3/8 渦中の男自身が明かす想い
「色々抱えすぎだよ、なっちゃんは。野田のことだって、まだ心の整理がついてないだろうに」
「だからじゃないか?次のパートナーさえ見つければ、野田のことなんて気にならなくなると思ってる、とか」
豊島の言葉に、茂松は意外そうに目を丸くした。
「…お前にしては勘が鋭いな。ネトゲの相棒の影響か?」
「うるせーよ。勘の良さは、シゲにはかなわない」
そう自分を卑下して、豊島も煙草に口をつける。
互いに相手の顔にかけないよう煙を吐き出しながら、二人は少し沈黙を置いた。
茂松の方は、今日の出来事を報告するべきか迷っていた。豊島の方は、自身の考えを言葉にまとめる時間を必要としていた。
先に切り出したのは、意を決した茂松だった。
「今日、野田に話聞いてきた」
「はあ?」
思わず素っ頓狂な声を上げる豊島。今まで考えていたことが、不意のその一言で全て吹っ飛ぶ。
「なんだよそれ。野暮用って、野田に会うつもりだったのか?」
「あん時は実際に会うかまだ決めてなかったけどさ。お前と色々考える前に、野田にちゃんと聞いておきたいことがありすぎて……お前に黙ってたことは謝るよ」
「まあ…謝らなくてもいいけどさ。ちゃんと話せたのか?」
動揺を抑え、落ち着き払ったトーンで豊島が尋ねる。
決意を固めて切り出したはずの茂松は、なおも迷いを見せながら言葉を濁らせて返した。
「なんつーかさ…あいつ、女連れてた」
「シゲに呼び出されたのに?どういう神経してんだよ…」
「ああ。俺も何考えてやがんだって思ったわ。最初は駐車場で話済ませるつもりだったけど、さすがに話しにくいから会社の屋上行ったんだよ」
* * *
「…確かに、行ったっすよ。たまたま駐車場に社用車見つけて、近くに茂松さんたちがいるの見て、気になって」
野田は屋上の外周に巡らされたフェンスに上半身を預けながら、遠くの景色を眺めて言う。
かつて自分がいた会社の屋上からの景色を懐かしむ彼を、傍らでフェンスに背中を預けながら座り込んでいる茂松が横目で窺いながら聞いていた。
茂松と豊島が菜々の店に立ち寄った時、確かに野田も来ていた。思いの外あっさりと白状した野田の言葉で、茂松の疑問が一つ解消される。
問題は、その時の野田の行動だ。
「なんで俺らに声掛けなかったんだよ。先になっちゃんに会いに行ってたのか」
「…菜々とは、会ってないです」
口ごもりながら言う野田に、茂松は苛立ちを覚える。
付き合うようになってから、呼び捨てで彼女を呼ぶようになった彼の口から出るその言葉にさえ、嫌悪感を抱く。
「なっちゃんはそろそろ休憩に入るからって、俺らと一緒に煙草休憩するつもりだったんだ。だけどあの子は俺らのところには来なかった。急に顔を合わせられなくなった理由があるんじゃないかと思ったんだがな」
含みのある言葉で茂松に責め立てられ、野田はばつの悪そうな顔をしてみせる。
「…煙草買いに行かせたんです。さっきの彼女に」
さっきの、とは、野田の車の助手席にいた、あの愛想のない女だ。
おそらくは、菜々と籍を同じくしていた頃から交際を続けている、野田の浮気相手。
最初から茂松もそれくらいの予想はついていたが、当事者が改めて明かしたその事実に嫌悪する。
「その彼女に気づいたなっちゃんは、お前と顔を合わせないように隠れていた…ってことか」
「なんか、すみません。茂松さん達の邪魔しちゃったみたいで」
申し訳なさそうに顔をこちらに向ける野田と、目を合わせる気にもならなかった。
(邪魔するつもりで来たんだろうが)
そう彼に毒づく言葉は、あえて口にしないことにした。
茂松が不機嫌そうに煙草をふかす姿に、野田は返す言葉を探しながら視線を遠くの景色へ戻す。そんな野田が返してくる言葉を、茂松は黙って待つつもりでいた。
秋晴れの午後の空の下で、二人はしばらく沈黙した。茂松がその長さにしびれを切らしかけていると、野田が静かに口を開いた。
「離婚の話は、菜々から聞いてますか?」
「…ああ。直接聞いたのは裕太だけどな」
「豊島さん、ですか。今でも菜々の相談に乗ってくれてるんすね」
感慨深そうに呟いて、野田は改まって茂松に向き直る。
「一つ、聞いていいっすか?茂松さん」
「…なんだよ」
「茂松さんは、菜々と付き合う気はありませんか?」
「…………は?」
予想外すぎる野田の言葉に、ぽかんと口を開けたまま茂松は彼を見上げた。
「茂松さんが菜々と付き合うことに抵抗があるなら、豊島さんでもいい。菜々は、二人によく懐いてましたから」
「なんだよ、その言い方…」
「結婚までしましたけど、あいつに相応しい男は俺じゃなかった。俺はもうあいつの傍にいてやれないから、恋人でも、気の置ける仲間でも、俺の代わりを早く見つけてもらいたいんです」
「…ふざけんなよ…」
「菜々はいい子ですよ。茂松さんたちだって、それをよく知ってるでしょう?でも、どんなに強がってうまく他人をごまかしていても、菜々は精神的に強くはない。茂松さんや豊島さんなら、あいつの支えに…」
「ふざけんじゃねえ!」
ガン、と鈍い音を立てて、茂松は後ろ手にフェンスを思い切り殴りつけた。
沸き上がる憤りに任せて立ち上がり、茂松は戸惑いを露わにする野田の胸ぐらを掴む。
「てめえ、自分の立場知ってて言ってんのか!散々あの子を傷つけた自分を棚に上げて、俺らになっちゃんのこと丸投げするつもりかよ!」
声を荒げて詰め寄る茂松におののきを見せるが、それでも野田は強い意思を湛えた目で、茂松を睨み返して言い放った。
「…丸投げなんかしませんよ。俺だって、自分なりに菜々のことを心配してるし、あいつにしてやれることをずっと考えてるんです」
「どの口でそんなこと言えるんだ。今更そんな同情されても、なっちゃんにとって迷惑なだけだ」
「何もかも手遅れなのはわかってます。でも……一度好きになったものは、簡単に忘れたりできませんよ」
「なっちゃんは忘れたがってる。未練がましいこと言って、あの子をこれ以上困らせるな」
「わかってます…」
「わかってるわけねーだろ!本当になっちゃんのためを思うなら、お前が黙ってこのままあの子から逃げてればそれで済む話だろうが!」
「逃げたじゃないですか!茂松さんだって!」
語気を強めた野田の二言目で、茂松は言葉を詰まらせた。その動揺は、野田の胸ぐらを掴む手の力を思わず緩める。
即座に茂松の手を振り払い、野田は彼を正面から見据えて静かに切り出す。
「…菜々はそもそも、俺のことなんか少しも好きだと思ってなかった。茂松さんのことが……俺よりも茂松さんの方が好きだって、何十回も何百回もあいつの口から聞かされてきた俺の気持ちなんて、茂松さんにはどうでもいいことなんでしょうけど…」
「お前…」
「直接気持ちを確かめさせて、いい返事をもらえなかったら俺と付き合う。卑怯な真似でしたけど、それでも菜々と付き合えることになって、俺は……本当に嬉しかった…」
その後に続けようとした言葉を唇を噛んで堪え、野田は悔しげに茂松から顔を背けた。
野田はずっと、茂松を羨んでいたのだ。
菜々の寄せる好意の目を、一点に受け続けていた彼を。
「…確かに俺は、誰から攻められても文句は言えない立場です。でも俺は、菜々の告白をあっさり断った茂松さんのこと、ずっと許せなかったんすよ」
「……」
「あの時もし、茂松さんが菜々と付き合ってくれていたら、俺一人が失恋して傷つくだけであっさり済んだ。そうは思いませんか?」
「……」
「俺らが、みんなが、こうして悩んだりせずに済んだって、思わないですか?」
「……言いたいことは、それだけだな」
「え…?」
「話は終わりだ。俺も聞きたいことはだいたい聞けた」
「茂松さん…」
「お前とは話にならないことがよくわかった。彼女待たせてんだろ。先に帰れ」
もうたくさんだ。そこまで口にせずとも、再び座り込んで煙草を吸い始める茂松を見て、野田は仕方なく彼の命令に従うことにした。
気まずいその場を離れようとして足を止め、野田は茂松を振り返って頭を下げる。
「色々と…失礼なことばかり言って、すみませんでした」
「俺に謝ろうが何しようが、俺はお前の望み通りにはならないからな。裕太も、なっちゃんもだ」
野田に伝えておくべきことだけをぶっきらぼうに言い放ち、茂松は煙を吐く。
自分の不徳を悔いながらも、野田も茂松に伝えておこうと思っていたことを残し、静かにその場を去った。
それを聞いた茂松は、立ち去る野田を引き止めてでも聞き返すべきだったかと後で後悔した。
案の定、その言葉は茂松の頭の中に大きな疑問を植え付ける。
「たぶんあいつは――菜々は今、茂松さんでも豊島さんでもない、別の誰かの支えを求めてるはずなんで…安心してください」




