慮したせいで
茂松に片想いをした菜々と、菜々を好きになった野田。かつての三人は、まさに三角関係だった。
そして、豊島と茂松という二人の男を相手に、恋人として付き合うことを選んだ菜々。ベクトルは違えど、立派な三角関係だ。
「大丈夫だって。また三人でこれからも仲良く遊ぶための口実程度だし」
「だからって彼氏彼女の関係になるのはさすがに軽率すぎ。二人に変な意識持たせただけだよ」
「変な意識なんて、あの二人は持たないよ」
「そう言いきれる根拠は」
「茂松さんには一回断られてるし、豊島さんは今までただの相談相手だったし」
「そして二人ともずっと彼女がいないことをあんたは知ってた。それをただ自分にとって好都合ってとらえたあんたのやったことは、世間一般からすると何と言うでしょうか」
「…自分の彼氏にするために、彼女のいない二人の立場を利用した」
「あんたの哀れな事情を散々思い知らされてる二人は、あんたが軽率に口にしたことを素直に受け入れて彼氏になった。仕方なくね。変な意識を持たないはずの二人が、何故あんたの告白まがいの言葉を受け入れたのでしょうか」
「…今のあたしに、同情してるから」
「わかってんじゃないの…」
奈津美は本気で頭痛を感じ始めた。夜勤明けで少なからず疲労を抱える彼女にとって、この手の大事な議論をするには心身の負担が大きい。
ばつの悪そうな顔でろくに吸わなかった煙草を揉み消し、両手を膝に置いて縮こまる菜々。
本当に不良行為をした娘を責める母親のようだ。そんなことを思ったりもしたが、決して口にせず菜々は上目がちに奈津美の顔色を窺った。
その視線の先で、彼女は頭痛を紛らわそうと大きくため息をつく。
「…そこまで状況を理解して、自分のやってること自覚してて、なんでそんなこと言っちゃったの」
互いに確かめさせるためにその言葉を発した奈津美の声は、理解しがたい親友の行いを嘆いて震えた。
額を覆って顔を伏せたまま、奈津美は菜々の答えを黙って待つ。重苦しい沈黙の時間は、彼女にとってだけは菜々のどんな返答にも耐えられるだけの覚悟を整えるための時間稼ぎになってくれた。
菜々も返答に焦る自分を抑え、時間を掛けてその想いを口にする。
「……自信がないから、かな」
奈津美はゆっくりと顔を上げ、迷いを露わにする菜々の顔を正面から見据えた。
「自信、って?」
「誰かを好きになる、自信」
「そんなの…だって、好きなんだよね?好きになったんだよね?豊島さんのこと」
「…うん」
「なのに、昨日茂松さんとも会って話してるうちに、やっぱり茂松さんのこともまだ好きだって思うようになって、どっちが好きなのかわからなくなったってこと?」
「それも、あると思う」
「それも?」
「それもだけど……もう、何て言ったらいいか…」
言葉に言い表せないもどかしさに、菜々はとうとう下を向いて目を覆った。
そんな彼女を見かねて、たまらず奈津美はソファから腰を上げて菜々の横に座る。俯く彼女の肩に手を置き、諭すように口を開いた。
「落ち着いて、菜々。あんたが抱え切れてないこと、あたしがちゃんと聞いてるから」
「…うん。ごめんね…」
「また迷惑かけちゃって、はもう禁止。あたしに迷惑かけないように変に気を遣って言葉選んでたりしたら、それが一番迷惑だよ。馬鹿にしたり責めたりなんかしないから、言いたいことあるなら我慢しないで言いなさい」
「…ありがと…」
変わらず目を覆ったまま、それでも菜々は自身の迷いに固く結んでいた口元をほんの少し緩ませた。
それから何度か呼吸を置き、やがて落ち着きを取り戻した菜々は、顔を覆っていた両手を額へ持って行きながら、自身の胸の内に散乱した思考と感情を慎重に拾い集める。
そうして時間をかけてようやく形になった一つの答えを打ち明けるため、決意を込めた目でテーブルの一点を見つめながら、菜々はゆっくりと口を開いた。
「あたし、こうでもしないと本気で誰かを好きになれないんだって、わかったから」
長い時間をかけてまとめ上げてみせた菜々の言葉は、彼女の中で完結した答えに頼りすぎていて、奈津美は理解しかねた。
「こうでも、って?」
「三角関係になること」
「…だから、自分の意思でそういう関係を…作ったの?」
「そう。それでちゃんと、好きになれたから」
奈津美は、自分から菜々に宣言した言葉を激しく後悔した。
ちゃんと聞いてるから。彼女を裏切ってその言葉を反故にしてでも、その先を口にする菜々の考えに耳を塞ぎたくて仕方なかった。
だが、菜々は残酷にもしっかりと笑顔を湛えて、奈津美に向かって告げる。
「それでちゃんと……結婚できたから」
奈津美にとって、その笑顔と意思は菜々の自虐以外の何物でもなかった。
奈津美は、菜々の片思いの相談ばかりを受けてきたわけではない。両思いとなった相手との惚気話も、嫌と言うほど菜々から聞かされてきた。
普通の恋愛とは言い難い形で両思いになった、その相手と菜々の話を。
吹っ切れたように笑ってみせたつもりの菜々は、視線を奈津美から虚空へ逸らし、思いを馳せるように語り出す。
「最初はあいつのこと、本当に何とも思ってなかったし。ただの仲のいい先輩の一人ってだけ。でも、あれだけ未練が残ったカナちゃんさんのことが全然気にならなくなったくらい、すごく好きになれた」
気を遣うな、という奈津美の言葉に忠実に、菜々自身の言葉で彼女に言って聞かせる。
「逆に、普通に好きになったカナちゃんさんへの気持ちの方が、勘違いだったのかなって。そんな風に思わされたくらい」
「菜々…」
「今ではたぶん、豊島さんの方が好きだって思ってるけど、カナちゃんさんの時となんとなく感覚が似てる気がするの。だから、たぶん今のあたしの気持ちも勘違いなんだろうなーって」
「菜々……もういい…」
「二人がこういう関係になっても構わないと思ってくれてるなら、今度こそ二人のどっちかを本気で好きになれる。三人で恋人の関係になるなんてずるいやり方なのはわかってるし、最終的にどちらか一人につらい思いをさせるだけで終わることになるけど、こうでもしないとあたしちゃんと…」
「もういいから…………やめて」
肩に置かれたまま震える奈津美の手に我に返り、菜々は彼女へ視線を戻す。
気丈に話す菜々をじっと見つめたまま、奈津美は目から涙をこぼしていた。
「あんた…間違ってるよ。焦ってんだよ。自分の気持ち、素直に認めて…いいんだよ…」
「奈津美…」
責めたりしないと約束して抑えていた言葉が、目から溢れる想いと同様に抑えきれない。
菜々が本気で好きになれたと言っている相手は、別れた旦那である野田のことだ。
菜々は確かに野田を好きになった。奈津美は彼女が心からそんな気持ちを抱いたことをよく知っていた。
その結果、彼女がどうなったかも思い知らされた。
そして彼女が、そのことで愚かとも言える思考に陥ってしまったことに気づけなかった、自身の無力さを痛感させられた。
「なんでちゃんと言ってくれなかったの。こうなる前に、あたしが止められたかもしれないのに…」
「…ごめん。あたし馬鹿だから、一人で突っ走っちゃって……ごめんね」
「迷惑が禁止ならごめんも禁止!それくらいわかれ!」
いきなり怒声を浴びせられてこわばらせた菜々の体を、奈津美は力強く抱きすくめた。
戸惑う菜々の耳元で、奈津美は堪えきれない想いを絞り出すように呟く。
「……全部一人で抱えなくていいよ、菜々…」




