5/8 楽しさを求めたがること
軽く心臓が跳ねる感覚を覚えながら、豊島はメールを開く。
『起きてますー?』
内容はそれだけだった。
時刻はそろそろ日付を跨ぐ頃だ。スマホの隅に表示されたそれを一瞥して、豊島は『起きてるよ』とだけ返す。
返信してから豊島は思い出した。日曜の夜は夜勤シフトだと、昨夜彼女が言っていたではないかと。
今まさにゲーム内で対話をしているLizと同様、菜々もサボりだろうか。そんな憶測に応える一文を添えて、菜々の返事が来た。
『いま休憩中なんです。それより昨日は迷惑かけてすみませんでした』
どうやら仕事には行ったらしい。かたや二日酔いでサボったと抜かす誰かに、彼女を見習うよう言って聞かせてやりたくなった。
『そんなことないよ。久しぶりに菜々ちゃんに会えたし、すげー楽しかったし』
そう返す文章に、豊島は何も偽りを込めていない。
久々に会えることを単純に楽しみにしていたし、彼女との飲み会もカラオケも本当に楽しかった。彼女もそう思っていてくれたらと、豊島は素直にそう期待している。
休憩中であまり長くメールのやりとりができないであろう菜々から、即座に返信が来た。
『それ聞いて安心しました。あたしもすごく楽しかったです。また今度一緒に遊びましょうね』
また今度。一緒に。
菜々から送られてきた言葉を頭の中で繰り返し、それに返事を返すか一瞬迷って、豊島はそのままキーボードの横にスマホを置いた。
(利用なんかじゃない、だろうけど…)
豊島の中で複雑に絡み合う思いの、一つの鍵となったその言葉を浮かべて、再び思いを巡らせる。
また遊びたいと言ってきた菜々の言葉は、ただの社交辞令と受け取って、次の約束を実際に考えないでいることも、豊島には出来た。
だが、菜々の言葉は確実に、また豊島と会いたがっている意思を含ませていることが窺える。
誰かと過ごしたい彼女の想いが、豊島でさえ感じ取れる。
(……考えすぎだよな)
夜が更けてから何度目になるかわからない自嘲を漏らし、再びパソコンに目を戻す。
モニタの中で豊島が操っていた少女は、手を離していた彼に忠実にその場で立ち尽くしていた。そのキャラの周りをエルフの青年が、おちょくるように走り回って彼女を煽っている。
Lizの質問で途絶えていたメッセージ欄に『寝たか?』『おーい』などのメッセージが書き足されている。
馬鹿馬鹿しい光景に思わず頬を緩ませながら、豊島はメッセージを打ち込んだ。
『悪い。メール返してた』
『なになに、彼女からメール?』
走り回るのをやめ、即座にからかいのメッセージを返すLiz。
咄嗟に否定しようと動いた指が、咄嗟に思いついた豊島の悪戯心に導かれるままキーボードを叩く。
『まあな』
Lizが言う「彼女」とは、もちろん恋人の意味を示す。
菜々は豊島の彼女などではない。
堂々と嘘の発言をしたが、後で誤解を解くことだけは念頭に置きながら、豊島はLizの反応に期待を寄せた。
『…手持ちに爆弾なかった。リア充勝手に爆発しといて』
わざわざ自分の所持品に爆弾がないか探していたのだろうか。そのメッセージが送られてくるまでにほんの少し空いていた間の理由を理解し、豊島は思わず吹き出した。
面白いことを考える奴だ。つくづくそれを感じながら、豊島はキャラクターにアクションをさせるコマンドの一つを選択する。
ドカン、と派手な音とエフェクトを起こして、豊島のキャラが自爆した。
『マジで爆発したwww』
『www』
軽薄で馬鹿馬鹿しいやりとりが、豊島にとってただただ楽しかった。
* * *
非日常ばかりを体験させられた週末から、数日が経った。
契約先でのシステム保守作業を終えた豊島は、会社へ向けて社用車を走らせていた。
助手席を一瞥すると、さっきまでともに作業に取り組んでいた同僚が、当然のように眠りこけている。
「…寝るなよ、シゲ」
「やだ。寝てる」
「起きてんじゃねーか」
「会社着いたら起こして」
「ったく…」
毒づきながらも、豊島は茂松を無理に起こすつもりはなかった。
豊島と茂松はシステムエンジニアだ。様々な分野のソフトウェア開発、および委託されたWeb関連の保守業務などが、彼らの仕事である。
だが茂松は営業業務も兼任している。今まさに保守作業をしてきた契約先では、社内で新たに着手することを予定しているシステムの概要を、担当者に説明し交渉する彼を、横で豊島がサポートしていた。
要するに、営業もこなさなければならない茂松の仕事量は、豊島より多い。そのバランスを考えて会社を往復する際の運転は、必然的に豊島が引き受けていた。
(俺より仕事してるったって、寝ていいと言った覚えはないんだがな)
それでもこの傍若無人な友人を責める気になれない自分に、豊島は軽く失望する。
とはいえ、今日の移動距離はそこそこ長い。車で片道一時間近くかかる場所から、会社まであと半分といった辺りを走っている。
よほどいい仮眠がとれることだろう。豊島も生あくびを噛み締めながら車を走らせる。
進行方向の先ばかり眺めて無心に運転していると、豊島は考え事に耽りやすくなる性分だった。
(会社戻ったら部長に報告、いや今日は木曜だから部長は支社にいるな。メール送っといて、日報書いて。…あー、来週納品のシステムのテスト、軽くやっといた方がいいかな…)
そして考え事がメインになってくると、無性に煙草を吸いたくなる。胸ポケットから自分の煙草を取り出そうとし、途中で気づいてその手を止める。
社用車内は禁煙だ。自由に吸える自分の車ではなかったことを思い出し、機嫌を損ねる豊島はポケットからハンドルへ手を戻した。
そうしていると、横の茂松が軽く身じろいだ。変わらず目は閉じたまま、寝やすい体勢を探しているようだ。
そんな彼の様子が視界に入り、豊島の思考は仕事のことから茂松のことに意識を移す。
(…こいつのどこがいいんだろうな)
豊島がそれについて答えてほしいと思う相手は、他でもなく菜々である。
彼女は茂松のどういうところに憧れを抱いて、彼を好きになったのか。
ルックスに関して言えば、良くも悪くもない。豊島より若干低くても長身な方ではあるが、お世辞にもその上背を生かした体型をしているとは言えない。
ただ明るさと人当たりの良さだけが取り柄で、そこだけで好きになったと言われたらそれで納得するかもしれないと、豊島は思った。
(一緒にいて楽しい、が、第一条件…だったりして)
そう仮説を立てて考えると、もう一つの疑問にもある程度合点がいく。
菜々がどうして豊島を好きだと思っているのか、という疑問だ。
楽しければそれでいい。そのくらいの気持ちで菜々が相手を選ぶとすれば、誰かに好かれるほどの自分の長所に心当たりのない豊島も納得できた。
(……そんな簡単なわけないって。菜々ちゃんの考えることは)
短絡的な思考にセルフツッコミを入れ、豊島はさっきよりも大きくあくびをした。