2話 ボクは火星人
黒いカバンを持っていた男は火星にいる。
時間はもう遅く、人々は寝静まっている。
男の口が開いた。クモが一匹、二匹と出てくる。
黒いカバンはそれを見ながら笑い声をたて、急にしゃべりだした。
「パンドラが開かれる。ついに絶望が舞い降りた。
十万人の人間共が脅威に生まれ変わる。
これであんたの計画は半分進んだわけだ。
そんじゃ、俺も自由にやらせてもらうぜ。
あばよ、影沼隼人。あんたの悪夢が叶わんことを・・・」
こうして、黒カバンはーーいや、この黒カバンは姿を叙々に変えつつあった。
カバンから腕が生え、足がある。口は依然チャックであったがトカゲのような目を持っていた。
こうして、この黒いチャック口の怪人は闇に消えてっいった。
生まれた時から、腕がなかった。
生まれた時から、足がなかった。
生まれた時から、胴体がなかった。
僕は心臓、肺、それらの臓器も一切持たない頭部だけの奇形児だった。
桜は生まれた僕を抱いて涙し、直樹は僕の姿に恐怖した。
頭部だけの僕は生まれる前に、すでに肉の塊となっていた。
桜と直樹が火星に来たのは三年前…そう聞いた。
彼女たちはここに永住するきだった。
周囲の人たちはその理由を聞いていない。
僕が宿ったことを最も喜んだのは桜だった。
彼女は子供のできない体とされていた。(妊娠したことに火星が関係していたかは不明だ)
だからこそ、この事実が嬉しかった。
でも、生まれてきたのは怪物だった。
そんな僕の死を悲しんだのが彼女だった。
それだけで、僕は嬉しかった。
僕の死体はそのまま研究所に運ばれた。
少年が怪物と出会ってからから三日後・・・
善導寺新が博の帰りを待っていると、電話が鳴った。
電話の主は阿形だった。
「アラタ君はいるか?
・・・ちょうど良かった。
すぐ来てくれ。
大変なことが起こった」
阿形の声の震えで尋常な事でないことが分かった。
阿形はイラついていた。大丈夫だ。彼は来る。しかし、なんとしても彼に早く伝えねば。
ドアをノックする音がした。
「教授、お久しぶりです」
そこにいたのは、善導寺 新、ではなく・・・
細身で長身の鼻の丸味がやや目立つ男だった。
「おお、君は…博君じゃないか! 帰って来たんだね! 」
「はい、しかし、教授、様子がおかしいようですが何かありましたか? 」
「!!」「そうなんだよ、博君!! 君もぜひ聞いてくれ!!」
その時、善導寺新がドアを開けて、阿形の部屋に入って来た。
「アラタ君、ちょうどよかった、今、彼に話そうとしていた所なんだ」
「大変なこととはなんでしょうか」博は阿形に尋ねた。
新は遠くに立ち静観している。
「これを見てくれ。
最近、火星で大量発生したクモだ」
「これが、どうかしたんですか?」
阿形は一匹のネズミを見せた。そのネズミをガラスケースの中にクモと一緒に入れる。
「よく見てくれ」
クモはすぐさまネズミに噛みついた。
ネズミはぐったりする。
・・・叙々にネズミの姿が変わった。灰色の皮が黄色くなり、発光し始めた。
「こいつは電気を扱える奴になったか」
阿形がつぶやく。
そして、黄色いネズミは突然、教授に襲いかかろうとした! しかし、ネズミはガラスケースに頭をぶつけた。
「これは一体?」善導寺 博は尋ねた。
「これがクモの恐ろしい能力だ。このクモは体内に生物の細胞を変化させる能力があるんだ。しかも、こいつは生物を凶暴化させる。アラタ君、博君。これが人間に噛みついたら、どうなると思う。人々は怪人化し、たちまち火星は大パニックだ」
「クモがこんだけ増えた以上、もう手おくれでしょうね」善導寺 新は呟く。
「いや、まだ間に合う。確かにすでにクモはばらまかれた。
だが、人間は噛まれてから怪人化するまでにネズミと違って、時間がかかる。
ネズミより大きいペットの犬や猫も同様だ」
阿形は善導寺新と博に真剣な眼差しを向ける。
「そして、怪人化した生物の中にいくつか、凶暴化せず、正気を保てるものがわずかにいることも実験によって判明した。アラタ君、君に彼らを探し、共に協力して、クモをばら撒いている大元を殺してもらいたいんだ。もちろん、君の性格は知っている。私達に協力なんてしたくはないだろう。だが・・・君には守りたい人がいるだろう」
善導寺新は阿形の言葉を聞くと微笑を浮かべ、こう言った。
「確かに、僕にも戦う理由はあるでしょう。で、あなたはどんな生物になったんですか?」
阿形は多少驚いたそぶりをみせた
「よく気付いたな。そうだ私こそが正気を保つことのできた特異な例だ」
そう言ってガラスのケースを開ける。黄色いネズミは阿形に襲いかかる!
黄色いネズミは電気を放った。しかし、阿形は平気でそれを受け、そのままネズミを掴んだ。ネズミは掴んだ指からみるみる黄金に変わっていった。
「科学的理論もまだ説明できないが、この力が私の能力ゴールド・ジェントルメン物を黄金に変える力だ」
善導寺新はその光景を見ると、ため息をついた後、こう呟いた。
「そうですか、ではあなたは助ける価値がありませんね。どうぞそのまま食べられちゃってください」
「へ?」
その瞬間、阿形は後ろに殺気を感じる。だが遅い。
気づけず、振りむけず、知覚できずに彼は喰われてしまった。
善導寺博に・・・正確に言えば善導寺博に変身していた男に・・・
博と思われていた男は叙々に姿を変える。
体は黒く、目は鋭くトカゲのように、口は歯の数が異様に多く、チャックのような歯並びをしていた。
阿形を喰い尽し、口から人の死体を覗かせる怪人は喋り出した。
「やあ、善導寺新、やっと会えたぜ。俺の名はチャック・ザ・ジッパー。
影沼隼人によって作られた。無機物生命体の一人だ。
よく俺の正体がわかったな」
「瞬き、立ち方。一つ一つを挙げればきりがないほどあなたは人間らしくなかったよ」
「ふん、余裕ぶっているのは自分の力に自信を持っているからか。
おまえのことはすでに知っているよ。
俺が宇宙港で喰った男に作られたアンドロイドなんだろう。
捕食した時に記憶を読み取らせてもらった。
火星で異常に発達した脳を入れたアンドロイドを作ったってな。
俺はそれを聞いて、てめえの脳をチューチュー吸ってやろうと思ったのさ。
俺の能力は捕食した物の能力と姿を得ること。天才の脳は俺がもらうぜ」
「簡単に殺せる存在になったつもりはないけどね」
善導寺新がそう言うと、チャック・ザ・ジッパーは近くに横たわっていた黄金化したネズミを掴む。
「そう思うか。俺が持つ能力は物を黄金に変えるだけのちゃっちい能力だけじゃなくなるんだぜ」
チャック・ザ・ジッパーは掴んだネズミを口の中に放り込む。
チャック口の怪人から電流が流れ始める。
「いくぜ、ライジング・ボルテッカー!!」
チャック・ザ・ジッパーは自身の手の平から電流を飛ばす。
電流が善導寺新に当たる。しかし、彼は倒れなかった。
「・・・効かねえか。これが人間なら即死なんだけどな。だが」
そう言って、拳に電気を溜めると、常人離れした速さで一気に近づき、善導寺新に振り落とす。
「俺の拳は鉄さえも粉々に砕くぜ!」
チャック・ザ・ジッパーの拳が善導寺新の懐に入る。しかし、感触がない。
これはかわしたわけでもない、残像だったわけじゃない。
彼の体がまるで日のもとに照らされたタオルを相手にしたように柔かったのだ。
「だから、言ったろうに、僕は簡単には殺せねえって」
善導寺新はそう言いながら、チャック・ザ・ジッパーの腕を掴む。
「捕まえたよ。あんたは僕のことを何も知らなかったようだな」
善導寺新は掴んだ腕を引きちぎる。
「ギィギィィィィィィィィ!」
チャク・ザ・ジッパーの叫び声が響く。
善導寺新の体は重力に対応するために、人工筋肉とそれを包む、伸縮性に優れた素材だけで出来ている。骨や臓器は一切ない。(そもそも、彼は生まれた時点で頭部だけのため血液を流すことで脳だけ生きることができた)また、手の平は人の目には気づかないほどの細かな吸盤があるため、握力に困ることはない。
「さあ、話してもらおうか。今回のことについて、阿形の説明はあやふやなことばかりだからね」
「その前に、言わせてくれないか」
善導寺新の問い変えに対し、チャック・ザ・ジッパーは言う。
「今の俺ってよぉぉぉ~。ゲームでいう、勇者が最初に倒すスライムみたいな扱いだよなあ。最初に経験値稼ぎに倒しとくかみたいな。または、勇者の強さを引き立たせるかませ犬みたいな。だけどよぉぉぉ」
「俺はぶちゃっけ、魔王級なんだよ!!!」
善導寺新の掴んでいる腕が動き出す。腕は付けられたチャックが開いたかと思うと、善導寺新の頭部を飲み込んだ。
「そこがてめえの弱点だったようだな。俺の体には口だけじゃなく、両腕、両足、背中、それぞれに口がある。黄金のネズミすらもバリバリ喰える牙を持った口がな!」
頭部を喰われた善導寺新はふらふらとそこらを漂った後、そのまま足から崩れ落ちた。
チャック・ザ・ジッパーは彼の体も捕食した。
死体だったはずの僕は気づけば、アンドロイドとなっていた。
僕を作り変えたのは、善導寺 博。
彼は人間を進化させる方法を研究するために僕をアンドロイドとして生かした。
僕は人よりも知能が優れているらしい。
僕は作り変えられてから1週間で言葉を覚えた。(脳は生後1歳の状態だったそうだ)
しかし、この体には温度や痛みを感じることができなかった。
初めっから化け物のようだった僕、生まれ変わっても人でない僕。
それでも、僕が生きてこれたのは生まれた時に、真っ先に喜んでくれた人がいたから。
桜は僕が死んだあとも火星にいた。ある日、研究所を脱走して彼女の家の前に行ったことがある。
庭に色とりどりの花が植えてあった。
火星ではあまり見ない、花々を見て喜ぶ人達がいた。
彼女には大事な空間があるんだ。友人もいる。
僕はどんなになってもあなたの子として、あなたを守りたい。
「うん?どうしたことだ?」
チャック・ザ・ジッパーは目をこする。
「目から涙が止まらねえ。こいつの記憶のせいか・・・
まあ、いい。さて、次はどこに行くか、そうだ」
チャック・ザ・ジッパーはなぜそんなことを思いついたのか疑問にも思わずに言う。
「桜の所に行こう」