3話 マンション内での攻防
今日も俺は灰色の街にいる。
俺が耕した赤い土はここにはない。
何のために俺はここにいるんだ。
あの時の努力は俺の為ではないのか。
黒い肌の男はアスファルトの上で嘆いた。
男は火星の開拓者であった。
火星では二種類の人間がいた。
火星で生きるために土地を耕し、新しい土地での生活を夢見た者。
その土地の上に建物を建て、余生を過ごす金持ち。
男は今、街の片隅でホームレスをしている。
男が新しい土地で新しい生活ができると思った矢先。
男の土地は地球にすべて奪われた。
初め、火星は人の住めない星だった。
それを科学の力で住めるようになり、何百人かの開拓者がやってきた。
彼らは嘲笑われた。
火星に着いた彼らがしたことは土地を耕し、植物を育てること。水を手に入れること。
最終的には地球から独立した生活を得ることだった。
彼らはまるでSF小説のような奇抜なアイデア。原始時代のような古典的な努力により長い年月を懸けて人々が安心して住める土地を作り上げたのである。
「くそったれ!!」
黒い男は昔を思い出しながら高層マンションを睨んだ。
地球がそんな火星にしたことは略奪であった。
火星に様々なものがやってきた。
軍隊がやってきた。
大統領がやってきた。
数千人の富豪がやってきた。
法がやってきた。
そうして、いとも簡単に開拓者たちは弾き出された。
男が昔建てた家。そこには今、マンションが建ち、三日後には抽選で選ばれた一般市民が来る予定だ。
「ふざけるな」
黒い男は鬼のような形相でマンションを睨み、唾を吐く。
唾は宙を舞った後、男の顔にかかる。
唾はおとといクモに噛まれた傷跡に染みた。
男の目は紅色に染まっており。
頭には固いコブが出来ていた。
男は腹が減ったので、生ゴミを漁りに闇の中へ消えた。
善道寺新がチャック・ザ・ジッパーに捕食された日・・・
宇宙船で火星に着いた少年は長い検査が終わり、一般市民達が住むことになるマンションに着くと自室のベットで横になった。
少年の親は今はいなかった。父親は仕事に、母親は友人と遅くまで出かけたらしい。
トイレで出会ったカバンの化け物のことは誰にも話さなかった。信じてもらえないと知っているからだ。
三日間に及ぶ検査の最中。少年には妙な発熱と擦り傷があった。
それにより、他の人より時間がかかると思われたが、二日後には治ったので、ただの怪我と風邪だ、と診断された。
だが、少年は体の中に何かが蛇のように這う感覚がまとわりついた。
それを父母に訴えたが、彼らは相手にしなかった。
少年は今でも、その感覚が抜けずに寝付けなかった。
天井に目を向ける。黒い染みのようなものが動いている気がした。
いや、違うか。あれは・・・虫?
いや、そんなわけがない。
火星では生物が住む場所は限られている。しかも、この建物にはペット以外に生物が入りこんだりは出来ないようになっているはずだ。
黒い染みはだんだん大きく広がり始め、濁った空のように見えた。
暗闇に目が慣れると、それらの正体も明らかになる。
クモだ。おびただしい数のクモだ。
クモ達は天井をつたって少年に近づく。
一匹のクモが少年の首元に到達しかけた時。
「来るな!!」
少年は恐怖の中、やっと一言そう言った。
すると、どうしたことだろうか。クモ達は遠くへ弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
クモ達はそれに驚き、部屋を飛び出していく。
少年は我に帰ると、自室を出てリビングを見渡したが、クモは一匹もいなかった。
気づけば、体から奇妙な感覚はなくなっていた。
マンション内に侵入したクモは次々と住人達に噛みついた。
時間は深夜。彼らはクモに噛まれても起きず、朝に奇妙な傷を認識する程度であるだろう。
クモ達が暗躍する同時刻・・・・
九条 剣は緊急の依頼でマンションに来ていた。
マンションの管理人が言うには水道、空調が突然壊れたそうだ。
彼は機械全般を修理することが得意で、それを仕事として火星で生活している。
「中に何か詰まっていますね」 九条剣が言う。
「何とか今夜中に直せないか」 マンションの管理人が返した。
彼はどこの業者に属さず、単身でありながら、ある程度の機械であればどこよりも早く、修理することができる。
今回の依頼も彼の仕事の速さを買われてのことだった。
「小型の修理ロボットは試しましたか? 」
このマンションは抽選で選ばれた一般の地球人の為に何カ国の国の機関が共同で建てた建物だ。修理のためのロボットがいるはずだが? 九条 剣はそう考えた。
「いえ、それが・・・・全部連絡がとれないんだ」
管理人はオドオドしながら答えた。
「一部の部屋で文句が出ている。なんとかならないか」
「とりあえず、中に入って見ますよ。
誰か手の空いている人はいませんか?」
「ああ・・・ それなら大久保君を呼ぼう」
「何で俺がこんなことを」
大久保 望は通信機を片手にぼやく。
「すいません。機械が戻ってくるかもしれないので」
大久保 望はこのマンションの警備員である。
と言っても、ロボットが警備をおこなっているため、主な仕事は監視カメラの確認、不審者の身分確認なので別の仕事をしていても問題ない。
しかし、通気口の前で待つのも退屈だ。俺が入っても良かったが、体が大きすぎる。そういや、あいつ、やや背が低くかったような。まあいい。
大久保 望はそんなことを考えた後、気になっていたことを尋ねた。
「どうして、火星で修理屋なんて始めたんだ?」
通信機の向こうから無言が続くと、九条 剣は答えた。
「簡単な理由です。僕が重力装置の修理と設置ができるからです」
重力装置は文字通り、重力を調整する装置である。
火星の重力は地球の三分の一しかない。
人が生きる分には問題ないが、この違いは身体能力だけでなく、子供の出生率にも影響しており、地球からの移民は存在するが、火星で生まれた子供の話は一度だって聞いたことがない。
「しかし、あれは素人が簡単に扱える物じゃないだろう」
「それでも、僕は直せますから、もしものためにここにいるんです」
九条 剣は確かにそう言った。どこにそんな自信があるのか。
「僕以外にも直せる人はいますよ。
でも、多くはない。
何かのきっかけで僕の力が必要になるかもしれません」
「そういえば、大久保さんは何のためにここに来たんですか」
「聞かなくても分かるだろ。出稼ぎだよ。出稼ぎ」
大久保はそう言って、今、後ろで部屋を掃除しているロボットを睨んだ。
彼は元々はとある工場で働く男だった。
だが、作業ロボットの配置によるリストラによって解雇してしまい仕事を探して火星まで来た。
「ま、説明するほど、大層な理由じゃないよ」
そんなことを呟いた後、通信機から
「ありましたよ!」
という声が聞こえた。
九条剣は子供の頃から物を分解するのが好きだった。
幼稚園の頃、おもちゃを渡されたらそれを割って中を見た。
ぬいぐるみを抱いたら引きちぎってわたを抜いた。
もちろん、両親には怒られたから小学生になってからは壊したり、分解するのはあくまで自分の物だけにした。
彼は周りが遊んでいるゲーム機やパソコンをお小遣いをためて買ったらすぐに家で分解する事を楽しんだ。
いつしか、ゲーム機やパソコンの修理が出来るようになり、九条剣はそれで学校で修理や改造の仕事をしてお小遣いを稼ぐようになり、時計、CDプレイヤー、炊飯器、ガスコンロ何でも買っては分解しを繰り返した。
周囲の人々は変わった趣味を持つ子だと感じたが、機械の好きな子はいくらでもいる。彼はそのカテゴリーの一つに分類され彼の異能に周囲は気付かなかった。
中学生の頃、彼はぱったりと物の分解をやめている。
その時にはすでに、彼は見て触れるだけでだいたいの物の構造を把握できるようになっていたからだ。
その才能に周囲は気付いていない。
彼は理科や算数の成績が良かったわけでも、何か身体能力がずば抜けて凄いわけではない。
彼は自身の頭の中で起きていることを周りも同じように起きているのだと思い込んでいたのだ。
だから、彼はそのまま、機械、建物、コンピューターとは関わり合うこともなく、高校、大学時代を生きてきた。
もし、どこかで彼が学問の道に目覚めていればこの時代の科学力は火星に行く、ロボットがいるだけではすまなかっただろう。
大学を卒業後、彼は普通の会社に就職する。しかし、数ヶ月でやめてしまう。それはたんなる気まぐれだった。
しかし、ある日新聞を見る。そこには火星で初めて生まれるはずの赤ん坊が奇形児として死産した話が書かれていた。そして、そこには火星の重力は地球より少ないこと、重力を制御する装置が火星全体に及んでいないことも書かれていた。彼はそこから重力装置に興味を持ち、とある科学博物館でその装置を直に見に行く。
見てみると。
…なんてことのないただの機械じゃないか。これなら僕でも直せる。
そう考えると、彼は従来のロボットをより低コストで作れる方法をあるロボット会社に提案し、その特許と引き換えに一生遊べる程の大金を手に入れる。
その大金を使って、彼は火星にやってきた。
[newpage]
「ありましたよ!」
九条剣は通気口の奥にクモの大群が押し合いへしあいに進んでいるのを確認する。
おかしい、火星にクモがいるなんて。誰かが火星に持ち込んだのか?
そう思ったが、自分がとんでもない状況に巻き込まれているのに気付く。
こちらに気付いたクモは九条 剣の首に登っていき、噛みついてきたのだ。
そこには、昨日の朝から蚊に刺されたような跡が残っていた。
すでに噛まれていた。いやとにかく逃げなきゃ。
彼はクモを振り払って奥に奥に進んでいく。
その時、彼は自分の異常に気付いていなかった。
彼は進める所まで行って、人が入れない程の狭さに着いたら、小型の機械で奥まで探るつもりだった。しかし、彼は大の大人が通れないような所まで行き、次第に自分自身が縮んでいることに気づいていなかった。
彼は奥まで進んでいき、突如明りが洩れている所を発見する。
しめた、この部屋に逃げ込もう。そう考え翼を広げ。その光に突っ込んだ。
そこはマンションの電気、水道、その他機器を管理するメインコンピュータールームだった。通気口の穴はすぐに塞いだ。
「大変だ! 助けてくれ!」
足で掴んでいた通信機から声がした。