【遠のく意識、忘れたくないもの】
2017年7月14日
春の麗らかな日差しが暖かく降り注ぐ頃、僕達は学校の屋上でひたすら、空を虚ろな目で眺めながら、過行く雲を見上げ黄昏ていた。
数分前に、一時間目開始のチャイムは鳴り終わっている。つまりサボり状態なのだが。
なんでこう学校ってのは暇なのだろうか。すべての時間が無駄に見えて仕方がない。
まあ、無駄にしているのは僕達自身なのだけれど。
屋上に吹く開放的な風が、前髪を揺らす。長い前髪が目に入ってくるのが大変鬱陶しく思えた。
『ねー羽原。なんで私って生きてるのかな。』
「何?急に。白夢はヤンデレデビューでもするの?」
『しないけどさっ。羽原は何のために生きてるの?』
何故、このタイミングでそんな質問をするのか意図が全く読めないけど、確かなのは唐突に難しい質問を投げかけられたという事だ。
何のためと言われても、授業をサボって屋上で質問者の君と共に時間を無駄にしている僕に聞くのは間違っているのではないか?とは思うが、それでもせっかく疑問を持って聞いてきたのだから、何か答えねばと、ふわついた答えを返す。
「何のためにって、そんなの誰も分らないんじゃない?」
「それ答えになってなくない?」
仰るとおりだ。全く答えになっていない。どうせ、はぐらかしても分からないだろうという考えが、全て筒抜け状態。
いい感じの事を言っておけば、何となくでも納得してくれるだろうとばかりに、白夢を侮っていた。
「その通りです。すいませんでした白夢様。」
『分かればよろし~い。』
「ところでなんでそんなこと聞いたの?」
『日がな一日、なんで私は羽原と一緒に授業フケてるのかなーって思ったらなんか急に悲しくなってきちゃって。』
心にグサッとくる言葉の重い一撃だ。
そもそも、そっちこそ答えになっていないじゃないか。もし、今のが本当の理由なら泣けてくる。
そう言えば、夏休みまで残り1週間。今日の一時間目、久しく授業に出てホームルームを聞いていなければ、夏休み中、学校に誤って登校してしまうところだった。ロクに授業に出ていない弊害。
青春の一ページどころか、青春本の2分の1くらいを占める中学校生活を、毎日隣に寝そべっている白夢と屋上で怠惰に過ごしている罪悪感が、身に染みる。
「てかさぁ、来週から夏休みだけど、白夢は夏休みどこか出かけたりするの?」
僕からの質問を受け、白夢は上体を起こし、暗い表情になり俯いて、スカートの裾を握り絞めたかと思えば、ニッコリ笑顔に真っ白な歯を輝かせ、僕の顔を見て答える。
『もちろんずっと家だよ☆』
「ああ、ごめんごめんっ分かって聞いたよ。」
キラキラと輝きを放たんばかりの笑顔の奥に、一瞬深い闇がチラついたので、慌てて質問を引っ込めた。
白夢は、両親が月に数度しか家に帰ってこず、大抵一人で家にいることが日課だ。
それに学校でも友達は僕しかいないし、僕も、友達は白夢しかいない。なので、学校以外の環境ではいつも一人。
『分かってるついでに聞くけど、羽原は何か予定でもあるの?』
僕も負けじと、キメ顔にグッドポーズと満面の笑みで、気持ちいくらいハッキリと答える。
「予定?面白い事を聞くじゃないか。何ソレオイシイの?」
学校ですら、こんなにもダラけきっているのに、休日や大型連休なんて更に退屈でしょうがない。クラスの奴らは、海だの泊りだのの話で嬉々として騒いでいるが、僕には今、隣で欠伸をしている白夢しか友達はいない。
だから、そういうキラキラした青春とは、無関係なのだろう。
白夢も僕も、昔から周りと反りが合わず、いつも一人で居て、悲しいことに誰にも理解されること無く今も生きている。所謂「ぼっち族」なのだ。
白夢を僕視点から見たクラスでの印象は、根暗キャラなのだ。
しかし、実際のところ白夢は全く根暗ではなく、根暗はただのキャラ設定の一部。
実際は、染めている割に無駄に髪質の良い金髪だ。振り向く度に、「サラサラ」という効果音が流れそうなほど綺麗な金髪をしている。
その金髪が理由で、入学式後の教室では、クラスメイトに、ヤンキーだの素行不良だのと、陰で囁かれていた。
だが、白夢本人に、「なんで髪を染めているの?」と聞いてみると、「金髪のほうが私が綺麗に見えるじゃん。何て言うか、鏡見てて気持ちいから。分かってるとは思うけど、別にヤンキーとかじゃないから。」だそうだ。
もちろん、僕は入学後数日から今に至るまで、一年間彼女と一緒に屋上でだべっていたため、白夢がヤンキーでは無いことは事を当然理解しているが、クラスメイトは違う。
他の女子たちが集団を作り、恋バナや陰口を楽しそうに話している中、白夢が教室の扉を開け、教室に入ってきたのが分かると、一気に静けさが蔓延する。特にこれと言って、彼女たちに、白夢が何か危害を加えたわけではないのだが。やはり、何も喋らない上、校則違反をしている彼女の姿は、クラスメイトには不良にしか見えない。
かと言って、今更白夢に他の友達ができてしまったら、僕の唯一の話相手が遠くに行ってしまう気がする。それは悲しい。
キャラ上の根暗設定の白夢に対して、僕は完全なる根暗男子。嫌でも我慢して教室に滞在していた頃は、机の上で両手を寝かせ、授業が終わるまでずっと椅子に座って、うつ伏せになり寝たふりをしていた。
小学生の頃から、人との接し方が分からず、クラスメイトから学校の先生、地域の人に至るまで、家族以外の人と話すのが怖かった。
両親も、僕の前では僕の話を理解してくれるが、僕の居ない場所ではそうではない。
ある日、小学校から家に帰宅し、玄関で靴を脱ぎ、階段を上がり両親の寝室の前を通りかかった時に、僕は聞いてしまった。
「私、どうしたらいいの?あの子の考えていることが分からないの!」
「おい、落ち着けよ!あの子にもきっと何か考えがあるんだよ。」
「だって!毎日殴られたような痣を作って帰ってくるのに、何を聞いても微笑んで、何でも無いの一言しか言わないのよ!」
扉の向こうでは、泣き喚く母を父が宥める時間が流れていた。こんな性格のせいで、毎日イジメっ子集団には、腹を蹴り上げられ、顔を殴られ、時には、拾ったライターで下腹部の薄皮を焼かれたりした。
それでも僕は、両親に心配をかけたくはなかった。理由は、両親を気遣った訳ではない。
ただ、家にいるのに学校の話なんてしたくはなかったからだ。家は僕にとって、苦痛な現実から逃れるための逃げ場だ。両親に心配をかけたくないのは、いつも笑って会話をしてくれないと、現実逃避が出来なくなってしまうからだ。
しかし、そんな僕の気持ちを両親が理解することは無かった。母には内心気味悪がられ、父には気を使った言葉しか掛けてもらえなくなっていった。だが僕は、両親のことを嫌いになってなどいない。
両親の反応は、通常の人間として正しいものだから。
僕が中学生になる頃、弟ができた。
それと同時に、僕一人を残して、家族は東京へ引っ越すと言う。余りにも突然の事過ぎたので、僕は父に理由を聞いた。
「もうお前も、今年から中学生だ。強い人間になるために一人で頑張ってみなさい。」
気持ちの悪い作り笑顔を浮かべ、父は僕に言い放った。でも僕は、特に何も驚きはしないさ。
何故なら、父は愛する女性を、僕という愛されていない息子に精神をボロボロにされたのだ。だから、母から邪魔者の僕を遠ざけようとした。ただそれだけの事に過ぎない。
ああ、なんて合理的な理由だろうか。愛する姫を、茨の囚われから解放するべく、一人の王子様が剣を手に魔王を切り裂く。
ならば僕は、その剣を喜んで心臓に受けよう。そう、速くこの辛い現実物語を終わらせるために。
僕はいつもと変わらず、晴れやかで奇妙な笑みを浮かべ、母と父と弟を送り出す。
お父さん、そんな罪悪感交じりの微笑みを浮かべないでくれよ。何も気にすることなんてないのさ。今貴方は、隣にいるその女性を守ったんだ。良いことをしている、良い人間なんだよ。だから僕を置いて、早く小さな魔王の城から出ていくといい。僕が今から、魔法の言葉をかけてあげるから。
「分かったよ。僕は頑張るから、三人共元気でね。」
魔法の言葉をかけ終えると、父は僕の笑顔を見て、二度目の作り笑顔を浮かべた後、無言のまま玄関を出て、この家に僕という魔王を封印した。これが僕の半生。果たして僕は白夢を傷つけてしまうことは、絶対にないと言えるだろうか。この頃の夢を見る度、唐突に不安に駆られてしまう。
白夢に対する想いは、両親を傷つけたくなかった頃の感情とは、全く異質。
ただ初めての理解者を、手放したくないだけでではなく、一人の友達として、彼女を絶対に傷つけたくない。
だがもしも、両親の時のように彼女を傷つけてしまったらと思うと怖い。家に帰ると、毎日そればかり考えてしまう。そして考えれば考えるほどに、意識が真っ白に遠のいてゆく。結局いつも、どうして良いか分からず思考が停止。分からないことが怖い。答えが視えないことが怖い。分からない無能な自分が憎い。
(あれ?僕は屋上白夢と居たんじゃなかったっけ?そう、なら問題ない。きっと居眠りしてしまったんだろう。)
(って、駄目だろ…………これじゃ…前と同………。)
羽原は過去の記憶を思い出していた。それを踏まえ、白夢を傷つけない方法を模索していただけ。
他に何もしてなんかいない。…それなのに……
この瞬間、羽原は突然意識を失った。