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2/8 仮想の彼氏と親代わりの親友





            *   *   *




(……やっぱり、脈ナシなのかな)



 パソコンのモニタを見つめながら、菜々は頬杖をついて物思いに耽っていた。


 夜勤シフトを控える日曜日はいつも、菜々は昼過ぎまで寝ていた。だが、深夜に見た嫌な夢のせいか彼女の眠りは浅く、自然と午前中に目が覚めてしまった。


 仕方なく菜々はいつもの日課で、パソコンの前に座っていた。


 普段はネット動画を見たり、ケイナを中心としたアニソンの音楽鑑賞を趣味としている彼女だが、何となくこの時は別のことに興じていた。


 モニタの一角に表示されている文字をひたすら目で追う。そして少し逡巡して、キーボードを叩く。打ち込んだ文章に返される反応を見て、また逡巡する。


 それの繰り返しに目か頭が疲れてきたら、出勤の支度をする時間までもう一眠りしよう。そう決め込んだ菜々が打ち込む文章を考えていると、玄関のチャイムが鳴った。



「菜々ー。起きてるー?」



 ドア越しの声で、菜々は訪問者が奈津美であることにすぐに気がついた。


 即座にパソコンの前を離れ、「起きてるよー」と声を発しながら玄関のドアを開ける。


 高確率でまだ菜々が寝ていると思っていた奈津美は、彼女の素早い出迎えに軽く驚きの顔を見せた。が、すぐににこやかに表情を変え、コンビニの袋を掲げる。



「起きてたか、珍しい。来週出るデザートの試食品持ってきたから、店からまっすぐ来ちゃった」


「ああ、例の無理があるカボチャスイーツね」



 奈津美からそれを受け取った菜々は、苦笑いをしながら中を覗き込む。



「意外とおいしかったよ。値段に合う味かは別として」


「ハロウィンシーズンだからって、なんでもかんでもカボチャ入れたらいいって発想はどうなんだろうね」


「この際、売れる商品出してくれたら何だっていいよ」


「てか、わざわざうちまで持ってこなくたって、今日はちゃんと仕事行くつもりだったから店の保冷庫にしまっててもらってよかったのに」


「わざわざあんたの家に行く口実として持ってきたの。察しなさい」


「寝てたらどうするつもりだったのよ」


「書き置き入れてドアノブにかけとくつもりでした」


「…傷まない?」


「…鮮度、短いからね。まあ、時期的に最近冷えてきたし、あんたの腹なら平気平気」



 起きててよかった。菜々が心底それを痛感しているのをよそに、奈津美は断りもなく彼女の家に上がり込む。


 気の置ける間柄である親友のいつもの行動を見送りながら、菜々は届けてもらったデザートをリビングのテーブルの上に置いた。


 そのテーブルの前のソファに腰を下ろした奈津美に何か飲み物でも用意しようと、菜々はキッチンへ向かおうとした。が、ふと何かを思い出して方向を変え、少し急いでパソコンの前に向かう。



「珍しく早く起きたりして、何やってたの?」


「軽くチャット」


「ああ、例のネット彼氏?」


「まあね」



 突然の奈津美の訪問で、菜々とその『ネット彼氏』の対話は向こうから送られてきたメッセージで途絶えていた。


 最後に菜々が見た相手のメッセージの下に『落ちたか?』と反応のない彼女を案じるメッセージが足されている。寝落ちとも回線落ちともとれる文面を確認して、菜々は来客のため対話を中断したい旨のメッセージを手早く打ち込み、送信して画面を閉じた。



「お楽しみのところ、邪魔してごめんね」


「別に気にしなくていいって」


「でもあんたもよく飽きないね。まだその人と続いてたんだ」


「面白いもん、話してて」


「ふーん」



 本当に楽しげな様子で、彼とのやりとりについて語る菜々の姿を目で追いかける奈津美。キッチンからペットボトルのお茶とコップを二つ持ってきて対面に座るまで、彼女はその表情を物言いたげな目でじっと観察していた。



「…なに?」



 見つめられていたことに気づいて、菜々はきょとんとした顔で奈津美を見返す。



「…知ってる人なの?」


「誰が?」


「そのネット彼氏」


「まさか。ネットで知り合っただけだし、顔も知らないよ。彼氏って言っても、交流してる期間が結構長いだけで、あたしが勝手にそう呼んでるだけ。彼氏にしていいか相手に許可なんてもらったこともないし」


「そうなの?てっきりお互い彼氏彼女の認識でネット交際してるんだと思ってた」


「そもそも中身が本当に男だって保証はないし」


「…怖いね、ネットって」



 感じたままをぼやいてお茶に口をつける奈津美の向かいで、菜々はおもむろに煙草を取り出して火を点けた。


 それを見て自分側の近くに置かれていた灰皿を彼女の前に寄こし、傍らのレジ袋を目で示しながら奈津美が口を開く。



「先食べたら?これ」


「後で食べる。昼ご飯代わりに」


「相変わらず不摂生なこと言うね。せめて煙草減らしなよ。体壊すよ」


「不良娘でごめんね、お母さん」



 先端に煙を乗せた煙草を片手に、菜々は自嘲気味に笑う。お母さん呼ばわりされたことに何か言い返そうとしたが、呆れたように笑い返すだけに留めて、奈津美は母親のように口うるさく言い聞かせることをやめた。


 この場限りの母親役を担ったついでに、奈津美は世の母親が娘に尋ねそうなことを口にする。



「ネットの彼氏もいいけど、現実の彼氏の話はどうなってるの?昨日で何か進展はあった?」



 豊島と茂松と三人でカラオケをしてきた旨の報告メールを受けていた奈津美の問いかけに、菜々は答えを躊躇うように目を伏せる。


 その彼女の反応を見て、奈津美は嫌な予感を感じた。


 まさか、フラれた?真っ先に浮かんできたその不安に、思わず顔をこわばらせる。


 一方的に離婚させられたばかりだというのに、その傷も癒えないまま別の男から交際を断られたとしたら。


 心の弱い菜々を案じ、奈津美は真剣な眼差しで彼女の口元を見つめた。逸らした視線の外の奈津美の緊張ぶりにに気づくことはなく、菜々は口にする言葉に迷いながら彼女に打ち明ける。



「こう言っていいか、わかんないけどさ。…付き合うことには、なったよ」



 真逆の言葉が出ないことを祈っていた奈津美は、躊躇いがちに出た菜々の告白にぱっと表情を明るくする。



「豊島さんオッケーしてくれたんだ?よかったじゃん菜々!」


「カナ…茂松さんもだけどね」



 奈津美に茂松のことを相談するときは、普段の「カナちゃんさん」ではなく「茂松さん」と呼んでいた。それが時々混同して、カナちゃんさんとつい口にしてしまうことを奈津美は知っていた。


 一瞬だけ菜々が言いよどんだ理由は知っていたから、奈津美は何も気にならなかった。


 だが、気になったのはそこではない。



「…………茂松さんも、オッケーした?」


「…うん」


「どういうこと?」


「…二人の彼女になったの、あたし」



 開いた口が塞がらない。まさにそれを体現する奈津美の正面で、菜々は困ったように笑って見せた。



「何、どういう意味?二人からいっぺんに告白されたの?」


「ううん。あたしが二人の彼女になるって言っちゃった」


「あんた……馬鹿じゃないの」



 思わず奈津美は頭を抱えてうなだれる。


 最初は、茂松のことが好きだった。好きになったばかりのところへ、別の男から告白された。茂松に告白してフラれ、告白してきた男と付き合うことになった。やがて告白してきた男を真剣に好きになり、結婚して茂松への想いを完全に諦めた。


 菜々はその一部始終を全て、豊島だけでなく親友の奈津美にも打ち明けていた。


 そして奈津美に対しては、いつからか豊島のことが好きになったことも告げていた。


 彼女が経験してきたことを踏まえ、奈津美は豊島と菜々が恋人になることを期待して、彼女の相談に乗っていたつもりだった。


 その菜々の願望がついに叶った。彼女の相談を受けていた奈津美としては、待ちに待ったその報告を心から素直に喜びたかった。


 余計な事実を付け足されるまでは。



「あんた、本当にわかってる?今の自分の状況」



 静かに問いかける奈津美の言葉の意図は察していたが、菜々はその答えを口にすることが出来ず黙り込む。


 対する奈津美も、菜々が口を閉ざす理由を察していた。


 それでも彼女は改めてこの状況を理解させたい一心で、言いあぐねる菜々の答えを代弁する。



「……また、三角関係ってことだよ」



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