4/8 彼女のために出来ること
* * *
「……ひでー話だな」
「だろ?やっぱお前も誘わなかったのは正解だったと思うけど、俺一人であいつと喋っててブチ切れた時だけは、お前がいて止めに入ってくれたらって思ったよ」
「よく野田を殴らなかったな」
「代わりにフェンスぶん殴ったおかげで、アザできたけどな」
「そこで堪えきれずに野田を殴ってたら、まんま昼ドラだ」
茶化すような豊島の例えに、茂松はがっくりとうなだれる。
「昼ドラってお前な…。俺がどんな思いしてあいつから話聞き出したと思ってんだよ。お前のネトゲ住民相手とは訳が違うんだぞ?」
「わかってるよ」
言葉通りわかった気でいるのか、そうでないのか。茂松からは読み取れない淡泊な返答をして、豊島はロックの梅酒を煽る。
そしてグラスが置かれると、彼の説教の時間が始まった。
「なんで菜々ちゃんの店に野田がいたことに気づいてて、俺に言わなかったんだ」
「そりゃ、言うほどたいしたことじゃないと思って…」
「違うな。最初からお前は自分一人で解決するつもりでいた。何故野田がいたのか、菜々ちゃんが俺らのところに来なかったことと結びつけて自己完結して、自分だけ納得するために勝手に野田と話をつけた」
「だから、黙ってたことはさっき謝っただろ」
「…シゲ。お前、変な責任感じてたりしないか?野田に言われたことで、それが余計重くなったと思ってないか?」
豊島の責め立てに、茂松は思わず軽く身を引いてたじろぐ。
今日の豊島は妙に鋭すぎる。勘の鈍さだけは他に引けをとらない男だと茂松は思っていたが、ついさっき彼が話していたLizに、想像以上の影響を受けたのだろうか。
豊島が嗜むネトゲは、操作するプレイヤーでさえ経験値を得られる仕様で、実際に能力強化ができてしまうのだろうか。そんなくだらない発想に行き着いてしまうほど、茂松は困惑していた。
責任、と豊島が口にした言葉に、思い当たる節が大いにあった茂松は、苦々しい顔をしながら観念して答えた。
「……俺がなっちゃんをフッたことで、こういう状況になった責任、って言いたいんだろ」
茂松の口から直接それを言葉にして事実を認めたのは、初めてだった。
菜々や野田から伝え聞いていただけの豊島は、彼が吐露した事実を改めて噛み締める。
「お前が菜々ちゃんの想いを受け入れなかったからって、こういう状況になった全ての責任がお前にかかる訳じゃない。野田はお前だけを責める口ぶりだったみたいだが、間違っているのはあいつだ」
「わかってるよ。わかってる……つもりだ」
「ちゃんとわかるまで、俺がわからせてやる」
「裕太…」
「お前だけが悪い訳じゃない。野田は菜々ちゃんを裏切ったこと。俺は菜々ちゃんを泣かせたこと。シゲは、菜々ちゃんをフッたこと」
「…男は全員、責任を感じて然るべき、ってことか」
「菜々ちゃんだって、誰が一番自分に相応しいかを示してくれていない。恋愛下手の俺らに好意があるようなフリをちらつかせるだけで、本当に好きな人が誰なのか教えてくれない」
「連帯責任は、つるんでた四人全員でとらなきゃならない…ってことなんだな」
自分達に好都合な解釈ばかり並べる豊島の発言があまりにもおかしくて、二人は自虐的に笑い合った。
気が済むまでそうして笑い続け、やがて茂松の方が場の空気を切り替えるかのように大きく息を吐き、表情を引き締めながら切り出す。
「問題は、野田が最後に言った言葉だな…」
「…ああ」
豊島も口元を抑え、それについて深く思案を始める。
『――菜々は今、茂松さんでも豊島さんでもない、別の誰かの支えを求めてるはずなんで』
野田の言う、別の誰か、とは。
かつて想いを寄せていた茂松ではない。本人に想いを仄めかした豊島も違う。もちろん、野田は論外だ。
「…俺らの知らない他の誰かのことを、菜々ちゃんは好きになっている…」
「そういう…ことだよな」
それは充分にあり得ることだった。むしろ、疎遠になっていた茂松や豊島に気持ちを寄せる方が、よほど可能性が低いことだと彼らは思った。
人物を特定したところで彼らには何の得もなかったが、もう一つの疑問が二人の間に生じる。
何故そのことを野田が知っていて、茂松に言いきってみせたのか。その疑問を前提に逡巡を始めた豊島が、ふと菜々の言葉を思い出す。
『まあ、あたしもずっと浮気してたようなもんだし』
それは、菜々が豊島に離婚したことを明かした夜に聞いた台詞だった。
その時の豊島は、茂松に対する想いを断ち切れていない彼女が、今でも彼に片思いを続けている意思表示だと思い込んでいた。
結婚してなお、野田より茂松が好きだった。それが浮気であるという意味だと、豊島は思っていた。
だがそれは見当違いだった。野田の言葉がそれを証明したとすれば、言葉通り『別の誰か』と浮気をしていた、という意味に変わる。
「浮気、なのか…?」
「あ?」
豊島が漏らしたただならぬ一言に、茂松が怪訝そうに聞き返す。
「菜々ちゃんも、実際に浮気してた。それを野田が何らかの段階で気づいた。この際どっちの浮気が先だったかなんて知らないけど、だとすれば野田から離婚を切り出した理由にもある程度納得がいくし、シゲに対して言ったことにも辻褄が合う」
「仮にそうだとして、離婚したなっちゃんが相談相手にわざわざ裕太を選んだりするか?普通、素直に浮気相手と仲睦まじく付き合い続けるだろ。野田みたいに」
「あ……そっか」
盲点を突かれた豊島が、気の抜けた顔で視線を落とす。
勘の鋭さを見せつけた彼の無敵時間も、さすがに限界か。茂松はそんなことを考えながらほくそ笑む。
かたや思うように勘を働かせられない豊島が、腑に落ちない様子で口を開く。
「でも、実際に菜々ちゃんも言ってたんだよ。ずっと浮気してたようなもんだって」
「そういえば、そんなこと言ったんだっけ」
「俺はずっとシゲのことを言ってるんだと思ってあまり気にしてなかったけど、何らかの形で菜々ちゃんが本当に浮気してたんなら、野田の言う『別の誰か』が、その浮気相手なんじゃないかと思って」
「…有り得るな」
「だろ?」
お互いに合点がいったことを目線で確かめ合いながら、茂松が行き着いた結論をぽつりと口にする。
「俺ら、なっちゃんの彼氏候補じゃなくね?」
さすがに早計すぎると豊島は咎めようとした。
だが、そうであって欲しいとも思っていた彼は、その答えに同意したいとも同時に思った。
「野田の言ったことを鵜呑みにして考えるのもどうかと思うけどな。あいつがカマを掛けて言った言葉だったとしたら、菜々ちゃんにあらぬ誤解をしたことに…」
「考えすぎだろ。それになっちゃんの友達も言ってたじゃん。誰かを好きになる余裕なんてない、って」
「そっか…。菜々ちゃんに他に好きな人がいるのを知った上でそれを言ったなら、納得いくけど」
「だろ?それになっちゃんが裕太に言ったことにも説明がつく」
「俺に?」
「お前を好きになったら駄目だって」
バラバラの時系列の出来事をすらすらと口に出す茂松の頭の回転に感心しながらも、豊島は彼の一言ではっとなった。
豊島を好きになっては駄目。それは自分からその想いを口にしてはいけないという意味だと、Lizが言っていたことを豊島は信じ切っていた。
豊島のことが好きだ、という前提で。
だが、菜々の好きな人は別にいる。断定するべきではないとは思うが。そう仮定して彼女の発言を考えると、好きな人がいるのに一時的な感情で豊島に気持ちが揺らいでしまってはいけない、そういう意味だったと言える。
確かに、その方が説得力がある。
「…やっと、わかってきたな」
椅子の背もたれに全身を預け、今まで溜め込んできた重荷を全て吐き出すように、茂松が大きく息を吐く。
話し合いは実に有意義であった。誰かの想いを明らかにするための相談事など、簡単に終わるはずがないと最初は思っていた。
だが、互いにそのヒントを持ち合えたことによって、難解な迷路の出口のルート候補までは導き出せた、と豊島は感じた。
「俺ら程度が出した推論で、事が簡単に進んでくれたらいいけどな」
慎重さを強調するように呟いて、豊島は煙草に火を点けた。
ライターを持つ手と反対の手でスマホの画面を開く。時間は夜の9時に差し掛かる頃だった。
もっと長いことこの場で議論し合っていたような気もするが、そんなに遅くまでかからなかったな、と豊島は意外に感じた。
(気分も晴れたし今からカラオケ行くか!とか言い出すな)
次に出てくる茂松の言葉を予想し、豊島はテーブルの隅にライターを置こうとした。
「よしっ。すっきりしたことだし、今からなっちゃん誘ってカラオケ行くか!」
予想はほぼ的中していたが、予想外に付け足された一言で手を滑らせ、豊島のライターが床に落ちる。
思わずそれを拾うことすら忘れ、無邪気に笑ってみせる茂松の顔を凝視する。
「おまっ、切り替え早すぎんだろ!」
「だって友達の子も言ってたじゃん。なっちゃんとまた遊んでくれって」
「そうだけど、いくらなんでも今からじゃ…」
「いいからなっちゃんにメールしてみろって。今日休みなんだろ?」
珍しく真剣でおとなしい状態が続いて忘れかけていたが、茂松は実に傍若無人な男だった。
そんな彼にいつも付き合わされる豊島は、仕方なくスマホを開いてメール画面を立ち上げる。
『おつかれ。今なにしてる?』
端的な文章を打ち込み、送信する。
土曜日が休みであることは把握しているが、夜9時を回ってからの誘いなんて、たまたま近くにでもいない限り断るだろう。豊島はそう高を括って返事を待った。
程なくして豊島のスマホが鳴動した。何の気なしに画面を開いた豊島の目に、驚きの色が浮かぶ。
「なんて返ってきた?」
興味津々に顔を近づけてきた茂松に、スマホの画面を向ける豊島。
表示されていたのは、菜々の自撮り画像だった。何か飲み物が入ったグラスを片手に、カメラ目線で笑顔を湛えている。
そんな彼女の姿が画像の半分を占め、もう半分には何かの映像を映したモニタと、テーブルの上のマイクと送信機。
二人は間の抜けた顔を見合わせた。
「…『ヒトカラ中でーす』だって」
「…すぐそこじゃん」
彼女は、近くにいた。




