6/8 手っ取り早く魔法使いを卒業するなら
やがて三人は思い思いにケイナの歌を歌い、合間に談笑を交わして過ごした。
涙が出てくるほど笑いすぎたのか、しきりに目尻を擦っていた菜々は、化粧を直してくると言ってトイレに向かった。
残った二人は、彼女の後ろ姿を見送りながら思わず脱力する。
気を遣うなと言われても、土台無理な話だ。以前と同様に接しているとはいえ、少なからず神経を使わずにはいられない。
一つ息を吐いてその疲れを逃がし、豊島がおもむろに口を開く。
「シゲ。あの歌だけは絶対入れるなよ」
「あの歌?」
「お前がいつも菜々ちゃんに歌わせてた歌だよ」
「……ああ、キミつた?」
曲名を口にしてもなお合点のいかない様子の茂松に、豊島が思わずうなだれる。
「なんだよ、入れるなって。こないだなっちゃんがそれ歌って泣いたからか?」
「……そうだよ」
事細かに理由を教えることはできたが、疲れていた豊島は一言で済ませた。
この様子だと、茂松はキミつたの都市伝説を知らないようだ。自称ケイナ信者の彼なら、歌にまつわる話くらい網羅していそうなものだと豊島は思っていたが、そうでもないらしい。
少なくとも、菜々は茂松に話していないのだろう。
菜々にとって特別な歌であることを、茂松は知らない。彼女のヒトカラの履歴にその歌がなかったことにも、おそらく彼は気づいていない。
(勘の鋭いシゲなら、どっかで気づくと思うんだけどな…)
らしくない鈍さを露呈する茂松を横目で窺いながら、豊島は心の中でほくそ笑んだ。
「やっぱさ、強いよなっちゃんは。あんなに楽しそうにしてさ」
「だな。いきなり三人でカラオケなんて不安しかなかったけど、あの頃と全然変わらないし。むしろ菜々ちゃん、前よりも明るくなった気がしないか」
「確かにそうだけどさ。…お前、それ本気で言ってる?」
「本気に決まってんだろ」
ふっ、と茂松の口から思わず笑いが漏れる。当然のことを口にしたつもりの豊島は、彼のその反応を訝しむ。
「裕太。お前、Lizに言われたばっかだろ。男の鈍さは女を傷つけるって」
「なんだよ」
「なっちゃんが本当にあの頃のまんま楽しんでると思ってたら、そのうちお前も地雷踏むぞ?」
遠回しな茂松の言い方に、さすがの豊島も気づかされる。
自分たちがこれだけ気を遣って彼女に接しているのだ。
菜々が、何も気を遣っていないはずがない。強がって、努めて明るく振る舞うようにしている。
それだけは念頭に置いておけ。茂松はそう言いたいのだ。
(やっぱ、鋭い奴だよ…)
改めて実感する豊島を眺めながら、Lizの名を口にしたついでに思い出した茂松が、その目にからかいの色を浮かべる。
「もっと慎重にならないと駄目って事だぞ、魔法使い」
「お前だって魔法使いだろうが」
「お前とはレベルが違うんだよ」
「魔法使いにレベルの違いなんてあるか!」
「…ゲームの話ですか?」
くだらない底辺同士の言い争いに割り込んだのは、トイレから戻ってきた菜々の声だった。
思わず固まるその二人の向かいの席へ、不思議そうな顔で戻る菜々。
「それとも魔法ものアニメの話?魔法使いがどうのって…」
「菜々ちゃん。魔法少女アニメはいいよ。俺、菜々ちゃんに是非ともおすすめしておきたい魔法少女アニメがあるんだ」
「出たー。豊島さんおすすめのロリアニメですね」
「ロリばかり出てくるアニメだって勝手に決めつけないでくれる?」
「ロリキャラのいない魔法少女アニメなんですか?」
「いや、いるんだけどさ…」
絶妙に話を逸らすことに成功した豊島の苦労も虚しく、横で二人のやりとりに笑いを堪えていた茂松が、台無しな一言を口にする。
「違う違う。裕太が魔法使いだって話」
咄嗟に豊島が茂松の頭をグーで殴る。
アニメやゲームに理解が深く、卒業したと自負しているとはいえ腐女子だった菜々が、そのネットスラングの意味を理解している可能性は大いにある。
言葉通りに解釈して、何をファンタジーなことを言っているのだろうかと疑問に思ってくれないだろうか。それとも、この歳にもなって未だ童貞であるということが、10歳下のバツイチの元後輩に知られてしまうのだろうか。
願わくば前者であって欲しい。切実な思いで、豊島は菜々の反応を待った。
「えーっ!?豊島さん魔法使いなんですか!?」
…明らかに、後者の反応だった。
「言っとくがシゲもだからな!」
「ちょっ!巻き添えにすんなし!」
「てめえ、うまくごまかせたと思ったのにわざわざバラしやがって!」
「だからって殴るこたないだろ!開き直って魔法使いだって堂々と言えるようになっただろうが!」
「開き直れるか!」
もみ合いになる勢いで言い争う二人のやりとりと、豊島のみならず茂松までもが魔法使いだった事実のあまりのおかしさに耐えきれず、菜々はソファに突っ伏して爆笑した。
直した化粧がすぐに台無しになったことは、言うまでもない。
「もー。二人ともいい歳なんですから、いい加減誰かいい人見つけないと駄目ですよ」
もはや化粧を直すことなど諦めた菜々が、呆れたように言う。
過剰なほど経験豊富な年下の説教に、二人の魔法使いは身内やら周囲から散々言い聞かされて聞き飽きたその言葉に、すっかりしょげかえる。
「あんま親みたいなこと言わないでよ、なっちゃん…」
「こういうのを飽きるほど言い聞かせられてきた原因はわかってますか?」
「…俺らが悪かったです」
「よろしい」
すっかり落ち込んでしまった彼らを満足そうに見据えながらも、菜々は同情を寄せるように溜め息をついてみせた。
「なんで彼女できないんですかね、二人とも。一緒にいてこんなに面白いのに」
「面白いだけで彼女できたら苦労しないっすわ…」
思わず本音を漏らす豊島に、菜々は「確かに」と答えて笑い飛ばす。
もはや完全に開き直った様子の茂松が、胸を反らせてソファの背もたれに背中を沈めながら呟いた。
「そもそも出会いがねーんだよな。社内は野郎ばっかだし、数少ない女子社員もほとんど結婚してるし」
「職場から視点を離さないと出会えないですよ」
「つっても、仕事関係以外で人と会う事なんてないし」
「休日のアニメとゲームを我慢すれば、いくらでも機会は作れます」
「それは…無理だな」
あっさりと宣言してみせた茂松に、菜々は呆れ返ってまた溜め息をつく。
口は挟まなかったが、茂松の本音に豊島も密かに同意していた。
自分たちの趣味に傾倒することを生き甲斐としていた彼らにとって、感覚すらよくわからない恋愛事に興じるのは抵抗があった。趣味は簡単に共有できこそすれ、恋愛は特定の一人と自分の感情を常に気にしなければならない。彼らにそんな器量はなかった。
仕方ない、と膝を叩いた菜々は、とっておきの思いつきを彼らに向ける。
「あたしが二人の彼女になってあげましょうか」
ガタガタッ、と思い切り物音を立てて、二人はその言葉に動揺を露わにした。




